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	<title>映画『KANO』　第9回大阪アジア映画祭（3/7~3/18）、オープニング作品に！ へのコメント</title>
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		<title>映画『KANO』で知る併合期の台湾・朝鮮 &#124; より</title>
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		<dc:creator><![CDATA[映画『KANO』で知る併合期の台湾・朝鮮 &#124;]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 11 Feb 2015 06:18:10 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[[&#8230;] 2015年1月29日2015年2月11日  韓流研究室  韓国     上映が今週の金曜日までだったので仕事終わりに、映画『KANO』を観てきた。（帰宅ラッシュと重なり、片道１時間以上のドライブ！）日本の映画界では、おそらく・・・創る事ができないだろう何の迷いも無い台湾人の誇りと心意気を感じる純粋な作品だった。戦後７０年、日本のサヨク言論と中国・韓国・北朝鮮、そして欧米の歴史学者にとっては日本の「影」こそが真の歴史で、「光」にスポットを当てる行為は右傾化・軍国主義歴史修正主義者だと、声を荒げて批判をする。台湾の度量の深さは、「影」もあれば「光」もあると、事実を堂々と言える凄さだ。特亜とは違う、７０年間の置かれた立場の違いがそうさせるのだろうか・・・。映画の冒頭、昭和６年の甲子園の入場行進。外地代表として、朝鮮の京城商業 、満州の大連商業が映る。台湾から船でやって来た嘉義農林が遅れて入場。スタジアムを埋め尽くすエキストラの観客達。当時の衣装を着た群衆の光景は、まさに圧巻！当時の写真を忠実に再現している。　★第十七回全國中等學校野球大會 　台灣代表 嘉義農林学校vs　東海代表 中京商業学校を報じる朝日新聞　http://ilha-formosa.org/?p=31790そうなのだ。韓国、北朝鮮では語られる事の無い甲子園出場。★高校野球選手権　　朝鮮・台湾・満州歴代出場校一覧　http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/data/summer/others.htmlそう、台湾のだけでなく釜山商業学校や、http://nekonote.jp/korea/old/fukei/so/dsn/1syogyo.html京城の私立善隣商業学校http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/36857464.html京城公立商業学校や京城中学など、http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32598676.html朝鮮の学校も甲子園を目指した。野球を楽しんだのは在留日本人ばかりで、支配下に置かれた奴隷扱いの朝鮮人には野球なんてやらせて貰えなかったnida・・・などと反論されそうだが実際は、併合時の朝鮮での野球史に残るのは1928年に朝鮮人で最初のホームランを打った李榮敏選手　　1905年に慶尚北道大邱で生まれ、大邱中学校、後の大邱高等普通学校出身。http://nekonote.jp/korea/old/fukei/tegu/koto-fgk.html当時からスポーツ万能だった彼は私立延禧専門学校（現延世大学）に進学し1924年に第5回全朝鮮サッカー大会でFWとして参戦、大邱チームを勝利に導いた。1935年には天皇杯全日本サッカー選手権大会にも出場している！本業の野球では背番号4番のエース。1924年朝鮮中学のドラフトのチームに選ばれ日本の宝塚 で招待試合に出場。1928年6月8日に開催された試合で、朝鮮人初のホームランを記録した。会場は、1925年に建てられた京城運動場。朝鮮総督府機関紙は、1925年5月30日紙で“運動場が完工すれば甲子園に続き、　日本で２番目の規模を誇る総合競技場になる”と記事にしていたそうだ。.http://www.altasia.org/hangyore/hangyore06633_1.htm李榮敏は、1929年、朝鮮の代表選手として大活躍し、1934年読売新聞社主催の米メジャーリーグの巡回試合に日本代表チーム14人のメンバーに選ばれあの、沢村投手と共に出場しているんだよね。そして、阪神ファンにはお馴染みの朴賢明 （林賢明）選手。彼は平壌高等普通学校出身で1938年の都市対抗代表選手として日本本土で投球、剛球が話題となり、大阪タイガースに入団した。彼らの出身校である大邱高等普通学校も平壌高等普通学校も日本人の子弟が入る官立中学校と並ぶ朝鮮人子弟のための官立中学校であり、旧制のエリート中学校（現在の男子高等学校）の一つだった。なんとまあ、映画『KANO』のお蔭で朝鮮併合時の野球やサッカーの歴史まで解っちゃう！それどころか、京城ゴルフ倶楽部在籍で、内地のTOPプロを招聘して育て上げた延徳春選手などhttp://www.jga.or.jp/jga/html/about_jga/vol76/sp2_2.html併合期の日本は、様々なスポーツ振興を実施していたのだ。★朝鮮のスポーツhttp://ja.wikipedia.org/wiki/% E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84★朝鮮のホームラン王　http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/31058581.html朝鮮の産業金融事情について元朝鮮殖産銀行公共金融課長金谷要作　ｐ１４３～１４４それから又野球部を組織いたしまして、各大学や甲子園出場の優秀な選手をスカウトして、東京の神宮球場の都市対抗試合に出場させました。これもＰＲ（管理人註：殖産債権販売の）の一つであります。余談になりますが、当時の京城には、鉄道局と逓信局と京城電気、それから殖銀と４つのチームがございました。このうちの優勝チームが朝鮮代表となって、神宮球場に出場することになっていたんです。（中略）殖銀の選手の中に李栄敏という朝鮮人の選手で、朝鮮のホームラン王といわれた人がおりました。小学生達でも、総督の名は知らなくても、李栄敏といえばみんな知っていたほどで、人気の的でございました。（引用ここまで）1928年6月10日紙は、2面で“京城球場設立以来初めての大本塁打, 　延喜専門の李栄敏（イ・ヨンミン）君が　塀を越えた”というタイトルと共に彼の写真を大きく載せている。あれあれ？創氏改名を強制されたはずの植民地朝鮮で朝鮮人初のホームラン記録者・李栄敏（イ・ヨンミン）君は当時の朝鮮人最大地主が創設した東亜日報でも本名の朝鮮名を名乗るヒーローだったようだ。嘉義農林学校は、　　台湾居留の日本人、漢人、アミ族の生徒比率が『KANO』の野球部の民族比率とほぼ同じだったそうだ。★嘉義農林学校校歌　http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress2/index.php?p=171最弱野球部が、近藤監督の指導の下で甲子園を目指してランニングする嘉義の市街地http://liondog.jugem.jp/?eid=197主人公の呉選手の切ない初恋？青春の象徴の自転車を走らせる長閑な田園風景。農民を苦しめる過酷な塩害や洪水・干ばつ・・・映画では、台湾バナナの品種改良に励む佐藤先生など日本人教師による農業指導の日本語の授業風景も野球部の部員の成長と共に描かれる。しかも、大沢たかおが演じる台湾の水利事業に生涯を捧げた「八田與一」のエピソードまで挿入されている。八田氏が１０年の歳月をかけて造った壮大なダム。その水が、嘉義の水路を初めて流れる光景を工事の困難さと農家の感動を、丁寧に描いている。★八田与一の功績　　李登輝講演より　http://www.foster1.com/article/13982707.html（略）皆様に日本精神は何ぞやと、抽象論を掲げて説明するだけの実力を私は持っておりません。 （司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老台北”　として登場する実業家の）蔡焜燦さんの書かれまし た「台湾人と日本精神」みたいな立派な本をもって説明することもできません。私としては日本の若い皆さんに、私が知っている具体的な人物や、その人の業績を説明し、これが日本精神の表れです、普遍的価値ですと説明した方が、皆さんにもわかりやすく、また、日本人としての誇りと偉大さを皆で習っていけると考えるものであります。 台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一について説明しましょう。 八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野十五万町歩（一町歩はおよそ一ヘクタール）の農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称たたえられるでしょう。（中略）その時分では東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月と（当時のお金で）五千四百万円の予算で一九三〇年にこの事業を完成したときの八田氏はなんと、四十四歳の若さでありました。嘉南大の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大の父」として六十万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。（中略）八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったのです。天性ともいえるかもしれませんが、これを育んだ金沢という土地、いや日本という国でなければかかる精神がなかったと思います。 嘉南大の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりました。嘉南大完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。（とても素晴らしいスピーチなので　是非全文をリンク先でお読みください！）★戦前外地の高校野球　http://www.koishikawaunit.net/shop/html/products/detail.php?product_id=8この映画「ＫＡＮＯ」は甲子園の伝説の重要な鍵を握っている。嘉義農林学校に勝って３連覇した中京商業。この試合以降、甲子園で３連覇を果たした高校はないそうだ。日本にとっても、伝説の一戦である三連覇を掛けた中京商業と、正々堂々と互角に戦い『天下嘉義』と称賛されたKANOは、　　　　　日本人が大好きな甲子園の精神に繋がっている。戦後日本の教育では、八田與一氏のような優れた技術者の功績を子供達は教わる事が無い・・・台湾元総統の李登輝氏のスピーチに有るように大規模ダムというハードウエアを建設するだけでなくそれを維持管理し有機的に活用するためのソフトウエアまでも考案し、連日農業指導を行い三年輪作給水法によって全農民の稲作技術を向上させ農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上ができて初めて工事の成功であると考えた八田與一氏の偉業は、日本人の子供達にとっても、大いに学ぶべき発想です。プロデューサーであり、脚本も手がけた台湾の魏徳聖（ウェイ・ダーション）氏は日本統治下の台湾原住民セデック族の抗日運動「霧社事件」を題材にした映画『セデック・バレ』も製作。日台の歴史の光も影も、事実を描いてこそ、『KANO』が問いかける台湾の人々の誇りが見えてくる。日教組の「人権教育」よりもずっと子供達の純粋な心に浸透すると思う。李登輝氏の「国家百年の大計に基づいて　清貧に甘んじながら　未来を背負って立つべき世代に対して、　「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を　八田氏は教えてくれたと思う」という言葉の重みを深く感じる・・・戦争中、フィリピンに向かう大洋丸に乗っていた八田氏はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い沈没。奥様の八田外代樹さんはその三年後、敗戦後の台湾から日本人が一人残らず去らねばならず夫の遺した烏山頭ダムの放水口に身を投じて夫の後を追ったという・・・http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html　　★ＫＡＮＯ精神は台湾の誇り　&lt;特別対談＞李登輝vs魏徳聖　http://shuchi.php.co.jp/article/2174★映画『KANO』 日本語Facebook　https://www.facebook.com/Kano.japan　厳しい厳しい近藤監督役の永瀬さんが、早朝練習グラウンドの小石を一つ一つ拾いバケツに入れていく、そんな無言のシーンにウルル・・・政治 ブログランキングへ [&#8230;]]]></description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>[&#8230;] 2015年1月29日2015年2月11日  韓流研究室  韓国     上映が今週の金曜日までだったので仕事終わりに、映画『KANO』を観てきた。（帰宅ラッシュと重なり、片道１時間以上のドライブ！）日本の映画界では、おそらく・・・創る事ができないだろう何の迷いも無い台湾人の誇りと心意気を感じる純粋な作品だった。戦後７０年、日本のサヨク言論と中国・韓国・北朝鮮、そして欧米の歴史学者にとっては日本の「影」こそが真の歴史で、「光」にスポットを当てる行為は右傾化・軍国主義歴史修正主義者だと、声を荒げて批判をする。台湾の度量の深さは、「影」もあれば「光」もあると、事実を堂々と言える凄さだ。特亜とは違う、７０年間の置かれた立場の違いがそうさせるのだろうか・・・。映画の冒頭、昭和６年の甲子園の入場行進。外地代表として、朝鮮の京城商業 、満州の大連商業が映る。台湾から船でやって来た嘉義農林が遅れて入場。スタジアムを埋め尽くすエキストラの観客達。当時の衣装を着た群衆の光景は、まさに圧巻！当時の写真を忠実に再現している。　★第十七回全國中等學校野球大會 　台灣代表 嘉義農林学校vs　東海代表 中京商業学校を報じる朝日新聞　http://ilha-formosa.org/?p=31790そうなのだ。韓国、北朝鮮では語られる事の無い甲子園出場。★高校野球選手権　　朝鮮・台湾・満州歴代出場校一覧　http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/data/summer/others.htmlそう、台湾のだけでなく釜山商業学校や、http://nekonote.jp/korea/old/fukei/so/dsn/1syogyo.html京城の私立善隣商業学校http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/36857464.html京城公立商業学校や京城中学など、http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32598676.html朝鮮の学校も甲子園を目指した。野球を楽しんだのは在留日本人ばかりで、支配下に置かれた奴隷扱いの朝鮮人には野球なんてやらせて貰えなかったnida・・・などと反論されそうだが実際は、併合時の朝鮮での野球史に残るのは1928年に朝鮮人で最初のホームランを打った李榮敏選手　　1905年に慶尚北道大邱で生まれ、大邱中学校、後の大邱高等普通学校出身。http://nekonote.jp/korea/old/fukei/tegu/koto-fgk.html当時からスポーツ万能だった彼は私立延禧専門学校（現延世大学）に進学し1924年に第5回全朝鮮サッカー大会でFWとして参戦、大邱チームを勝利に導いた。1935年には天皇杯全日本サッカー選手権大会にも出場している！本業の野球では背番号4番のエース。1924年朝鮮中学のドラフトのチームに選ばれ日本の宝塚 で招待試合に出場。1928年6月8日に開催された試合で、朝鮮人初のホームランを記録した。会場は、1925年に建てられた京城運動場。朝鮮総督府機関紙は、1925年5月30日紙で“運動場が完工すれば甲子園に続き、　日本で２番目の規模を誇る総合競技場になる”と記事にしていたそうだ。.<a href="http://www.altasia.org/hangyore/hangyore06633_1.htm李榮敏は、1929年、朝鮮の代表選手として大活躍し、1934年読売新聞社主催の米メジャーリーグの巡回試合に日本代表チーム14人のメンバーに選ばれあの、沢村投手と共に出場しているんだよね。そして、阪神ファンにはお馴染みの朴賢明" >http://www.altasia.org/hangyore/hangyore06633_1.htm李榮敏は、1929年、朝鮮の代表選手として大活躍し、1934年読売新聞社主催の米メジャーリーグの巡回試合に日本代表チーム14人のメンバーに選ばれあの、沢村投手と共に出場しているんだよね。そして、阪神ファンにはお馴染みの朴賢明</a> （林賢明）選手。彼は平壌高等普通学校出身で1938年の都市対抗代表選手として日本本土で投球、剛球が話題となり、大阪タイガースに入団した。彼らの出身校である大邱高等普通学校も平壌高等普通学校も日本人の子弟が入る官立中学校と並ぶ朝鮮人子弟のための官立中学校であり、旧制のエリート中学校（現在の男子高等学校）の一つだった。なんとまあ、映画『KANO』のお蔭で朝鮮併合時の野球やサッカーの歴史まで解っちゃう！それどころか、京城ゴルフ倶楽部在籍で、内地のTOPプロを招聘して育て上げた延徳春選手などhttp://www.jga.or.jp/jga/html/about_jga/vol76/sp2_2.html併合期の日本は、様々なスポーツ振興を実施していたのだ。★朝鮮のスポーツhttp://ja.wikipedia.org/wiki/% E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84★朝鮮のホームラン王　http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/31058581.html朝鮮の産業金融事情について元朝鮮殖産銀行公共金融課長金谷要作　ｐ１４３～１４４それから又野球部を組織いたしまして、各大学や甲子園出場の優秀な選手をスカウトして、東京の神宮球場の都市対抗試合に出場させました。これもＰＲ（管理人註：殖産債権販売の）の一つであります。余談になりますが、当時の京城には、鉄道局と逓信局と京城電気、それから殖銀と４つのチームがございました。このうちの優勝チームが朝鮮代表となって、神宮球場に出場することになっていたんです。（中略）殖銀の選手の中に李栄敏という朝鮮人の選手で、朝鮮のホームラン王といわれた人がおりました。小学生達でも、総督の名は知らなくても、李栄敏といえばみんな知っていたほどで、人気の的でございました。（引用ここまで）1928年6月10日紙は、2面で“京城球場設立以来初めての大本塁打, 　延喜専門の李栄敏（イ・ヨンミン）君が　塀を越えた”というタイトルと共に彼の写真を大きく載せている。あれあれ？創氏改名を強制されたはずの植民地朝鮮で朝鮮人初のホームラン記録者・李栄敏（イ・ヨンミン）君は当時の朝鮮人最大地主が創設した東亜日報でも本名の朝鮮名を名乗るヒーローだったようだ。嘉義農林学校は、　　台湾居留の日本人、漢人、アミ族の生徒比率が『KANO』の野球部の民族比率とほぼ同じだったそうだ。★嘉義農林学校校歌　http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress2/index.php?p=171最弱野球部が、近藤監督の指導の下で甲子園を目指してランニングする嘉義の市街地http://liondog.jugem.jp/?eid=197主人公の呉選手の切ない初恋？青春の象徴の自転車を走らせる長閑な田園風景。農民を苦しめる過酷な塩害や洪水・干ばつ・・・映画では、台湾バナナの品種改良に励む佐藤先生など日本人教師による農業指導の日本語の授業風景も野球部の部員の成長と共に描かれる。しかも、大沢たかおが演じる台湾の水利事業に生涯を捧げた「八田與一」のエピソードまで挿入されている。八田氏が１０年の歳月をかけて造った壮大なダム。その水が、嘉義の水路を初めて流れる光景を工事の困難さと農家の感動を、丁寧に描いている。★八田与一の功績　　李登輝講演より　http://www.foster1.com/article/13982707.html（略）皆様に日本精神は何ぞやと、抽象論を掲げて説明するだけの実力を私は持っておりません。 （司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老台北”　として登場する実業家の）蔡焜燦さんの書かれまし た「台湾人と日本精神」みたいな立派な本をもって説明することもできません。私としては日本の若い皆さんに、私が知っている具体的な人物や、その人の業績を説明し、これが日本精神の表れです、普遍的価値ですと説明した方が、皆さんにもわかりやすく、また、日本人としての誇りと偉大さを皆で習っていけると考えるものであります。 台湾で最も愛される日本人の一人、八田與一について説明しましょう。 八田與一といっても、日本では誰もピンとこないでしょうが、台湾では嘉義台南平野十五万町歩（一町歩はおよそ一ヘクタール）の農地と六十万人の農民から神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。彼が作った烏山頭ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称たたえられるでしょう。（中略）その時分では東洋一の灌漑土木工事として、十年の歳月と（当時のお金で）五千四百万円の予算で一九三〇年にこの事業を完成したときの八田氏はなんと、四十四歳の若さでありました。嘉南大の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を上げさせ、「嘉南大の父」として六十万の農民から畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。（中略）八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていました。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったのです。天性ともいえるかもしれませんが、これを育んだ金沢という土地、いや日本という国でなければかかる精神がなかったと思います。 嘉南大の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりました。嘉南大完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。（とても素晴らしいスピーチなので　是非全文をリンク先でお読みください！）★戦前外地の高校野球　http://www.koishikawaunit.net/shop/html/products/detail.php?product_id=8この映画「ＫＡＮＯ」は甲子園の伝説の重要な鍵を握っている。嘉義農林学校に勝って３連覇した中京商業。この試合以降、甲子園で３連覇を果たした高校はないそうだ。日本にとっても、伝説の一戦である三連覇を掛けた中京商業と、正々堂々と互角に戦い『天下嘉義』と称賛されたKANOは、　　　　　日本人が大好きな甲子園の精神に繋がっている。戦後日本の教育では、八田與一氏のような優れた技術者の功績を子供達は教わる事が無い・・・台湾元総統の李登輝氏のスピーチに有るように大規模ダムというハードウエアを建設するだけでなくそれを維持管理し有機的に活用するためのソフトウエアまでも考案し、連日農業指導を行い三年輪作給水法によって全農民の稲作技術を向上させ農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、生活の向上ができて初めて工事の成功であると考えた八田與一氏の偉業は、日本人の子供達にとっても、大いに学ぶべき発想です。プロデューサーであり、脚本も手がけた台湾の魏徳聖（ウェイ・ダーション）氏は日本統治下の台湾原住民セデック族の抗日運動「霧社事件」を題材にした映画『セデック・バレ』も製作。日台の歴史の光も影も、事実を描いてこそ、『KANO』が問いかける台湾の人々の誇りが見えてくる。日教組の「人権教育」よりもずっと子供達の純粋な心に浸透すると思う。李登輝氏の「国家百年の大計に基づいて　清貧に甘んじながら　未来を背負って立つべき世代に対して、　「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を　八田氏は教えてくれたと思う」という言葉の重みを深く感じる・・・戦争中、フィリピンに向かう大洋丸に乗っていた八田氏はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い沈没。奥様の八田外代樹さんはその三年後、敗戦後の台湾から日本人が一人残らず去らねばならず夫の遺した烏山頭ダムの放水口に身を投じて夫の後を追ったという・・・http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html　　★ＫＡＮＯ精神は台湾の誇り　&lt;特別対談＞李登輝vs魏徳聖　http://shuchi.php.co.jp/article/2174★映画『KANO』 日本語Facebook　https://www.facebook.com/Kano.japan　厳しい厳しい近藤監督役の永瀬さんが、早朝練習グラウンドの小石を一つ一つ拾いバケツに入れていく、そんな無言のシーンにウルル・・・政治 ブログランキングへ [&#8230;]</p>
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