【哀悼】黄昭堂 台灣獨立建國聯盟主席

投稿日:2011-11-17 - 投稿者(文責):mumeijin

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 本日、台灣獨立建國聯盟主席の黄昭堂先生が午前11時台灣大学医学部附属医院で御逝去されたと台獨聯盟辦公室(事務室)が発表しました。

黄昭堂先生は和信医院で鼻腔の手術を受けられた後、心臓停止となり台大医院に緊急転送となったが、午前11時20分に御逝去されました。享年79歳

昼頃に訃報に接した蔡英文民進党主席は医院に於いて黄先生の御家族に対して哀悼の意を表しました。また親しい友人であった姚嘉文元考試院長は黄昭堂先生との突然の別離に対し「とても驚いています。悲しい」と語り、新台灣新聞週刊発行人である詹錫奎(筆名 老包)は「彼は私の心でした。彼は真の台灣独立派指導者でした」と語った。

台灣独立運動の先駆者であった黄昭堂先生は1932年(昭和7)台南生まれ。台灣大学卒業後に東京大学大学院に留学し国際学修士、社会学(国際関係)博士に。
1959年(昭和34)日本において台灣独立運動に身を挺し1960年に「台灣獨立建國聯盟」の前身である「台灣青年社」に参加。蔣介石・蔣経国の中国国民党一党独裁体制下の台灣の民主化に尽力されその著書『台灣の法的地位』は台灣地位未定論の原点となっている。その後東京大学講師、昭和大学教授を経て、昭和大学名誉教授。台灣獨立連盟日本本部主席をつとめ、1995年から台灣獨立建國聯盟主席。著書に『台湾の法的地位』『台湾民主国の研究』他多数

在りし日の黄昭堂先生(平成22年2月27日台北市内で)

姚嘉文(ヨウ カブン)元考試院長と共に
(平成22年3月6日、於 日本李登輝友の会大阪府支部 設立記念講演会)

 

【黃昭堂(Ng Yuzin Chiautong)主席 號「有仁」 略年譜】
台灣獨立建國聯盟HP http://www.wufi.org.tw/ より

1932年 9月21日,出生於台南縣七股鄉。
1956年 台灣大學法學院經濟學系畢業。
1958年 6月14日與謝蓮治女士結婚,同年12月偕妻赴日留學。
1959年 2月進入東京大學大學院社會科學研究科國際關係論研究生
1960年 2月與王育德氏等人成立台灣青年杜。

※ 台灣青年社 於1963年5月改名為台灣青年會;1965年再改名為台灣青年獨立聯盟,1970年再改名為台灣獨立連盟日本本部。

1962年 2月東京大學大學院社會科學研究科國際關係論碩士課程畢業,獲國際學碩士學位。
1963年 5月,出任台灣青年會委員長(至1965年6月)。
1969年   3月,獲東京大學社會學(國際關係論)博士學位。
1970年10月,聖心女子大學國際關係史兼任講師(至1975年3月)。
1975年 4月,東京大學教養學部國際政治史外國人講師(至1983年3月)。
1976年 4月,昭和大學教養部政治學教授(至1998年3月退休)。
1977年 5月,台灣獨立聯盟日本本部委員長(至1983年)。
1980年 7月,兼任台灣獨立聯盟總本部副主席(至1991年)。
1989年 4月,兼任台灣獨立建國聯盟秘書長(至1993年4月)。
1992年 8月,出任台灣獨立建國聯盟日本本部委員長(至1999年);
11月25日,與妻離台34年後首度返回台灣。
1995年 8月,就任台灣獨立建國聯盟主席(迄今)。
1998年 3月,昭和大學政治學教授退休後擔任名譽教授
11月成立台日安保論壇,擔任理事長(至2006年6月)。
2000年 5月,擔任台灣總統府國策顧問;
6月,延續台日安保論壇,成立社團法人台灣安保協會,擔任理事長(至2006年6月)。
2004年   總統大選期間,擔任228百萬人牽手護台灣運動總指揮。
2004年12月5日,於義光教會許承道牧師領受洗禮。
2011年 2月25日,率先推薦蔡英文主席為2012年民進黨總統參選人。
2011年11月17日上午,因主動脈剝離辭世。

明晰な頭脳と快活でユーモアあふれる人柄で私達に強い印象を与えてくださり、心を鼓舞してくださった黄昭堂先生。また私達はかけがえのない多桑を失いましたが、きっと先生は「後は任せた、台灣を頼んだぞ」と仰られているのではないでしょうか。台灣独立の志半ばで突然逝かれた黄昭堂先生。

 
黄昭堂先生
學者・教育者・行動者・情熱漢・愛國者,そして台灣人。是勇敢的男兒的一生。黄主席的一生,男子的本懐。

河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト