2021年7月の写真
1921年4月25日、大阪毎日新聞特派員が、上海の高級住宅で、ある中国人と会見、部屋の様子を書き残している。その特派員の名は芥川龍之介(1892-1927)
3ヶ月後の7月23日、この部屋に13人の中国人が集結した。京大留学の周仏海、毛沢東(28歳)、陳公博らである。
これが「中国共産党第一次全国代表大会」となり、当時の共産党員は全土で57名とされる(『中国近現代政治史年表』家近亮子編(晃洋書房)2002)
「第一回全国代表大会」出席者13名は以下の通り(名前の後ろは年齢)
李漢俊 31
李達 31
張国壽 24
劉仁静 19
王尽美 23
鄧恩明 20
毛沢東 28
何淑衡 45
薫必武 35
陳潭秋 25
陳公博 31(汪兆銘死後、中華民国南京政府主席に就任、戦後漢奸として処刑)
包恵僧 26
周佛海 24
平均年齢は28歳、なおこの場に二人の外国人が同席している。共産主義インターナショナル(コミンテルン)の使者である、マーリンとニコルスキー。 1942年、マーリンは祖国オランダで反ナチ活動を行い処刑され、後者は写真すら存在しない
この中国共産党創立メンバー13人のうち、28年後の中華人民共和国建国時に党に残ったのは、毛沢東と董必武(副主席)の2人だけである。
大半が離党や死亡、最後まで生きた劉仁静は、1987年北京で交通事故で亡くなっている。なお中国共産党には「中国社会党」案もあった。
以上、中国共産党 第一回大会は7月23日に行われたが、1938年に結党10年を祝う際、当時の日付けが判らなくなっており、7月1日を便宜的に記念日に制定している。
2021年7月の写真
1921年4月25日、大阪毎日新聞特派員が、上海の高級住宅で、ある中国人と会見、部屋の様子を書き残している。その特派員の名は芥川龍之介(1892-1927)
3ヶ月後の7月23日、この部屋に13人の中国人が集結した。京大留学の周仏海、毛沢東(28歳)、陳公博らである。
これが「中国共産党第一次全国代表大会」となり、当時の共産党員は全土で57名とされる(『中国近現代政治史年表』家近亮子編(晃洋書房)2002)
「第一回全国代表大会」出席者13名は以下の通り(名前の後ろは年齢)
李漢俊 31
李達 31
張国壽 24
劉仁静 19
王尽美 23
鄧恩明 20
毛沢東 28
何淑衡 45
薫必武 35
陳潭秋 25
陳公博 31(汪兆銘死後、中華民国南京政府主席に就任、戦後漢奸として処刑)
包恵僧 26
周佛海 24
平均年齢は28歳、なおこの場に二人の外国人が同席している。共産主義インターナショナル(コミンテルン)の使者である、マーリンとニコルスキー。
1942年、マーリンは祖国オランダで反ナチ活動を行い処刑され、後者は写真すら存在しない
この中国共産党創立メンバー13人のうち、28年後の中華人民共和国建国時に党に残ったのは、毛沢東と董必武(副主席)の2人だけである。
大半が離党や死亡、最後まで生きた劉仁静は、1987年北京で交通事故で亡くなっている。なお中国共産党には「中国社会党」案もあった。
以上、中国共産党 第一回大会は7月23日に行われたが、1938年に結党10年を祝う際、当時の日付けが判らなくなっており、7月1日を便宜的に記念日に制定している。