台灣獨立建國運動略史
1945
昭和天皇「大東亜戦争終結ノ詔書」を発表、大東亜戦争終結。日本降伏(8.15)
第10方面軍(旧台湾軍)参謀 中宮悟郎少佐らによる台湾独立計画「台湾治安維持会事件」(8.16)。
日本降伏文書に調印(9.2)
マッカーサー「一般命令第一号」発令。蔣介石に台湾占領を命令(9.2)台湾総督・安藤利吉、降伏式典で台湾の行政権を台湾省行政長官・陳儀に引き渡す。
1946
台北市民一千人による反中デモ発生(1.22)在台日本人(軍民併せて49万人)の引揚げ完了。国民党が必要とする日本人技術者・教師など2万8千人が「留用者」として残留(4.20)勅令により台湾総督府廃止(5.31)日本の台湾統治終焉。
1947
煙草の密売をめぐる市民と警察の衝突(2.27)二・二八事件。「二・二八事件処理委員会」召集(3.2)。謝雪紅(台湾共産党創設者)ら台中で蜂起(3.2)嘉義中学・嘉義飛行場、高雄市等で蜂起軍と国民党軍との間で激戦。武装組織「二七部隊」が結成(3.6)台中から南投埔里(中部山岳地域)に退却(3.12)のち瓦解。国民党政権の増援軍の上陸開始(3.8)台湾人に対する大虐殺開始。一ヶ月余で殺害された台湾人は中国国民党発表で約28,000人。
1948
蔣介石が第一代中華民国総統に就任(5.20)台湾再解放同盟の寥文毅ら、国連に台湾の信託統治を請願(9.1)
1949
四六事件、師範学校学生200名余が学園紛争を企図したとして逮捕(4.6)戒厳令施行(5.20) 中華人民共和国樹立(10.1)。中華民国政府、台北を臨時首都とする「遷都」を決定(12.7)総統府・行政院の役人が成都から台北に到着(12.8)蔣介石、台北に到着(12.10)
1950
蔣介石が台湾で総統に「復職」(3.1)
朝鮮戦争勃発(6.25)
1951
サンフランシスコ平和条約(9.8)
日本と連合国、講和。「日本の台湾・澎湖諸島の権利、権原及び請求権の放棄(第2条 (b) )」
日本は台湾を放棄したが、台湾の帰属は決定されず、地位は未定
1952
日華平和条約調印(4.28)発効(8.5)~失効1972.9.29
中華民国を政府承認するも、台湾を領土とは承認せず
高砂族共産スパイ事件で原住民唯一の省参議員であったロシン・ワタン(楽信瓦)逮捕投獄(11月)銃殺(1954.4.17)史明ら「台湾独立革命武装隊」による蔣介石暗殺謀議事件。史明、日本亡命
1953
呉国楨 台湾省政府主席を離任後に米国へ亡命(5月)
1954
台米(華米)相互防衛条約(12.2)
1955
孫立人事件(8月) 部下の中国共産党スパイ事件で解任され、1988年まで軟禁
1956
寥文毅・台湾独立党、東京で台湾共和国臨時政府を樹立(2.28)
1957
米兵による劉自然少佐射殺事件、台北で蒋経国の指揮によるとされる反米暴動事件。戒厳令布告(5月)日本の首相として岸信介が訪台、台北松山空港に到着(6.2)蔣介石と会談(6.3)
1958
金門島砲戦勃発、台湾海峡緊迫(8月23日 – 10月5日)、中国からの砲撃の最後は1979.1.1
1959
チベット蜂起(3.10) ダライ・ラマ14世インドへ亡命 蔣介石・ダレス共同声明で、武力による大陸反攻を放棄(10.23)
1960
高雄で地方派閥への弾圧がきっかけに戒厳以来最初の政治的デモ行進発生(1.21)東京で王育徳を中心に台湾独立を主張する台湾青年社結成(2.28)、『台湾青年』創刊(4.10)『自由中国』編集責任者雷震、逮捕される(9.4)『自由中国』が差し押さえとなり「中国民主党」結党失敗(10.8) 雷震釈放後に「中華台湾民主国」の国号を主張
1961
雲林県県議会議員 蘇東啓が台湾独立を首謀した容疑で200余名らと共に逮捕(9月)
1962
寥文毅台湾独立事件で200余名が逮捕される(1月)
1963
台湾青年社が台湾青年会に改称、黄昭堂が中央委員長に就任
1964
趙志華によるクーデター未遂事件(湖口兵變事件1.21)池田勇人首相答弁「サンフランシスコ講和条約で台湾を放棄したがその帰属は未定」(2.29)陳純真事件で黄昭堂以下七名が警視庁に逮捕される(7.23)彭明敏らによる独立宣言「台湾人民自救宣言事件」で、彭明敏・謝聡敏・魏廷朝が逮捕される(9.20)
1965
辜寛敏が台湾青年会委員長に選出(8月)台湾青年会が台湾青年独立連盟に改称(9月)
1966
在日台湾学連誼会『台生報』を創刊(1.25)中国で文化大革命勃発、劉少奇・鄧小平ら失脚(5月 紅衛兵出現)米国で全米台湾独立聯盟結成(6月)
1967
台湾青年独立連盟、日本語誌『台湾』創刊(1月)金門島北上空で中共軍と空中戦(1.13)米国で全米台湾独立聯盟成立(6月)台湾大衆幸福党一斉検挙事件(8月)
1968
柳文卿事件(3月)、台湾独立を主張する「全国青年団結促進会」を結成したとして林水泉ら270余名が逮捕。林水泉事件(8月)
1969
岸信介元首相が極秘訪台。蔣介石に対し台湾独立(台湾共和国)も視野に国連残留を勧告
1970
米国で全米台湾独立聯盟・台湾青年独立連盟・欧州台湾独立聯盟・カナダ台湾台湾人権委員会・台湾自由聯盟(台湾内の地下組織)の五団体が統合し台湾独立建国聯盟結成(1.1)台北市内で軟禁中の彭明敏、スウェーデン亡命に成功(1.3)N.Yで台湾独立建国聯盟の黄文雄と鄭自才による蔣経国狙撃事件(4.24)台湾独立聯盟日本本部、許世楷が委員長に選出(6月)
1971
台湾に「保釣(釣魚島=尖閣諸島を守れ運動)出現(4.13)台湾独立聯盟日本本部の小林正成が台北市で台湾民主化を求めるビラをまき逮捕5.17)周恩来、キッシンジャーに「(国連総会でアルバニア決議案が可決された場合)台湾の法的地位未定」を語る。中華民国(台湾)を追放し中華人民共和国に代表権を与える為の「アルバニア決議案」(共同提案国23カ国)が採択(10.25)中国国連に加入、「中華民国」国連を脱退(10.26)台湾キリスト教長老派教会、台湾住民の自決を求める「国是声明」を発表、民主化を訴える(12.17)
1972
日中国交正常化・日華平和条約廃棄・
日台断交
(9.29)
1973
米国、台湾への無償軍事援助の打ち切りを決定(6.8)
1974
世界台湾同郷会成立(9.7)
1975
ローマ字表記の台湾語聖書没収(1月)
蔣介石死去(4.5)
厳家淦、総統職就任(4.28)世界台湾同郷会聯合会成立(9.7)「白雅燦事件」 蔣経国への公開質問状を準備し反乱罪で逮捕(10月)
1976
王幸男(のち民進党議員)による国民党要人暗殺未遂事件(10.10)
1977
東京で「台湾の政治犯を救う会」結成(7.24)台湾キリスト教長老教会「人権宣言」」発表(8.16)中壢事件(チュウレキジケン)桃園県長選挙の不正で騒擾、軍が出動(11月)
1978
蔣経国総統職に就任(5.20)
1979
台米断交、米中国交正常化(1.1)
数千人が米国大使館前で抗議(1.16)米国議会「台湾関係法」制定(4.10)米国軍事顧問団解散(4.30)高雄で国際人権デ―記念集会(12.10)、美麗島事件に発展
1980
長老教会総幹事の高俊明ら10名が逮捕(4.24)立法委員・国民大会代表増員選挙、美麗島グループ全員当選(12月)
1981
李登輝、台湾省政府主席に就任(12月)
1982
米国有力議員らの連名で蔣政権に民主化要求(5.20)
1983
民主進歩党の源流「党外編輯作家聯誼会」結成(9月)
1984
民進党の源流となる「党外公職人員公共製作研究会」結成(2.25)鄭南榕、『自由時代』創刊(3.12) 『蒋経国伝』著者の江南(劉宜良)が米国の自宅で暗殺される「江南事件」(10.16)
1985
米国レーガン大統領、台湾民主化を勧告(8.17)
1986
「五一九事件」鄭南榕、江鵬堅ら独立推進派約500名が台北市内でデモ。その後龍山寺で戒厳令解除を求め座り込み抗議(5.19)新政党禁止法を無視して民主進歩党(民進党)結成 「政府は承認せず 取り締まらずの態度」事実上の黙認(9.28)
1987
鄭南榕、公然と台湾独立を主張(4.18)台湾独立聯盟を台湾独立建国聯盟に改称(5.12)戒厳令解除を要求する五一九デモ(5.19)世界史上最長の戒厳令が解除される(7.15) 新党結成相次ぐ「中国自由党」(7.11日)、「中国民主正義党」(10.4)、「工党」(労働党,11.1)、「中国民衆党」(11.21)
1988
蔣経国急死、副総統の李登輝が総統に昇格(1.13)
五二〇事件 中南部農民が台北街頭で請願デモ。警察と衝突(5.20)『自由時代週刊』発行者 鄭南榕、許世楷の『台灣共和國憲法草案』を誌上に掲載(12月)
1989
鄭南榕、『台湾共和国憲法草案』誌上掲載を理由に叛乱罪の容疑で起訴され、言論の自由に対する弾圧に抗議し自殺(4.7) 二二八事件を描いた侯孝賢監督『悲情城市』がヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞
1990
五二〇事件 「野百合三月学生運動」 大学専門学校学生が中正記念堂に座り込み絶食 「法統」国会の廃止を要求(5.20)
1991
民進党、基本綱領に「台湾共和国樹立」を加える。
1992
立法院、刑法を改正し台湾独立を主張を合法化(5.15)中韓国交樹立、台韓国交断絶(8.24)
1993
統一地方選挙で、民進党6名が県長に当選(11.27)
1994
李登輝・司馬遼太郎対談で李氏「国民党政権は外来政権」と発言(5月)
1995
李登輝、政府を代表し二二八事件の犠牲者家族に謝罪(2.28)下関条約100周年 台湾各地で一万五千人の独立要求デモ(4.16)
1996
急進的独立派の建国党が成立(台湾共和国の建国と、中華民国の存在を否定し、国民党の台湾統治を違法と主張)
1997
台湾中心の歴史を教える『認識台湾(台湾を知る)』の過程を中学に導入
1998
台北市長に馬英九、高雄市長に謝長廷が当選(12.5)日本のマスメディア、台北支局開設相次ぐ
1999
李登輝、「二国論」を提起。台湾と中国は「特殊な国と国との関係」と発言(7.9)中国猛反発
2000
陳水扁が総統に当選(3.18)
中国に向け在任中「五つのNo」を約束①独立を宣言せず②国名を変更せず③二国論を憲法に盛り込まず④統一か独立かといった現状の変更に関する住民投票は行わず⑤国家統一綱領や国家統一委員会を廃止することもしない
2001
在日台湾同郷会による台湾正名運動始まる(6.11)李登輝を精神的指導者とする台湾団結聯盟結成。「台湾」と名の付く初めての政党(8.12)李登輝、反党行為を理由に国民党除名される(9.21)
2002
陳水扁政権「中華民国領土内の大陸地区部分」のうち「外蒙古(モンゴル国)」独立を事実上承認(1月末)
511台湾正名運動に15万人(5.11)
陳水扁、台湾と中国は「一辺一国(それぞれ一つの国)」と発言(8.2) 日台関係強化・台湾独立支持者らを中心に「日本李登輝友の会」設立(12.15)
2003
李登輝「中華民国はすでに存在しない」と明言(8.23)台湾外交部(外務省)が表紙に「TAIWAN」と記入した新旅券を発行(9.1)中国反発。台北で「台湾正名運動連盟」主催、国名を「中華民国」から「台湾」に求める「台湾正名10万人デモ」に李登輝参加「1971年に中華人民共和国が国連で議席を得た時点で中華民国は消滅した。現在の中華民国は正常な国家ではない。国土は無く国名が台湾に残っているだけだ。いつの日か我々の国家の本当の名は『台湾』であると叫べるようにしよう」と演説(9.6)なお200名近くの日本人が参加。
2004
陳水扁参加の220万人による「人間の鎖デモ」(2.28)陳水扁が総統に再選(3.20)台湾制憲運動発起大会(代表李登輝、執行責任者黄昭堂)
2005
中国・全国人民代表大会「反国家分裂法」採択(3.14)台北でこれに抗議する100万人デモ(3.26)台湾団結連盟 蘇進強主席 靖国神社参拝(4.4)連戦中国国民党主席が訪中し胡錦濤中国共産党総書記と会談(4.29)
2006
胡錦濤・連戦会談、「統一」への協力で合意 「国家統一綱領」「国家統一委員会」を事実上廃止。台湾独立企図として中国が非難(2.27)林志昇ら、米国政府に対し連邦裁判所を通じて「台湾民権保障」の訴訟を起こす(10月)
2007
李登輝、靖国神社参拝(6.7)台湾が初めて台湾名義での国連加盟を申請(7.20)、1993年以来毎年「中華民国」名義での国連加盟申請は行っていた。
2008
立法委員選挙で中国国民党が圧勝(1.12)台北に台湾平民政府が設立(2.2)
馬英九が「中華民国総統」に就任
(5.20)
2009
齋藤正樹交流協会台北事務所代表(駐台湾日本大使)による「台湾帰属未定」発言(5.1)馬政権これに反発。台北で60万人、高雄で20万人の大規模デモ。「反傾中護台湾(馬政権の中国傾斜に反対し、台湾を守ろう)」のスローガンを掲げる(5.17)
2010
独立派による反ECFA(中台の経済協力枠組み協定)10万人デモ、李登輝「棄馬保台(馬英九政権を捨て、台湾を護ろう)」 を呼号し連帯(6.26)ワシントンDCに台湾平民政府代表処が開設(9.8)五大市長選挙(台北市・新北市・台中市・台南市・高雄市)
2011
3.11 東日本大震災(死者行方不明者19,000名以上)に対し、200億円超の義援金が台灣から届く
11.17 黄昭堂台灣獨立建國聯盟主席逝去(享年79歳)
2012
1.14 総統選挙で馬英九氏が勝利し、第13代中華民国総統に就任(5.20)
6.7 陳南天(本名 陳重光)氏が台灣獨立建國聯盟主席に選出される(任期~2013年9月)
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【告知】8/19(日)東京・大阪同時開催!2020東京五輪 台湾正名署名活動 〜東京オリンピックに「台湾」の名称で参加を!
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