衆議院選挙における選挙管理委員会の「ミス」

投稿日:2014-12-16 - 投稿者(文責):mumeijin

このエントリーをはてなブックマークに追加


「一票の格差」で鬼の首を獲った様な報道が行われる「前回の衆議院選挙は無効だ」「一票の格差の是正を」と。ただ東京都心と奈良県十津川村の一票が同格な訳が無いのでは、とふと思ってしまう。地方、特に過疎地に居住する有権者はそれだけで価値が有る、とでもいう様な発想が無ければ、今後も東京一極集中は加速、地方は衰退の一途を辿る様に思えてくるのだ。

南アルプスという奇妙な市名の自治体がある。長野県かと思いきや山梨県に属する。この南アルプス市が県外在住者向けの不在者投票用紙に前回(平成24年)衆議院選挙「比例政党名簿」を誤って郵送したことがニュースになっている(*1)。

二年前の選挙用紙を廃棄もせずに利用して、そのことに選管の誰も気付かず、選管のミス(故意or過失)にも関わらず、やり直し投票は制度上認められないという不条理さ。票数(24票)や、政党名簿に掲載されなかった政党がどこであるかは問題では無いのだ。

「過失でしたから謝罪します」だけで済むならば、過失を装って幾らでも不正が行われる可能性が有る。現実に今年八月に結党した「次世代の党」の記載がされておらず、次世代の党に投票を希望する有権者の一票が奪われている。次世代の党に投票出来なかった人物が少なくとも一人存在するという点で、これも当然「一票の不平等」に該当するのではないか。

なお前回参議院選挙で世間を騒がせた高松選管の不正開票事件では市職員が懲役10月、執行猶予3年、という刑が言い渡されているが、民主主義制度の信用を失墜させたという犯罪としては刑が軽過ぎる。なお報道機関の多くは「前々回の(=5年前)比例政党名簿云々」と報道しているが、次世代の党が公表する現物写真は、どうみても平成24年(二年前)のものである。


(*1)
[産経ニュース12/12]次世代が南アルプス市に抗議 前々回の名簿を郵送し「投票権奪われた」

次世代の党は12日、山梨県南アルプス市選挙管理委員会が不在者投票を請求した有権者向けに郵送した比例代表の名簿に同党名が記載されていなかったとして「不在者投票をした方は、次世代の党に投票する権利を奪われた」と抗議した。

市選管は、投票用紙とともに、山梨1区候補者名と比例代表南関東ブロックに候補者を擁立した政党名の名簿を同封、送付した。だが、政党名簿は平成21年の前々回衆院選のもので、解党した国民新党やみんなの党は記され、次世代や維新の党はなかった。

不在者投票をした有権者が10日、市選管に問い合わせたため発覚した。市選管によると、誤った名簿を郵送した有権者は37人で、うち24人がすでに投票を済ませた。投票のやり直しはできないという。

次世代の党発表資料

次世代の党が公表した南アルプス市の不在者投票の比例代表名簿など。
次世代の党発表「選挙管理委員会による「次世代の党」隠しに抗議する」より。



次に、以下は京都市で発生した開票時の「ミス」を報じる京都新聞の記事である。これも酷いもので、危うく次世代の党に投票した1500人有権者の意志が共産党票に組み込まれるというあってはならないことが行われるところであった。京都府選管の注意深い担当者の指摘がなければ、発覚せずに終わる可能性も有った事件である。伏見区選管は一票の重みをどう考えているのか。

「伏見区選管によると、集計ミスの原因は次世代の党と共産党の票の集計を同じ職員が担当して混同(NHK報道)」したということだが、「次世代の党と共産党の票の集計を同じ職員が担当」するという紛らわしい役割分担を本当に行っているのか。これ以外にも表沙汰に成っていないケースは有ると勘ぐってしまう。


[京都新聞12/15]次世代の比例票、共産に混入 京都・伏見で1500票集計ミス

14日投開票された衆院選で、京都市選挙管理委員会事務局は15日、伏見区で次世代の党の比例票1500票が共産党の票に紛れ込み、誤って集計して いたと発表した。同事務局は同区の次世代の党の比例票を1881票、共産党を1万8206票に訂正した。京都府選管事務局は「当落に影響はない」としてい る。

市選管事務局によると、伏見区の開票作業は14日午後9時20分から始まり、比例代表は15日午前0時14分に結了した。次世代の党の比例票は381票で、同市内の他の行政区に比べて同党の票の割合が極端に少なかったことから、府選管が再点検を指導した。

伏見区選管は帰宅していた立会人らを呼び戻し、比例票を点検し直し、誤りが分かったという。

市選管事務局は票が紛れ込んだ原因を「調査中」としている。宇都宮壮一市選管委員長は「市民の信頼を損ない誠に申し訳ない。再発防止に全力で取り組む」とコメントした。


*当落に影響が無ければ批判の声を挙げても意味が無い、という意見を見聞きするが、それは間違っている。議会制民主主義という現状最善とされる制度を維持する場合、投開票時における不正というものは、いうまでもなく「不正の多寡」ではなく「不正の存在」そのものが批判されるべきなのである。


 

河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト