台灣独立活動家達と尖閣諸島 -不屈の人、史明氏インタビューから-

投稿日:2010-12-24 - 投稿者(文責):mumeijin

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史明氏 今年2月28日 龍山寺前「二二八獨立鐘」集会にて(撮影 松井光彦)

 
史明(本名 施朝暉 1918-  )
獨立台灣會設立者。1950(昭和25)年、台北市郊外で白色テロの首謀者 蔣介石暗殺を画策するも計画が発覚し、1952年3月基隆を経て5月に日本に逃亡。蔣政権による身柄引き渡しの要請がおき、日本政府によって政治亡命を認められる。なお当時日本は第三次吉田茂内閣であった。1967
(昭和42)年には蔣経國の暗殺を企図している。
台灣民主化以降には中国国民党「最後一個黑名單(最後のブラックリストの一員)」とされ、史明氏が祖国に帰国出来たのは、亡命から40年を経た李登輝総統時代の1993(平成5)年の事でした。社会主義に立脚した左派台灣独立活動家
として知られ、著作の『臺灣人四百年史』は台灣民族主義を鼓舞したものとして世評に名高い。写真の2.28事件追悼集会、史明氏の登壇時に敬意を表した盛大な拍手が参加者からおきた。


  日本留学時代の施朝暉(シ・チョウキ)、後の史明氏。学生時代に社会主義に傾倒したという。1937(昭和12)年頃の写真

 下記動画は2005(平成17)年4月26日、胡錦濤中国共産党総書記との会談を行う連戦中国国民党主席の訪中を阻止する為に桃園国際空港に現れた史明氏と獨立台灣會メンバー100余名。高速道路に70台のタクシーを動員し桃園国際空港へ向かう連戦氏の車列を堂々妨害、空港内での抗議活動を行った事により逮捕される、史明氏86歳。

1∕2 獨立台灣會史明四二六桃園機場堵連戰事件

2∕2 獨立台灣會史明四二六桃園機場堵連戰事件



【産経新聞記事より】
尖閣諸島経由し台湾密航、返還前 独立運動家が度々上陸  

沖縄→台湾密航の中継地

 沖縄・尖閣諸島が米国から返還される前の一時期、台湾密航の中継地として利用され、台湾の独立運動家らがたびたび上陸していたことが、日本に亡命経験のある台湾人運動家の証言で分かった。当時、尖閣諸島では沖縄と台湾の漁民同士が頻繁に交流していたともいい、返還前の島の実情を知る手がかりになりそうだ。
 この証言は、台湾独立運動家の史明さん(92)が、ノンフィクション作家の平野久美子さんのインタビューに答えたもので、25日発売の雑誌「正論」2月号に掲載されている。
それによると、史明さんは1950年に蒋介石暗殺を計画したが事前に発覚し、日本に政治亡命した。1968年以降、台湾で地下活動を続けるため、沖縄の漁船をチャーターして尖閣諸島の魚釣島に上陸、ここで台湾籍の船に乗り換え、密航を繰り返していたという。
尖閣諸島経由の密航は、沖縄の施政権が米国から日本に返還される1972年まで行われていた。当時、尖閣諸島には沖縄と台湾の漁民が訪れ、魚釣島には台湾の漁民が休息するための浜小屋が点々と建っていたという。また、沖縄の漁民が取った魚を台湾の漁民の生活用品と物々交換するなど交流も活発だった。
史明さんの話では、台湾の漁民は、現在でも尖閣諸島周辺の漁業権を求めているが、島の領有権までは求めていない。日本の領有に反対する台湾での抗議活動の中心人物は「漁民でも台湾人でもなく、香港系の中国人」であり、「香港から船を何隻も雇い、そこに金で雇った台湾人が乗船している」という。
史明さんは、李登輝総統の誕生で台湾が民主化された1993年に帰郷が許され、現在も台湾独立のための運動を続けている。中国の領土拡張政策を警戒しており、「日本はすぐにでも自衛隊を魚釣島に上陸させないと、中国に乗っ取られてしまう」と話している。

以上 平成22年12月24日(金)
産経新聞朝刊 大阪市内版 2面より 


 

平野久美子さんによる史明氏へのインタビュー記事は『正論』2月号p108-116を御覧ください。気魄と情熱の人、史明の台灣魂は今も健在である。

史明氏「台灣はそのうち必ず独立します、これは歴史の必然です。」

獨立台灣會 http://www.tw400.org.tw/


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