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この度の東北地方太平洋沖地震による被害を受けられ皆様に謹んで御見舞申し上げます。そしてお亡くなりになられた方々には、衷心より哀悼の意を表します。
以下は地震発生四日前の3月7日(月)に永山英樹台湾研究フォーラム会長と共に、観心寺~楠妣庵観音寺~千早城址~岡潔博士生誕地~高野山に参拝した時の様子です。御存知の様に、岡潔(オカ キヨシ)は日本主義者としても高名な数学者・文化勲章受章者です。
(左)永山英樹台湾研究フォーラム会長 於観心寺楠木正成像前 (右)檜尾山観心寺金堂(国宝) 当寺は大宝元年(701)に開創されたという古刹
(左)判り辛いですが、これは観心寺境内にある天誅組讃蹟碑です。文章は久保得二台北帝国大学教授によるもの。
(右)第97代 後村上天皇陵(檜尾陵と書いてヒノオノ ミササギと読む)。 後村上天皇は南朝二代の天皇(初代 後醍醐天皇、三代 長慶天皇、四代 後亀山天皇)
(左)楠木正成が籠城した、千早城址(大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早)にて。 当時の文献には千早を「千剣破」と表記する場合もあるようです。
(右)高野山真言宗総本山金剛峯寺にて祖国日本の弥栄と台灣建国を祈願!この日の高野山は14時頃で気温2度、残雪がありました。冬季の平日という事で観光客は少なかったのですが、世界遺産登録(平成16年)の影響で欧米からの観光客も増えました。
『太平記』は圧倒的な兵力の鎌倉幕府軍に包囲されながらも、後醍醐天皇に忠誠を尽くし孤軍籠城し続ける楠木正成を次のように不思議の想いで描写している。そして局地的戦闘に過ぎない千早城合戦と守将 楠木正成は後世、尊皇思想に多大な影響を与えるのである。左の肖像画は楠妣庵観音寺蔵 狩野山楽筆「楠木正成画像」
此(コノ)勢にも恐(オソレ)ずして、纔(ワズカ)に千人に足(タラ)ぬ小勢(コゼイ)にて、誰を憑(タノ)み何(イツ)を待(マツ)共(トモ)なきに、城中にこらへて防ぎ戦(タタカヒ)ける楠が心の程こそ不敵なれ『太平記』より
高野山を象徴的する建築物である根本大塔を背に。
右:永山英樹 台湾研究フォーラム会長 左:田邊憲司 台灣建國應援團副代表
高野山の雪は粉塵が少ない為か非常に蒼味がかった美しく儚げなものでした。
ここ高野山で一際目を引くのが鮮烈な朱色が印象的な根本大塔、高さは48.48m有するそうです。霊宝館HPに根本大塔略史が掲載されています。
《伽藍根本大塔年表》 http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/garan/hall/daito/c_table%20.html 《高野山世界遺産登録について》http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/cultural/w_heri.htm
余裕が有りましたら、このまま吉野神宮~橿原神宮~天野山金剛寺を経て仁徳天皇陵参拝~新大阪駅とまで考えておりましたが、さすがに時間がそれを許しませんでした。お付き合い下さりました永山英樹台湾研究フォーラム会長、誠に有難う御座いました。
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この度の東北地方太平洋沖地震による被害を受けられ皆様に謹んで御見舞申し上げます。そしてお亡くなりになられた方々には、衷心より哀悼の意を表します。
以下は地震発生四日前の3月7日(月)に永山英樹台湾研究フォーラム会長と共に、観心寺~楠妣庵観音寺~千早城址~岡潔博士生誕地~高野山に参拝した時の様子です。御存知の様に、岡潔(オカ キヨシ)は日本主義者としても高名な数学者・文化勲章受章者です。
(左)永山英樹台湾研究フォーラム会長 於観心寺楠木正成像前
(右)檜尾山観心寺金堂(国宝) 当寺は大宝元年(701)に開創されたという古刹
(左)判り辛いですが、これは観心寺境内にある天誅組讃蹟碑です。文章は久保得二台北帝国大学教授によるもの。
(右)第97代 後村上天皇陵(檜尾陵と書いてヒノオノ ミササギと読む)。
後村上天皇は南朝二代の天皇(初代 後醍醐天皇、三代 長慶天皇、四代 後亀山天皇)
(左)楠木正成が籠城した、千早城址(大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早)にて。
当時の文献には千早を「千剣破」と表記する場合もあるようです。
(右)高野山真言宗総本山金剛峯寺にて祖国日本の弥栄と台灣建国を祈願!この日の高野山は14時頃で気温2度、残雪がありました。冬季の平日という事で観光客は少なかったのですが、世界遺産登録(平成16年)の影響で欧米からの観光客も増えました。
『太平記』は圧倒的な兵力の鎌倉幕府軍に包囲されながらも、後醍醐天皇に忠誠を尽くし孤軍籠城し続ける楠木正成を次のように不思議の想いで描写している。そして局地的戦闘に過ぎない千早城合戦と守将 楠木正成は後世、尊皇思想に多大な影響を与えるのである。左の肖像画は楠妣庵観音寺蔵 狩野山楽筆「楠木正成画像」
此(コノ)勢にも恐(オソレ)ずして、纔(ワズカ)に千人に足(タラ)ぬ小勢(コゼイ)にて、誰を憑(タノ)み何(イツ)を待(マツ)共(トモ)なきに、城中にこらへて防ぎ戦(タタカヒ)ける楠が心の程こそ不敵なれ『太平記』より
高野山を象徴的する建築物である根本大塔を背に。
右:永山英樹 台湾研究フォーラム会長
左:田邊憲司 台灣建國應援團副代表
高野山の雪は粉塵が少ない為か非常に蒼味がかった美しく儚げなものでした。
ここ高野山で一際目を引くのが鮮烈な朱色が印象的な根本大塔、高さは48.48m有するそうです。霊宝館HPに根本大塔略史が掲載されています。
《伽藍根本大塔年表》 http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/garan/hall/daito/c_table%20.html
《高野山世界遺産登録について》http://www.reihokan.or.jp/yomoyama/various/cultural/w_heri.htm
余裕が有りましたら、このまま吉野神宮~橿原神宮~天野山金剛寺を経て仁徳天皇陵参拝~新大阪駅とまで考えておりましたが、さすがに時間がそれを許しませんでした。お付き合い下さりました永山英樹台湾研究フォーラム会長、誠に有難う御座いました。