樺山(カバヤマ)という姓に気付き検索してみると、やはり曽祖父は樺山資紀(海軍大将・初代台灣総督)だということです。
お亡くなりになられた樺山卓司(カバヤマ タカシ) 東京都議、御自身も東京都議会の自由民主党日台友好議員連盟会長であったとのこと。今ではごく当然の事となりましたが日華友好議員連盟ではなく「日台友好議員連盟」とされている事に義侠心を感じます(*1)。また樺山卓司さんのブログからは薩摩人 樺山資紀(カバヤマ スケノリ)譲りの剛毅な人物であったらしい事が垣間見えます。
明朗な人柄と物事の理非を通す直線的な生き方から党派を超えて親しまれていたとのこと。
衷心より追悼の意を表します。
東京都議会議員の樺山卓司氏(63)=葛飾区選出、自民=が1日未明、同区内の自宅兼事務所で死亡していたことが、警視庁葛飾署などへの取材で分かった。同署は、自殺の可能性が高いとみて調べている。
同署などによると、同日午前3時ごろ、樺山氏が自宅兼事務所の2階で頭にポリ袋をかぶって倒れているのを家族が発見し、119番通報。病院に搬送されたが、死亡が確認された。 都議会事務局などによると、樺山氏は、日本大学在学中には民族派学生組織・全日本学生評議会を結成。葛飾区議を3期務めて、平成5年に都議に初当選、5期目だった。
■議会は与野党勢力拮抗
系譜そのものの詳細は判明しませんが、台灣側の表現では故人の曾祖父が樺山資紀初代台灣総督である事を明記しています。
台北経済文化代表処HP 平成18年(2006)4月14日「各方面で絆深める台日関係 さらなる飛躍を期待」 http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=45470&ctNode=3591&mp=202&xq_xCat=diplomacy&nowPage=81&pagesize=15
Ministry of Foreign Affairs Republic of China(Taiwan)HP (「中華民国(台灣)外交部」となる) http://www.mofa.gov.tw/webapp/content.asp?cuItem=19413&mp=6
(*1)日本が中国国民党一党独裁政権時代の台灣(中華民国を称す)と国交を維持していた時点までは、両国は「日華」と呼び表していた。しかし昭和47年(1972)9月に日本が中華人民共和国と国交を結び日華断交を行うと同時に、中国共産党は日本政府等が台灣との関係を「日華」とする事に反対。また台灣独立を連想させる「日台」表記については蔣介石政権と中国共産党政権の「両中国」がこれを認めなかった。台灣との実務関係を維持する為の日本側窓口団体が日台交流協会でも日華交流協会でもなく、単に「交流協会」となったのはそれが理由と言われる。なお台灣側の窓口組織は当初「亜東関係協会」、現在の台北駐日経済文化代表処。
〇財団法人 交流協会 http://www.koryu.or.jp/ 〇台北駐日経済文化代表処 http://www.taiwanembassy.org/JP/mp.asp?mp=202
【関連】 いざ!駐日台北経済文化代表処 -台灣入国査証を求め- http://ilha-formosa.org/2011/05/13/idemandthevisa/
樺山(カバヤマ)という姓に気付き検索してみると、やはり曽祖父は樺山資紀(海軍大将・初代台灣総督)だということです。
お亡くなりになられた樺山卓司(カバヤマ タカシ) 東京都議、御自身も東京都議会の自由民主党日台友好議員連盟会長であったとのこと。今ではごく当然の事となりましたが日華友好議員連盟ではなく「日台友好議員連盟」とされている事に義侠心を感じます(*1)。また樺山卓司さんのブログからは薩摩人 樺山資紀(カバヤマ スケノリ)譲りの剛毅な人物であったらしい事が垣間見えます。
明朗な人柄と物事の理非を通す直線的な生き方から党派を超えて親しまれていたとのこと。
衷心より追悼の意を表します。
東京都議会議員の樺山卓司氏(63)=葛飾区選出、自民=が1日未明、同区内の自宅兼事務所で死亡していたことが、警視庁葛飾署などへの取材で分かった。同署は、自殺の可能性が高いとみて調べている。
同署などによると、同日午前3時ごろ、樺山氏が自宅兼事務所の2階で頭にポリ袋をかぶって倒れているのを家族が発見し、119番通報。病院に搬送されたが、死亡が確認された。
都議会事務局などによると、樺山氏は、日本大学在学中には民族派学生組織・全日本学生評議会を結成。葛飾区議を3期務めて、平成5年に都議に初当選、5期目だった。
■議会は与野党勢力拮抗
MSN産経ニュース(7/1)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110701/crm11070113040017-n1.htm
系譜そのものの詳細は判明しませんが、台灣側の表現では故人の曾祖父が樺山資紀初代台灣総督である事を明記しています。
台北経済文化代表処HP
平成18年(2006)4月14日「各方面で絆深める台日関係 さらなる飛躍を期待」
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=45470&ctNode=3591&mp=202&xq_xCat=diplomacy&nowPage=81&pagesize=15
Ministry of Foreign Affairs Republic of China(Taiwan)HP
(「中華民国(台灣)外交部」となる)
http://www.mofa.gov.tw/webapp/content.asp?cuItem=19413&mp=6
(*1)日本が中国国民党一党独裁政権時代の台灣(中華民国を称す)と国交を維持していた時点までは、両国は「日華」と呼び表していた。しかし昭和47年(1972)9月に日本が中華人民共和国と国交を結び日華断交を行うと同時に、中国共産党は日本政府等が台灣との関係を「日華」とする事に反対。また台灣独立を連想させる「日台」表記については蔣介石政権と中国共産党政権の「両中国」がこれを認めなかった。台灣との実務関係を維持する為の日本側窓口団体が日台交流協会でも日華交流協会でもなく、単に「交流協会」となったのはそれが理由と言われる。なお台灣側の窓口組織は当初「亜東関係協会」、現在の台北駐日経済文化代表処。
〇財団法人 交流協会 http://www.koryu.or.jp/
〇台北駐日経済文化代表処 http://www.taiwanembassy.org/JP/mp.asp?mp=202
【関連】
いざ!駐日台北経済文化代表処 -台灣入国査証を求め-
http://ilha-formosa.org/2011/05/13/idemandthevisa/