日本李登輝友の会機関誌『日台共栄』に副団長・田邊憲司のコラムが掲載

投稿日:2010-05-10 - 投稿者(文責):warsaw

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『日台共栄』平成22年5月1日発刊 通巻26号

日台共栄5月号本文

日台共栄5月号掲載コラム本文

日台共栄5月号

日台共栄5月号表紙

  

 

 

 

 

 


日章旗を掲げて二二八追悼式典へ

感動の二二八訪台記
会員・台灣建國應援團 田辺 憲司

「日本国内で台湾建国の意義を周知させ、日本と台湾の友好を促進させる」「台湾の友好団体と協力し、要請があれば、それに即応し現地で協力する」という目的で今年二月、私達が大阪で結成したのが「台灣建國應援團」である。有志三人からの出発だが、発足第一回目の活動として、二月下旬に訪台した。目的は「日本は台湾の主権を放棄したが、その主権を中華民国に返還などしていない。台湾の地位は未定のままである。台湾人による台湾国建国運動を我々日本人が応援する」との思いを行動で示すことにあった。

そして二二八事件記念日の二月二十八日、台湾国弁公室が台北の名刹龍山寺前の公園で行われた「二二八事件追悼・台湾国建国運動」(式典)に参加した。少しでも建国派の人々を激励することができればとの思いからだ。

メンバーは松井光彦氏と私の二人である。先ずは開会前、会場の公園の片隅で日章旗や横断幕を掲げることにしたのだが、「日本人の行動は出過ぎと思われはしないか」との一抹の不安もあった。しかし現地に着くと、それが杞憂だということがすぐに判った。


私達はあっという間に群衆に取り囲まれた。そして準備に手を貸してくれるなどしたのだ。「日本は台湾独立建国を支持する」と漢語と英語で表記する横断幕を披露すると、方々から拍手と歓声が巻き起こった。そして大勢の人々から感謝の言葉、握手(名刺交換も)受けた。

日章旗は瞬く間に「奪われ」、その場で日台共闘のデモ隊が編成された。恐る恐る旭日旗も掲揚すると、御老人達が「懐かしいね、海軍が」と。そしてその場で日本軍歌の合唱となった。

ここまで日本を愛し、無名の日本人を大歓迎してくれるとは……。私は胸が熱くなるのを抑え切れなかった。


大勢の人が詰め掛けた集会では、三十年来の反中国国民党の闘士・王献極氏(台湾国弁公室)が登壇、蔣介石・馬英九総統の人形と中華民国旗を燃やすというパフォーマンスなどを行い、大喝采を浴びたのだが、最後に「台灣建國應援團」が紹介され、松井氏と私が壇上に上がることとなった。


そこでは松井氏が二二八事件の犠牲者への心からの哀悼の意を述べた。そして「日本は台湾を中華民国に返還していない」「台湾頑張れ!」という思いを込めたスピーチを行うと、大きな拍手を受けた。また先述の横断幕を広げると、やはり拍手と歓声が。

ここで、現地で直接お聞きした声を紹介したい。どれも日本語で、今でも心に深く残るものだ。 

―― 台湾の応援に参加してくれて有難うございます。
―― 日本から来ましたか?日本はね、一番!№1!
―― 日本が懐かしいんですよ。
―― 僕らはね、日本国籍を返して欲しいんです。中華民国の国籍は厭なんですよ。
―― 日本人にお会いして嬉しい。
―― 台湾建国応援、ありがとう。

また「日本のおかげで台湾は近代化したのですよ」と日本統治時代の功績について熱弁を奮われる人もいた。
これほどまでに暖かい言葉、親愛の情、優しい心に私は驚き、慟哭したくなるほど感動したのであった。

このように書くと、おそらく昨年四月に放送のNHK「JAPANデビュー」(第一回「アジアの一等国」)の1シーンを思い出す人もいるはずだ。公園に集う親日的な老人のあの場面である。番組は親日感情の裏には反日感情がされているといった印象操作を行っていたが、実はなにを隠そう私たちはその公園にいたのである。番組に出ていた人々も大勢いたが、反日感情など全くの嘘であった。

前日の二十七日には台湾建国派グループの若者達と合流し、台北市内で行われた「二二八事件六十三周年追悼デモ」にも参加した。集会には民進党の蔡英文主席や台湾独立建国連盟の黄昭堂主席の姿もあった。そこでも私達は日本人だと知られるや、二二八事件で家族・親戚が行方不明、あるいは殺害された方、事件そのものを目撃された方が懸命に当時の状況を訴えに来た。

このように、多くの台湾人が日本人を信頼してくれている。私達日本人はその信頼に応えなくていいのだろうか。中国による併呑の危機に瀕する台湾に、日本は手を差し伸べないでいていいのだろうか。

「台灣建國應援團」は今後も、台湾の建国派団体とも共闘し、日本人が台湾と台湾人を応援していることを、目に見えるかたちで示して行きたい。


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