10/17付 産経新聞「正論」記事について

投稿日:2012-10-18 - 投稿者(文責):mumeijin

このエントリーをはてなブックマークに追加

___________________________________________

10月17日(水)付、産経新聞オピニオン面での古田博司筑波大学大学院教授の論評「日本軍と戦わない屈折が反日に」の一部に台湾に対する誤りの記述が在りました。読みながら違和感を覚えられた方も多かっのではないだろうか。

以下は問題の箇所

――――――日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼等は反日である必要を持たない。今日にいたるまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである――――――

その前文には「中共軍は延安に敗走しただけ」と題して支那における日本軍の主要交戦勢力が中国国民党軍であり中国共産党軍ではないと述べている(*1)。これは正しく共産党軍は日本軍と国民党軍との戦闘の間、勢力温存も兼ね長征と称し延安に逃亡しており、日本軍の認識としては対中共戦とは概ね共匪掃討と呼ばれる程度のものであったようである。
___________________________________________

(*1)古田氏の論文は以下で全文を読む事が可能

msn.産経ニュース(平成24年10月17)
「筑波大学大学院教授・古田博司 日本軍と戦わない屈折が反日に」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/kor12101703180000-n1.htm
___________________________________________

しかし日本は大東亜戦争に敗れる。

アジア各地に展開していた日本陸海軍が武装解除を行い降伏すべき相手方等を地域ごとに指定した指令がある。昭和20年9月2日、東京湾上戦艦ミズーリ号艦上での降伏調印式後に米国リチャード・サザーランド参謀長名により発出された指令第一号となる「一般命令第一号(陸、海軍)」である。ここには武装解除という敗戦処理の概要が規定されており、これ自体興味深いものであるので、その前半部分の一部を引用してみたい。
___________________________________________

一般命令第一号(陸、海軍)

一  帝国大本営ハ茲ニ勅命ニ依リ且勅命ニ基ク一切ノ日本国軍隊ノ連合国最高司令官ニ対スル降伏ノ結果トシテ日本国国内及国外ニ在ル一切ノ指揮官ニ対シ其ノ指揮下ニ在ル日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル軍隊ヲシテ敵対行為ヲ直ニ終止シ其ノ武器ヲ措キ現位置ニ留リ且左ニ指示セラレ又ハ連合国最高司令官ニ依リ追テ指示セラルルコトアルベキ合衆国、中華民国、連合王国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦ノ名ニ於テ行動スル各指揮官ニ対シ無條件降伏ヲ為サシムベキコトヲ命ズ指示セラレタル指揮官又ハ其ノ指名シタル代表者ニ対シテハ即刻連絡スベキモノトス但シ細目ニ関シテハ連合国最高司令官ニ依リ変更ノ行ハルルコトアルベク右指揮官ノ命令ハ完全ニ且即時実行セラルベキモノトス

(イ)支那(満洲ヲ除ク)、台湾及北緯十六度以北ノ仏領印度支那ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ蔣介石総帥ニ降伏スベシ

(ロ)満洲、北緯三十八度以北ノ朝鮮、樺太及千島諸島ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ「ソヴィエト」極東軍最高司令官ニ降伏スベシ

(ハ)「アンダマン」諸島、「ニコバル」諸島、「ビルマ」、「タイ」国、北緯十六度以南ノ仏領印度支那、「マライ」、「スマトラ」、「ジアヴア」、小「スンダ」諸島(「バリ」、「ロンボク」及「チモール」ヲ含ム)「ブル」、「セラム」、「アンボン」、「カイアル」、「タニンバル」及「アラフラ」海ノ諸島、「セレベス」諸島、「ハルマヘラ」諸島竝ニ蘭領「ニユー・ギニア」ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ東南亜細亜軍司令官ニ降伏スベシ

(ニ)に於いて日本軍はオーストラリア軍に降伏すべきと規定する。(ニ)に於いて日本軍はオーストラリア軍に降伏すべきと規定する。

(ホ)日本国委任統治諸島、小笠原諸島及他ノ太平洋諸島ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ合衆国太平洋艦隊最高司令官ニ降伏スベシ

(ヘ) 日本国大本営竝ニ日本国本土、之ニ隣接スル諸小島、北緯三十八度以南ノ朝鮮、琉球諸島及「フイリピン」諸島ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ合衆国太平洋艦隊最高司令官ニ降伏スベシ

(ト)前記各指揮官ノミガ降伏ヲ受諾スルノ権限ヲ付与セラレタル連合国代表者ニシテ日本軍隊ノ降伏ハ総テ右指揮官又ハ其ノ代表者ノミニ対シテ為サルベシ
日本国大本営ハ更ニ日本国国内及国外ニ在ル其ノ指揮官ニ対シ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊又ハ日本国ノ支配下ニ在ル軍隊ヲ完全ニ武装解除シ且前記連合国指揮官ニ依リ指定セラルル時期及場所ニ於テ一切ノ兵器及ビ装備ヲ現状ノ儘且安全ニシテ良好ナル状態ニ於テ引渡スベキコトヲ命ズ追テ指示アル迄日本国本土内ニ在ル日本国警察機関ハ本武装解除規定ノ適用ヲ免ルルモノトス警察機関ハ其ノ部署ニ留ルモノトシ法及秩序ノ維持ニ付其ノ責ニ付スベシ右警察機関ノ人員及武器ハ規定セラルルモノトス
___________________________________________

(イ)から(ト)までをまとめると次の様な事になる。

日本国軍隊及日本国の支配下に在る軍隊は敵対行為を停止し武装解除し連合国軍の各国指揮官に無条件降伏せよ

(イ)に於いて日本軍は蔣介石に降伏すべきと規定される。
(ロ)に於いて日本軍はソ連に降伏すべきと規定される。
(ハ)に於いて日本軍は東南亜細亜軍司令官に降伏すべきと規定される。
(ニ)に於いて日本軍はオーストラリア軍に降伏すべきと規定する。
(ホ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定される。
(へ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定する。
(ト)に於いて(イ)~(へ)の降伏受諾者としての権限を規定する。
___________________________________________

これはアジア各地の戦域で陸海軍を広範囲に展開していた日本軍を、便宜上近隣の連合国を構成する各国軍に降伏させるという事であり、当然の事であるが、日本軍占領地域を降伏受諾国(中・ソ・豪・米軍等)がそのまま領有をするという事を意味しない。

 (イ)の通り、支那・台湾・北越駐留日本軍は蔣介石(中国国民党軍)に対し投降、武装解除を行っている。9月9日、支那戦区では南京において支那派遣軍総司令官・岡村寧次が中華民国政府及び連合国代表の中国陸軍総司令・何応欽に対して降伏文書を提出。続いて10月25日、台湾では安藤利吉 第十軍司令官兼台湾総督が台北市公会堂において中華民国政府及び連合国代表として台湾省行政長官兼警備総司令・陳儀に対して降伏文書に署名を行っている。また北越に進駐し日本軍武装解除を完了させた中国国民党軍は昭和21年3月末までに早々に撤退している。これにはヴェトナムを含むインドシナ半島に影響力を持つ同じく戦勝国のフランスの存在がある。

【右上写真】
連合国を代表し北越ハノイへ進駐する慮漢将軍麾下の中国国民党軍(1945年9月9日)

古田教授の指摘する通り満洲での日本軍武装解除を行ったのはソ連軍である。しかし台湾で連合国の代理占領軍として日本軍の武装解除にあたった中国国民党軍はその後も台湾から撤退する事無く駐屯を続け、国共内戦の敗北(1949年)で中華人民共和国が成立し「全中国を代表する中華民国」が崩壊したのちは、難民化した中華民国政府は“台北遷都”を決定、同時に中国人難民200万人が台湾に流入した。そして台湾で中華民国継承統治当局の様なかたちで武力を背景に台湾を実効支配(不法占拠)し続けることとなる。台湾人が台湾を統治する中華民国を以て「外来殖民体制」と呼称する理由である。

日本が台湾の主権を放棄するのはそれから2年後のサンフランシスコ講和条約の時である(効力発生1952.4.28)。
___________________________________________

ここで再度古田論文に戻る。

「日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼等は反日である必要を持たない。今日にいたるまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである」

無論、先の大戦で台湾人と日本人の間で戦争が行われた事実はない。

台湾人と日本人が共に戦った相手は英米支等の連合国軍である。そして蔣介石は「国民党軍は最後まで日本軍に勝利する事が出来なかった」ことを後に認めている。軍事行動で日本に勝利する事は出来ず、その為に情報戦では世界に“日本の非道”を発信し続けた理由でもある。

「日本が敗れたのは米国に対してであり中国(中華民国)軍には敗れていない」という意見はしばしば台湾の日本語世代から聞かされてきたが、これは願望に由来するものではなく事実に基づくものといって良いであろう。中国国民党の中華民国(党が所有する国家である)は米国の軍事力により戦勝国の待遇を受けることとなっただけである。

学者としての権威、そして影響力が有るであろう古田博司教授が販売部数161万部(朝刊)を公称する産経新聞で誤解に基づいた論説を掲げられ、またこの誤った認識のまま筑波大学で教鞭をとられているならば誠に残念。

「日本と戦い、そして日本に勝利した。だから台湾人は親日である」のではない
「日本の為に戦い、そして敗れた。日本人は台湾を見捨てた。それでもなお台湾人は親日」なのだ。

___________________________________________

河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト