【動画紹介】 ある台灣青年による「台灣建國運動」記録

投稿日:2012-11-06 - 投稿者(文責):mumeijin

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『僕の台湾建国運動記事』

「何人(ナンビト)も台湾の独立を妨げる事は出来ない。それは我々の権利である。人としての権利なのである」連根藤

台湾独立と聞いて、どうしてもこれを「中華人民共和国からの台湾独立」と勘違いをしてしまう人がいる。これは余りにも大きな間違いである。

チベット、東トルキスタン、そして南モンゴルは不幸にして中国共産党による武力併合が完成してしまった。しかし台湾は未だかつて中国共産党の支配を受けたことは無い、一秒たりとも。中国共産党の支配下にない台湾がどうすれば中華人民共和国から「独立」出来るというのか。勘の良いひとは直感的に理解されている。台湾独立について「中華人民共和国の存在は完全なる部外者」でしかないということを。一度たりとも実効支配をしたことすらないにも関わらず「尖閣諸島は中国の核心的利益」と荒唐無稽の主張を中国は繰り返すが、それと同じく「台湾は中国の核心的利益」であると嘘を承知で主張しているだけの事なのだ。これは余談であるが昨今の中国の形振り構わない覇権主義はもはや既に「採算度外視」の状況にあるというのである。そして中国が崩壊するとすればその原因は自らの拡張主義に起因する可能性も指摘されている。

それでは台湾独立とは何を意味するのか。誰がどこから「独立」するのであろうか。

オランダ植民地として世界史の表舞台に登場した台湾は、明朝遺臣の鄭氏支配、清帝国支配、大日本帝国、そして中国国民党という外来勢力により植民地支配をうけるなかで未だ自らの国家を建設したことがない。現在、我々が知る台湾の政治体制とは1949年に中国共産党との内戦で敗北し大陸から難民として流入した旧中国の残滓としての「中国体制」である。ここでいう中国とは当然に中華人民共和国ではなく中華民国を指す。この中国国民党統治時代に台湾社会では中国化が進み「台湾」という言葉の使用自体がタブー視されていたことは良く知られている。国史とは中国史(支那史)を勉強させられ、台湾人は中国人となり(!)、台湾と何の関係のない孫文が「国父」とされるという具合である。なお台湾派デモにおいてしばしば『我(咱)們是台灣人』と標語が書かれたプラカードや横断幕を目撃するが、言うまでもなく「私達は中国人ではない」という事を敢えて叫ばなければならない歴史や情勢が存在する事を意味している。またソ連、中国と同じく台湾で軍隊というのは中国国民党の軍隊からスタートしている。国軍ではなく党の軍隊であった訳だ。それはまた台湾は中国国民党が所有する国家であった事を意味している。

台湾人が外来勢力の政治当局である中国(中華民国)体制から脱却して国号、憲法をそれぞれ台湾共和国(もしくは台湾国)、台湾共和国憲法とすることにより台湾の独立は現実に近づくと考えられている。しかし今後も台湾が「中華」「中国」「China」を標榜する限り中国共産党は自国の不可分の領土「台湾省」という方便を使う事が出来る。しかし台湾人の多数は現状維持(中国体制の維持)に安寧を求めている。特に近年、急進的な独立を主張する勢力は後退しているように思える。

連根藤氏の著述『日本人に知ってほしい台湾共和国独立のシナリオ』p118〜120 には興味深い記述がある。

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1958年10月、アメリカからダレス国務長官が台湾を訪れ、蔣介石と会談し、「大陸への武力による反撃を放棄する」という声明を出しました。アメリカは蔣介石にすでに中国の勢力範囲に入っている金門と馬祖を諦めさせようとしたのです。ところが中国は、ダレス長官が台湾を訪れるころになると激しい砲撃をしてくるのです。すると金門、馬祖の国民党艦隊は引き揚げるわけにはいきません。彼らの目的はアメリカの圧力で蔣介石軍が金門、馬祖から撤退するのを止めることだったのです。もともと金門、馬祖から撤退したくなかった蔣介石は、これ幸いと引き揚げを中止しました。そのうち中国からの砲撃は、国民党が充分に補給ができるように一日おきの形式的なものになっていきました。中国にとって金門、馬祖は台湾をつなぐ命綱、国民党がここから引き揚げて台湾に押し込められると、国民党は台湾における「亡命政権」になってしまい、現地の政権がそれに取って代われば台湾はアメリカの第七艦隊の保護のもとに独立してしまうでしょう。ダレスの主張する「一つの中国、一つの台湾」が実現してしまうのです。

このことは六〇年代はじめ、当時の日本の池田総理が証明してくれています。彼は社会党の議員から「蔣介石政権は亡命政権であるのに、なぜ中華人民共和国を承認しないのか」という説明を受け、こう答弁したのです「国民党は中国の一部である金門、馬祖という領土を持っている。だから亡命政権ではない」と。

そうなのです。「中華民国」の領土は池田元首相の言うとおり「金門、馬祖」しかなく、台湾はその領土ではないのです。

1936年、毛沢東はアメリカのジャーナリストのエドガー・スノーに「将来朝鮮は独立すべきである。台湾も朝鮮の方式をとるべきである」と述べていました。要するに毛沢東も蔣介石と同じように台湾を中国の領土だと思っていなかったのです。したがって絶対に認めることはない偽ブランド「中華民国」を中国領土内の金門、馬祖につなぎとめておき、台湾の主権を「中華民国」とまぜこぜにしておいて国際社会をだまし、いつか台湾を侵略しようというわけなのです。国民党にしても金門、馬祖という大陸の領土があれば仮住居の亡命政権ではないと主張できるのです。両者にとって金門、馬祖は命綱だったのです。

両者の利害は一致しています。これは中国のことわざで「狼狽之奸」と言います。狽というのは空想の上の生き物で、前脚が短く、いつもオオカミの背中にしがみついていかないと歩けません。ぐるになって悪事を働くことをこのようにたとえるのです。
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台湾の独立とは何を指すのか?

中国国民党軍により3万人の台湾人が虐殺された2・28事件から38年間にわたる戒厳令下により台湾独立運動は封殺されてしまった。李登輝時代に大きく民主化を成し遂げた台湾であるが、現在も「中華民国在台湾」の実情に変わりはない。本年1月14日に行われた選挙は新聞各紙が表現するような「台湾総統」を選出するものではない。「中華民国憲法」下で「中華民国総統」を選出する選挙である。

なぜ?

1947年以降、国民党は中国体制を亡命先の台湾において継承させた。この体制は現在もそのまま維持されている。台湾は決して「台湾共和国体制」ではない。台湾の独立とは中国国民党により台湾にもたらされた不法占領体制を終結させることにある。「台湾人は自分の家に押し入ってきた強盗を親と見間違ってはいけない」と連氏は警告するが、台湾人は「台湾独立を主張すると中国による侵攻を受けてしまう」と刷り込まれている。これは執政党である中国国民党が体制維持の為、台湾人に対する実に“都合が良い”脅し文句ともなる。

冷戦下台湾の中華民国は「自由中国」を標榜し西側諸国の歓心を引いていたが、その内実は二蔣(蔣介石-蔣経國)世襲による中国国民党一党独裁政権であり、その為台湾での独立運動とは死を覚悟せざるおえない苛烈なものであった。

それでは台湾独立運動の揺籃の地とはどこであったのか?

それは日本である。中国国民党圧政下で台独分子もしくは共産主義者と看做された台湾人の多くは日本人の正義感や義理堅い民族性を信じ日本に逃れた。そしてそれに応え苦難の台湾独立運動を支援したのは多くが無名の日本人であった。台湾独立運動において自らの国家を建国せんとする為に国民党独裁政権に対して立ち上った多くの台湾人とその意志を理解した日本人との友情の物語があることを忘れてはならない。運動はその後欧米留学組の台湾人学生達の海外での活動により台湾独立の機運はさらに高まることとなる。

この動画の台湾青年は台湾国家維新運動の志士。民主化後にキングス・カレッジ・ロンドンを経て英国ハートフォードシャー大学を卒業した俊英。英国ではFree Tibet運動とも連動した台湾独立運動を行うなどしている。これからの台湾独立運動を担う人物となるであろう。なお動画の最後に登場する巨大な台湾独立旗とそれを護るかのような多くの日章旗小旗の写真は、平成22年12月神戸における反中・護尖閣デモ時の様子である。この一枚の写真に彼は非常に胸を打たれたと語っておられる。

黄昭堂 台灣独立建國聯盟主席の余りにも突然の逝去から一年。そのことをふと考えていたときにこの動画に出会いここに紹介した次第。

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河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト