【御礼/御報告】入国禁止処分解除の本会会員訪台/陳唐山立法委員に謝辞を伝える

投稿日:2014-07-04 - 投稿者(文責):mumeijin

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陳唐山 立法委員(元外交部長=外務大臣/民主進歩党)の粘り強い尽力により、中華民国政府(中国国民党政権)から五年間の入国禁止処分を解除された田邊憲司氏(本会会員)が、陳唐山立法委員に対して謝意を表する為に台灣を訪問、6月22日無事に入境を果たした。

25日には、陳唐山立法委員との面談がかない、直接に謝辞を述べる事が出来た。

次に、陳唐山立法委員のfacebook(https://www.facebook.com/tangshan.chen)上の記事(日本語訳)と写真をここに紹介。

日本人 田邊憲司が玉山を登攀、台灣独立支持の横断幕を掲げ、移民署(入国管理局)によって入国禁止にされた。幾人の立法委員を招いて記者会見を開催、(移民署への)質問を続けたが、今年 1月に移民署は最終的に解禁に合意した。本日、田邊憲司は四年振りに台灣の土地を踏んだ。彼は台灣人の熱意に非常に感謝しており、将来の台日の友情の為に引続き努力すると語った。

陳唐山立法委員
陳唐山 立法委員(国会議員)

三年十ヶ月振りの訪台、晴れやかな表情の田邊会員。
ここに到るまでに、陳唐山立法委員を筆頭とする多くの台灣人、そして日本人の有志達が台湾の自由と民主の為に立ち上がった事、これは特筆すべきだろう。

陳唐山立法委員二
陳唐山立法委員辦公室、並びに独立派団体指導者らと
[撮影]張葆源 立法委員陳唐山國會辦公室 助理

陳唐山老師

この一週間前、陳唐山立法委員は、平沼赳夫日本維新の会代表代行(当時)と東京で会談している様に、日本の保守派政治家との繋がりも強い。

陳唐山氏は、渡米後1960年代からの民主運動家であり、自身が国民党独裁政権下で黑名單(ブラックリスト)入り。その為、1974年の母堂の逝去に際して帰台することが叶わなかった。民主化後、帰台して陳水扁政権で外交部長、総統府秘書長、国家安全会議秘書長といった要職を歴任。この間、台灣獨立建國聯盟メンバーの救援活動にも尽力。日本統治時代の昭和10年(1935)、台南の生まれ、古風な美しい日本語を話す。


姚嘉文 元民進党主席元考試院長
於 立法院青島第三会館 陳唐山辦公室
【左→右】呂俊輝 李登輝民主協会嘉義分会総幹事/田邊憲司 台灣建國應援團 副代表/姚嘉文 元民進党主席・元考試院長/王獻極 908台灣國運動召集人/張葆源 立法委員陳唐山国会辦公室 助理

張葆源 助理には特に多くの助力を戴きました。ここに厚く御礼申し上げます。以下は、陳唐山国会辦公室が作成した「田邊憲司事案」報告書の中から、事件の経緯を時系列に簡潔にまとめた箇所である。参考資料として附記しておく。

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翌26日には呂秀蓮元副総統(民進党)と対談
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席上、尖閣諸島帰属先の話題が出て、呂秀蓮プラン(日台中は尖閣諸島の主権を棚上げし、非武装地帯とするもの)に対する意見を問われたが、田邊副代表は李登輝発言(「尖閣諸島は日本領土」)をも引用して、日本側主張を述べる。

一時はシビアな雰囲気となったものの、最後は日台友好の為、今後も努力するということで両者は一致。美麗島事件(1979年)により歴史の表舞台に登場した呂秀蓮立法委員。彼女は台湾初の女性副総統でもあり、その溌剌、毅然とした態度には強い印象を受けた。なお呂氏自身、かつて台湾独立派の急先鋒とみなされ中国への入国を事実上禁止された経緯がある。

今回の台灣訪問は6/22~30日までの期間であり、この間に独立派諸団体との交流が続いた。

【参考/御報告】本会会員の「五年間の台湾入国禁止処分」解除に関して
http://ilha-formosa.org/?p=31836

【感謝/御礼】台灣訪問、独立派団体との交流写真記録【6/22~30】
http://ilha-formosa.org/?p=32728


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