【読書メモ】「なぜイエスはある男を愚か者と呼んだか」

投稿日:2015-05-09 - 投稿者(文責):mumeijin

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真夜中に戸をたたく
『真夜中に戸をたたく ~キング牧師説教集~』日本キリスト教団出版局刊 平成19年(2007)

「人間本来の人権・存在回復の為に全身全霊で闘ったキング牧師。真夜中に悲しみが生まれるにもかかわらず、朝には喜びが訪れることを力強く告げた標題の説教をはじめ、今も全く古びることなく、臨場感に溢れ、聴く者の魂を揺さぶる11篇の説教を厳選して収録」本書紹介文より

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以下は、同書所収の「なぜイエスはある男を愚か者と呼んだか」の一節、なお( )内の太字は聴衆からの反応を示す。


P202~
そのとき何者かが私に囁いた。
お前は今父親に電話してはならない。彼は175マイル先にいる。お前は今母親に電話をしてもならない。(我が主よ!)お前はかつて父親が話してくれたお方の中にある何ものかに、話しかけなければならない。(そうだ)それは道なき所に道をお作りになるあの力(パワー)なのだ。(そうだ)その時私は宗教は私にとって本当のものでなければならない。神は自分自身で知らなければならないということを発見した。(そうだ、その通りだ)そこで私はコーヒーカップの上にうつ伏せになった。—–私はそのことを決して忘れない。(そうだ、その通りだ)ああ、私は祈りに祈った。その夜声を出して祈った。(そうだ

P203~
「主よ、私はここで正しいことをしようとしています。そうだ私は正しいと思っています。我々が行っている運動は正しいと思っています。(そうだ)しかし、主よ、私は今自分が弱いことを告白しなければなりません。私は挫けそうです。勇気を失いつつあります。(そうだ)だが、私はこんな姿を人々に見せたくありません。なぜなら、もし彼らがこんなに弱い、そして勇気を失っている私を見れば、彼らも弱くなってしまいます。」(そうだ)私は翌朝、笑顔で実行委員会に出たかったのである。

するとその瞬間、一つの内なる声(インナー・ヴォイス)が私に語りかけているのが聞こえた。(そうだ

「マーティン・ルーサーよ。(そうだ公義のために立て。(そうだ)正義のために立て。(そうだ)真理のために立て。(そうだ)見よ、私はお前と共にいる。(そうだ)この世の終わりまで共にいる。(*1)

皆さんに申し上げたい。私は稲妻の閃光を見た。雷鳴の轟きを聞いた。そして罪の大波が、私の魂を征服しようとして突進してくるのを感じた。だが、闘い続けよというイエスの声をも聞いた彼は決して私を見捨てないと約束してくれた。決して、決して、一人にはしないと。彼は私を決して一人にはしない、と約束してくれた決してだ
(後略)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr/1929 – 1968)
(バプテスト派牧師、アフリカ系アメリカ人公民権運動指導者、1964年ノーベル平和賞受賞者)


(*1)

旧約聖書 イザヤ書  41章10節
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
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新約聖書 マタイによる福音書  28章20節
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。


Martin Luther King, Jr生前時、彼は「社会秩序の破壊者」としてFBIの監視対象であったことが知られている。だが現在米国では1月第3月曜日は祝日「Martin Luther King, Jr Day」となっている。冗談の様な話であるが、世間の評価とは所詮この程度に変遷する、という見本である。MLKが講演で語った「公義のために立て。正義のために立て。真理のために立て」、現世で存在しないかのように脇に追いやられている「公義」「正義」「真理」といったものは確かに存在するのであり、個々人そして社会はこれを追究しなければならない。そしてMLKにはその決断に逡巡しているまさにその時「インナー・ヴォイス」を聞いたというのである。

『新・台湾の主張』白色テロが吹き荒ぶ戒厳令下台湾から、公民権運動や反ヴェトナム戦争運動で騒然としていた米国コーネル大学に留学(1965-1968)していた台湾人のひとりが農業経済学者・李登輝である。

彼は米国でMLK暗殺事件を知り、「外からではなく、内部から黒人の意識変革を促したキング牧師は偉大な指導者であった。民主主義こそ、社会の平和的移行を促す原動力を悟った」と述懐している(『新・台湾の主張』PHP研究所 2015 p76~77)。当時、李登輝氏40歳、まだこの時期には政治家になるとは考えてもいなかったという。

1961年(昭和36)李登輝氏はキリスト教(台灣基督長老教会)に入信、「生来の気質」「日本精神」「台湾精神」「キリスト教」、この四つによって人格形成が行われたと語っている。キリスト教入信時、李登輝38歳の時のことである。「生来の気質」が何なのかは、恐らく「情熱的で頑固すぎる(同書P37)」ということになるのだろう。李登輝とキング牧師という二人の情熱家の一瞬の巡り合い(両者が実際に会ったことはないようだが)に、私は不思議な思いがするのだ。

閑話休題、
「なぜイエスはある男を愚か者と呼んだか」とはルカによる福音書〔12・13-21〕に登場する以下の短く印象的な挿話を指している。
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13 群衆の中のひとりがイエスに言った「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」

14 彼に言われた「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」

15 それから人々にむかって言われた「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんのものを持っていても、人の命は、持ち物にはよらないのである。

16 そこで一つの譬を語られた「ある金持の畑が豊作であった。

17 そこで彼は心の中で『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして

18 言った『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。

19 そして自分の魂に言おう。たましいよ。おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ。食え、飲め、楽しめ』

20 すると神が彼に言われた『愚かな者よ。あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、誰のものになるのか』

21 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである。」

『新約聖書 口語訳』財団法人 日本聖書協会 1980年より


 

6/19(金)から、キング牧師の人生を描いた映画『グローリー/明日への行進』が公開されるそうです。【公式サイト】http://glory.gaga.ne.jp/info/?page_id=13


河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト