農林水産省 発表「平成二十九年(2017)、水稲の全国作況指数は100(平年並み)」

投稿日:2017-12-17 - 投稿者(文責):mumeijin

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毎日新聞 12/5(火) 報道「2017年産米作況『平年並み』」全国100、低調な県も
https://mainichi.jp/articles/20171206/k00/00m/020/061000c
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農林水産省は5日、2017年産水稲の全国の作況指数(平年=100)が「平年並み」の100で確定したと発表した。10月15日時点の調査から横ばい。北海道や中国地方を中心に収穫が良く、7年連続で100以上を確保した。ただ、夏の日照不足などが響いて栃木は「不良」の93、岩手や新潟など5県が「やや不良」と低調だった。
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主食用米の収穫量は生産調整(減反)に伴う生産数量目標より4万4000トン少ない730万6000トンとなった。飼料用米などへの転作が進んだ上、日照不足に伴う収穫の遅れも重なり、10月平均のコメの相対取引価格は前年同月より1割近く高くなっている。
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都道府県別の作況指数は群馬が10月時点から1ポイント上方修正の101。佐賀は102、沖縄は97でそれぞれ1ポイント下方修正された。その他の44都道府県は変わらず、北海道や岡山など4道県が「やや良」に当たる103で最も高かった。
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東日本では低温の影響でもみの成熟が進まない地域が目立ち、県全体で平年並みとなった青森や宮城でも地域別の作況指数にばらつきが出た。一部地域で収穫が終わっていない沖縄の指数だけは未確定だが、全国の数値には影響しない程度という。(共同)
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(註)作況指数:穀類や豆類について10a(アール/1 a = 100 m2)当たりの平均収量を100としたとき、当該年度の収量を表す指数。
作況区分は以下の様に六段階に区分されており、毎年コメだけではなく、麦や野菜、そして大豆の作況調査の詳細が農林水産省によって公表されている。

:106以上>やや良:102-105>平年並み:99-101>やや不良:95-98>不良:94-91>著しい不良:90以下


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今年の冬は、ラニーニャ(La Niña)現象を原因として、気温が低くなる可能性が高くなるという。
ラニーニ現象は、「ペルー沖赤道付近・太平洋の海面水温が低くなる現象」で。これにより日本上空で偏西風が蛇行、寒気が流れ込み易くなり、冬型の気圧配置が強まり、冬の気温が平年より低くなる」とのこと。確かに今年12月の大阪は例年よりやや気温が低い様に感じる。そして今月5日には農林省が今年の作況指数を発表している。それが100(平年並み)となっていた。なおエルニーニョ、ラニーニャは対になる言葉であるが、それぞれ男の子、女の子を意味するスペイン語だそうである。
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【 コメ(水稲)の作況指数 】
2017年(平成29)=100(平年並み)
1993年(平成05)= 73(著しい不良)=平成の米騒動
1945年(昭和20)= 67(著しい不良)=日本敗戦
1941年(昭和16)= 88(著しい不良)=日米開戦
1931年(昭和06)= 90(著しい不良)=二二六事件勃発の五年前
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私が高校二年生(1993年)の夏は、歴史的といって良い冷夏であった。
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高校山岳部部員だった私は、7月末から8月末までの約40日間を、標高3500m級のチベット高原の冷涼な環境で過ごしたが、帰国した日本のあまりの涼しさに驚いものである。この年は夏が存在しない年であった。この年の作況指数は73「著しい不良」である。東北地方の県の一部では30前後。これは平成で最も低い作況指数であり、二二六事件(昭和11/1936)の遠因とされる「昭和東北・北海道大凶作」(昭和6/1931)の作況指数「90」より遥かに悪化した年であった。
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当時、日本政府はタイから南京米を緊急輸入。その結果タイでの米価が高騰。タイの貧困層の人の中には餓死者が出ていたという。日本人が「タイ米は不味い」と不平不満を言っていたことをよく覚えている。他国からの支援に傲慢な態度で、それを得意気に言う日本人の姿に嫌悪を感じたものである。
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岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』(東宝 昭和42年)の冒頭。8月10日の鈴木貫太郎内閣閣議で、阿南陸軍大臣が戦争継続を主張するのとは対照に、石黒忠篤農相が日本の置かれた絶望的な食糧状況を説明、戦争継続の困難を表明している場面がある
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IMG_0540  石黒農相
左:『日本のいちばん長い日』より石黒農相(演じているのは香川良介) 右:原爆ドーム前の石黒忠篤(本人)
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石黒農相「今年の秋は昭和六年以来の凶作が見込まれており、農民以外の者は殆どが餓死に近い有様に。日本にはもう戦う余力は無い」
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1945年(昭和20)のコメの作況指数は「67」。平成の米騒動が発生した1993年の作況指数は「73」である。日本は平時の凶作発生において、外米を輸入してようやくコメを充足している。
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そして昭和20年という年は、凶作の年となることが予想されていた。昭和20年の日本列島の人口は七千二百万人(外地を含め約1億人)、戦争継続以前に国民を飢餓から救うことすら困難であった。
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戦争終結の要因として、一般に広島及び長崎への原子爆弾の被害、ソ連の対日参戦で説明されることが多い。しかし南方・台湾・朝鮮といったコメの供給地からの輸送路が遮断され、「昭和六年以来の凶作」で食糧枯渇がピークを迎え、「農民以外の者は殆どが餓死に近い」疲弊しきった帝国日本は既に戦争継続能力を喪失していたのだ。
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河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト