鬱金香の花

投稿日:2011-04-17 - 投稿者(文責):mumeijin

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【撮影日時】4月17日(日)13:35 撮影
チューリップはトルコ・イラン・パミール高原地方等が原産地ではないかといわれているそうです。この花はかつてオランダで有名な経済事件を引き起しました。史上最初のバブル経済事件とされる「チューリップ・バブル崩壊事件(1637)」ですが、この時期は丁度オランダによる台灣統治期間(1624-1662)に当ります。

またこの間、台灣の地で日本人貿易商とオランダ人による貿易紛争が勃発、台南のゼーランディア(Zeelandia)城での濱田彌兵衞によるオランダ大員(台灣)長官ピーテル・ノイツ(Pieter Nuyts)拘束事件が発生しています。この騒擾事件は最終的にオランダによる江戸幕府への謝罪により終息しますが、日本で「タイオワン事件」、台灣では「濱田彌兵衞事件」として知られています。

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濱田弥兵衛事件とは?

1626~1636年にわたるオランダと日本のあいだの貿易紛争。
日本の朱印船は1626年台湾に到達し、中国商人から大量の商品を買い付けた。しかし、台湾海峡には海賊が横行していたため、自力で中国に行き商品を受け取らなければならなかった。日本の朱印船の船長の濱田弥兵衛は大員の長官デ・ウィット(De With)に船の借用を申し入れたが、ウィットはこれを拒否したばかりか、日本人が船で中国に行くのを禁止した。日本人は商品を受け取るすべもなく、大員で冬を過ごすしかなかった。
翌年、濱田は新港社の原住民16人と漢人の通訳2人を引き連れて密かに日本に帰った。濱田は彼らを台湾代表と称し、彼らにオランダ人が弾圧を加えているので、台湾を保護して欲しいと日本政府に訴えさせた。当時の新任の長官のノイツはこれまた一団を率いて日本に渡り解決の道を探ったが、日本政府に接見として大員に戻った。
1628年4月、濱田は2艘の船を率いて再度台湾に渡ったが、オランダ人に船内の武器弾薬を見つけられ、同行した新港社の原住民と通訳もオランダ人に逮捕され牢に入れられた。6月29日、濱田は部下を率いてゼーランディア城に行き、ノイツを拉致し、協約を締結し人質を交換するように迫った。濱田は、台湾から人質を連れ日本に戻ったが、日本に帰国した後は前約に反してオランダ人人質を牢に入れ、平戸にあるオランダ商館を閉鎖した。オランダはノイツを人質にして、再度使節を日本に派遣して交易の再開を要求、ようやく日本の同意を得た。
1636年、オランダはブロンズの灯籠を贈って日本に謝罪し、ノイツを救出することができた。こうして11年間にわたった貿易紛争は結末をむかえた。 

以上は『増補改訂版 台湾史小事典』中国書店 平成22年 より


 ⇒鬱金香(ウコンコウ、ウッコンコウ)=チューリップの和名 

なお台灣では郁金香(yùjīnxiāng)と表記する様です。
中日大辭典に拠りますと〔郁・鬱(欝)〕と同じ意味を持ち、①もののあやや色の美しい形容②香気のかぐわしい形容 とありました。

そういえば台灣の花博(臺北國際花卉博覽會)は残るところ一週間程です。

○臺北國際花卉博覽會 HP(日本語頁) http://www.2010taipeiexpo.tw/MP_6.html


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