【紹介】皿木喜久著『紅陵に命燃ゆ』-台湾協会学校~拓殖大学史話-

投稿日:2011-04-27 - 投稿者(文責):mumeijin

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平成22年8月28日から12月4日までの15週間(毎週土曜日)、產經新聞に連載されていた『紅陵に命燃ゆ(コウリョウニ イノチモユ)』の待望の単行本が4月23日に発刊されました。
台灣開発の為の人材育成を目的に明治33(1900)年9月に開校された台湾協会学校。これは台湾協会学校~拓殖大学に至る、今年創立110周年を迎える「台灣発展の為に生まれた或る私学」の校史であり人物列伝でもある。卒業生・教授陣といった熱血拓殖人の台灣・朝鮮・満洲・インドネシア・南米といった海外雄飛を描いた挿話が非常に興味深い。
大東亜戦争中、日本と協力関係にあった汪兆銘の南京国民政府。汪兆銘主席の後任者である陳公博主席代理が日本敗戦と同時に日本亡命を選択した際の担当者、小川哲雄陸軍主計大尉(南京国民政府軍事顧問兼経済顧問補佐官)もまた拓殖大学卒業生であったそうです。

  拓殖大学HPに新聞連載時の本文がPDFファイルで公開されていますが、単行本には安倍晋三元内閣総理大臣等が参加した「拓殖大学創立百周年記念公開シンポジウム」の様子が40頁収録されていたりと当然ながら情報量は豊富です。

産経新聞連載記事 「紅陵に生命燃ゆ」 (PDF)
http://www.takushoku-u.ac.jp/news/2010/takushoku110th_sankei.html


拓殖大学は明治33年(西暦1900年)、桂太郎公爵の手により台湾協会学校として台湾開発のために「地の塩」となって貢献しうる人材の育成を目標に創立されました。
以来、一貫して「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為な人材の育成」という建学の精神のもとに、多くの卒業生が世界各地で活躍する“国際大学”のパイオニアとして大きな足跡を残してきました。そしていま、時代はさらなる国際化、グローバル化を推し進め、政治・経済・文化のあらゆる活動が国の枠を超え、単なる国際交流ではない、異なる生活様式の人々と共に生きること。つまり一つの地球上に共生する同じ人間としての共通意識の上にたった視点をもつ人材が必要とされているのです。
 校歌にも謳われる「人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし」。
拓殖大学では、創立百周年を経てこの建学の精神をいま一度確認すると共に、アジアへ世界へと羽ばたき、貢献できる真の国際人を育成していきます。

以上青文字部分は拓殖大学HPから引用

拓殖大学HP 
http://www.takushoku-u.ac.jp/index.html 「建学の精神より」

 


本書から
 台湾協会学校時代から、新しく編入された領土・地域の開発のため働く人材、世界に飛躍する人材を育てるというのが大学の理念だった。これがGHQには、日本の軍国主義の先兵役を担ったというふうに受けとられたのだ・・・
・・・存続は決まったものの、敗戦で植民地がなくなった以上、植民地を開拓するという意味の「拓殖」の名はふさわしくないとの意見も強かった。そこでさまざさな候補の中から「紅陵」が選ばれ、紅陵大学と改めた。昭和二十年十一月のことで、二十七年十月、拓殖大学と復元するまでこの校名が使われる。

 本書に登場する人物
桂太郎・野木希典・後藤新平・新渡戸稲造・脇光三(ワキ コウゾウ)・白鳥庫吉・宮原民平・大川周明・田中逸平・重松髜修(ナオマサ)・山田悌一・柳川宗成・木村政彦・伊達順之助・伊達宗義・中曽根康弘等。

小田村四郎氏(日本李登輝友の会会長)は拓殖大学の先代総長を務めていたそうです。
http://www.takushoku-u.ac.jp/g_info/souchou.html

なお吉田松陰先生の妹寿子の子息が芝山巌事件(明治29年)で殉職された六氏先生のひとり楫取道明(カトリ ミチアキ)。御存知の様に小田村四郎先生はその楫取道明の御令孫にあたります。

【関連動画】「芝山神社 六氏先生に会いに行きました」平成22年4月23日(金)

【台灣建國應援團】六氏先生墓前での追悼 平成22年(2010)4月23日(金)

 


【御支援を!】日本赤十字社 「東日本大震災義援金」
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html


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