59年目の本日は、サンフランシスコ講和条約の発効日(1952年4月28日)です。サンフランシスコ講和条約の全文については、下記の東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室に全文が掲載されていますが、その中から必要な個所を抜粋してみます。 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19510908.T1J.html
第二章 領域 第二条 ⇒(c)から(f)は省略します。 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。 (b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。 ⇒(b)において「台灣及び澎湖諸島」の帰属先が記載されていません。 また(a)に於いては、朝鮮はこの日(1952年4月28日)まで法的には日本領であった事がうかがえる。これを指摘する研究者もいる。次に日本敗戦からサンフランシスコ講和条約発効までを年表にしてみます。
なお「権原(title)とは、法によって権利を生み出すものと認められる事実のこと。例えば領域取得の権原には、領海内の海底の隆起、土砂の埋積、海岸の埋立などの添付や無主地占有や割譲、併合などがある」芹田健太郎『日本の領土』中央公論新社
昭和20年(1945) 8月14日 日本政府、ポツダム宣言受諾を決定、中立国を通じ連合国へ通知 8月15日 昭和天皇による終戦の詔書(玉音放送)、国民に大東亜戦争の降伏を公表 9月 2日 降伏文書調印、大日本帝国降伏 10月25日 台北で安藤利吉第十軍方面司令官(兼台灣総督)が降伏文書に署名
昭和22年(1947) 2月28日 二二八事件勃発。中国国民党による日本人大虐殺(当時の台灣人とは即ち日本国籍を持つ台灣在住日本国民である) 12月25日 中国国民党が中華民国憲法を発効させ、日本領である台灣・澎湖諸島を適用範囲に含める(!)
昭和24年(1949) 10月 1日 中国共産党、中華人民共和国の建国を宣言 10月 7日 中華民国、国共内戦で敗北、台北遷都を決定(実質上、日本領台灣への亡命) 12月 8日 中華民国の総統府・行政院職員が台北に到着 12月10日 蔣介石が台北に到着 昭和25年(1950) 3月 1日 法的に日本領土である台灣に於いて蔣介石が「中華民国総統」を名乗る
昭和26年(1951) 9月 4日~8日、サンフランシスコ講和会議 9月 8日 サンフランシスコ講和条約に署名。日華平和条約調印
昭和27年(1952) 4月28日 サンフランシスコ講和条約の発効。日本「台灣及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄」。日本、台湾の主権を放棄。 「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」という事はそれまでは日本が台湾及び澎湖諸島への権利を保持していた事を意味する。
⇒ 一般命令第一号 とは、降伏調印式後に発出された連合国軍による命令。日本陸海軍の武装解除・戦闘停止指令と各戦域の日本陸海軍の降伏すべき相手方を地域毎に指定している。第十方面軍(在台日本軍)については蔣介石総帥(中華民国軍)に降伏すべきとある。本文は以下の通り。
一般命令第一号(陸、海軍)
(ト)前記各指揮官ノミガ降伏ヲ受諾スルノ権限ヲ付与セラレタル連合国代表者ニシテ日本軍隊ノ降伏ハ総テ右指揮官又ハ其ノ代表者ノミニ対シテ為サルベシ
日本国大本営ハ更ニ日本国国内及国外ニ在ル其ノ指揮官ニ対シ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊又ハ日本国ノ支配下ニ在ル軍隊ヲ完全ニ武装解除シ且前記連合国指揮官ニ依リ指定セラルル時期及場所ニ於テ一切ノ兵器及ビ装備ヲ現状ノ儘且安全ニシテ良好ナル状態ニ於テ引渡スベキコトヲ命ズ追テ指示アル迄日本国本土内ニ在ル日本国警察機関ハ本武装解除規定ノ適用ヲ免ルルモノトス警察機関ハ其ノ部署ニ留ルモノトシ法及秩序ノ維持ニ付其ノ責ニ付スベシ右警察機関ノ人員及武器ハ規定セラルルモノトス
⇒平たくいうと、 (イ)に於いて日本軍は蔣介石に降伏すべきと規定される。 (ロ)に於いて日本軍はソ連に降伏すべきと規定される。 (ハ)に於いて日本軍は東南亜細亜軍司令官に降伏すべきと規定される。 (ニ)に於いて日本軍はオーストラリア軍に降伏すべきと規定する。 (ホ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定される。 (へ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定する。
昭和26年(1951)9月8日、サンフランシスコ講和条約において日本が台湾の主権を放棄して以降、台湾の主権は台湾人にあるのだが、崩壊した中華民国の後継政治当局(蔣氏政権とでもいうべきか)が台湾を38年間にわたり戒厳令下に置き、台灣人による台湾国建国運動を厳しく弾圧した。中国国民党と民主進歩党が選挙で争っているのもそのまさに中華民国体制下での事であり、これが中華民国体制を解体し台湾建国への道程となりえるのだろうか。
59年目の本日は、サンフランシスコ講和条約の発効日(1952年4月28日)です。サンフランシスコ講和条約の全文については、下記の東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室に全文が掲載されていますが、その中から必要な個所を抜粋してみます。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19510908.T1J.html
第二章 領域 第二条 ⇒(c)から(f)は省略します。
(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
⇒(b)において「台灣及び澎湖諸島」の帰属先が記載されていません。 また(a)に於いては、朝鮮はこの日(1952年4月28日)まで法的には日本領であった事がうかがえる。これを指摘する研究者もいる。次に日本敗戦からサンフランシスコ講和条約発効までを年表にしてみます。
なお「権原(title)とは、法によって権利を生み出すものと認められる事実のこと。例えば領域取得の権原には、領海内の海底の隆起、土砂の埋積、海岸の埋立などの添付や無主地占有や割譲、併合などがある」芹田健太郎『日本の領土』中央公論新社
昭和20年(1945)
8月14日 日本政府、ポツダム宣言受諾を決定、中立国を通じ連合国へ通知
8月15日 昭和天皇による終戦の詔書(玉音放送)、国民に大東亜戦争の降伏を公表
9月 2日 降伏文書調印、大日本帝国降伏
10月25日 台北で安藤利吉第十軍方面司令官(兼台灣総督)が降伏文書に署名
昭和22年(1947)
2月28日 二二八事件勃発。中国国民党による日本人大虐殺(当時の台灣人とは即ち日本国籍を持つ台灣在住日本国民である)
12月25日 中国国民党が中華民国憲法を発効させ、日本領である台灣・澎湖諸島を適用範囲に含める(!)
昭和24年(1949)
10月 1日 中国共産党、中華人民共和国の建国を宣言
10月 7日 中華民国、国共内戦で敗北、台北遷都を決定(実質上、日本領台灣への亡命)
12月 8日 中華民国の総統府・行政院職員が台北に到着
12月10日 蔣介石が台北に到着
昭和25年(1950)
3月 1日 法的に日本領土である台灣に於いて蔣介石が「中華民国総統」を名乗る
昭和26年(1951)
9月 4日~8日、サンフランシスコ講和会議
9月 8日 サンフランシスコ講和条約に署名。日華平和条約調印
昭和27年(1952)
4月28日 サンフランシスコ講和条約の発効。日本「台灣及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄」。日本、台湾の主権を放棄。 「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」という事はそれまでは日本が台湾及び澎湖諸島への権利を保持していた事を意味する。
⇒ 一般命令第一号 とは、降伏調印式後に発出された連合国軍による命令。日本陸海軍の武装解除・戦闘停止指令と各戦域の日本陸海軍の降伏すべき相手方を地域毎に指定している。第十方面軍(在台日本軍)については蔣介石総帥(中華民国軍)に降伏すべきとある。本文は以下の通り。
一般命令第一号(陸、海軍)
(イ)支那(満洲ヲ除ク)、台湾及北緯十六度以北ノ仏領印度支那ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ蒋介石総帥ニ降伏スベシ
(ロ)満洲、北緯三十八度以北ノ朝鮮、樺太及千島諸島ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ「ソヴィエト」極東軍最高司令官ニ降伏スベシ
(ハ)「アンダマン」諸島、「ニコバル」諸島、「ビルマ」、「タイ」国、北緯十六度以南ノ仏領印度支那、「マライ」、「スマトラ」、「ジアヴア」、小「スンダ」諸島(「バリ」、「ロンボク」及「チモール」ヲ含ム)「ブル」、「セラム」、「アンボン」、「カイアル」、「タニンバル」及「アラフラ」海ノ諸島、「セレベス」諸島、「ハルマヘラ」諸島竝ニ蘭領「ニユー・ギニア」ニ在ル日本国先任指揮官竝ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ東南亜細亜軍司令官ニ降伏スベシ
(ト)前記各指揮官ノミガ降伏ヲ受諾スルノ権限ヲ付与セラレタル連合国代表者ニシテ日本軍隊ノ降伏ハ総テ右指揮官又ハ其ノ代表者ノミニ対シテ為サルベシ
日本国大本営ハ更ニ日本国国内及国外ニ在ル其ノ指揮官ニ対シ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊又ハ日本国ノ支配下ニ在ル軍隊ヲ完全ニ武装解除シ且前記連合国指揮官ニ依リ指定セラルル時期及場所ニ於テ一切ノ兵器及ビ装備ヲ現状ノ儘且安全ニシテ良好ナル状態ニ於テ引渡スベキコトヲ命ズ追テ指示アル迄日本国本土内ニ在ル日本国警察機関ハ本武装解除規定ノ適用ヲ免ルルモノトス警察機関ハ其ノ部署ニ留ルモノトシ法及秩序ノ維持ニ付其ノ責ニ付スベシ右警察機関ノ人員及武器ハ規定セラルルモノトス
⇒平たくいうと、
(イ)に於いて日本軍は蔣介石に降伏すべきと規定される。
(ロ)に於いて日本軍はソ連に降伏すべきと規定される。
(ハ)に於いて日本軍は東南亜細亜軍司令官に降伏すべきと規定される。
(ニ)に於いて日本軍はオーストラリア軍に降伏すべきと規定する。
(ホ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定される。
(へ)に於いて日本軍は米軍に降伏すべきと規定する。
言うまでもない事ですが、連合国指令により広範囲の地域に陸海軍を展開していた日本軍が、便宜上近隣の連合国を代表する連合国を構成する各国軍に降伏しただけであり、その日本軍占領地域を降伏受諾国が領有をするという事にはならない。
(イ)に有る様に「満洲を除く支那・台灣・北ベトナム駐留日本軍」は蔣介石の中国国民党軍へ投降・武装解除を行っている。中国国民党軍は台灣・北越を連合国指令によりこれらの地域を支配してはいるが、無論そのまま中国領に編入された訳ではない。下記写真は連合国を代表して北ベトナム・ハノイに入城する慮漢将軍率いる中国国民党軍(1945年9月9日)の様子。北越の中国国民党軍は翌年3月末までに撤退している。これは代理占領軍として当然の行動であるが、台湾に於いては日本軍の武装解除後も駐屯を続け、国共内戦敗北後にはそのまま中華民国を称し日本領台湾に敗走、継承統治当局として台湾に於いて現在に至るまで実効支配(不法占拠)を続けている。台湾人が「中華民国」をして「外来殖民体制」と蔑称する所以である。
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昭和26年(1951)9月8日、サンフランシスコ講和条約において日本が台湾の主権を放棄して以降、台湾の主権は台湾人にあるのだが、崩壊した中華民国の後継政治当局(蔣氏政権とでもいうべきか)が台湾を38年間にわたり戒厳令下に置き、台灣人による台湾国建国運動を厳しく弾圧した。中国国民党と民主進歩党が選挙で争っているのもそのまさに中華民国体制下での事であり、これが中華民国体制を解体し台湾建国への道程となりえるのだろうか。