「日本政府が中国共産党を怖れるのは、肝っ玉が鼠の様に小さいからだ」-平成13年(2001)4月15日李登輝氏発言-

投稿日:2011-05-04 - 投稿者(文責):mumeijin

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本日の産経新聞と時事通信の報道では、衛藤征士郎衆議院副議長が本日(4日)から二日間の日程で訪台、王金平立法院長(国会議長)、5日に馬英九総統と会談し東日本大震災への支援に謝意を表すると言う事です。台灣自由時報では「日中国交樹立以降、日本の衆參両議院正副議長で、初めて台灣を訪問する“重量級政治人物”」と表現し聯合報では「タブーに挑戦する初の政治家」と歓迎しています。また今週末には森喜朗元首相を筆頭とする国会議員が訪台の予定で、一方の台灣側からは先述の王金平立法院長が12日(木)に観光客等約300人を率い、北海道に向かうと言う。

平成13年(2001)4月、森総理と衛藤氏らの尽力により、前年総統職を退任した李登輝氏の初訪日(4月22日)がかなった(※1)。一民間人の立場での李登輝氏の来日(心臓病治療が目的)に対する査証発給(行政事務)を、中国の意向をくむべく、当初「査証の申請は無い」と虚言を弄して日本入国を拒絶しようと動いたのが外務省 槙田邦彦アジア・太洋州局長とその上司であった河野洋平外務大臣である。衛藤氏によると当時の外務省幹部で査証発給に「慎重」であったのは、この河野洋平外相と槙田局長だけであったらしい。また当時の主要紙も李登輝氏訪日については肯定的(主権国家として断る理由もないので当然なのだが)であったが唯一の例外が朝日新聞であった事。査証発給前に「政治活動では困るが」発給後には「対中説明に誠意尽くせ」と朝日新聞らしい題名の社説を掲載している。

(※1)森喜朗政権下での李登輝前総統(当時)来日に至る政官界の動向、衛藤氏の台灣観・李登輝観は、『検証 李登輝訪日-日本外交の転換期-』(平成23年刊)に詳しい。また巻末には日台米中間の主要条約等が収録されており重宝します。この「李登輝訪日問題」を知るにつれ、副題の「日本外交の転換点」が決して過大な表現でない事が理解出来る。日本の国家主権が親中(恐中)的な外務大臣と一外務省職員により侵犯される間際であったのだから。右下の写真は平成13年(2001)8月30日撮影の李登輝前総統と衛藤征士郎氏、同書P76~77より
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ここで李登輝氏への査証発給前後の主要な発言を列挙してみます。 

〇槙田邦彦局長「この時期、その様なことをすると日中共同宣言との関わりで政治問題化する。査証発給は難しい」(4/4)
〇河野洋平外相「現時点での情勢を考慮すると査証発給は難しい」(4/17)「査証を発給するならば、自分は辞めなければならない」
〇孫副中国外務省報道官「李登輝がどのような肩書で、方法で世界のどこに移行とも、中国を分裂させる活動をする事に断固反対する」(4/10)
〇陳健駐日大使「治療を口実とした政治目的なのは明らか。訪日によって中国を分裂させ、日中関係を破壊する目的を実現する事に、中国政府は断固反対する。日本はなぜ、台灣にノーと言えない。日本の一部の政治家は現実を知らない」(4/17)

〇平沼赳夫経済産業相「李氏は私人であり病人だ。政府として査証を出すべきだ。」(4/13)
〇小沢一郎自由党党首「一私人では何の問題もない。査証申請を受理しないとか見え透いた姑息な言い訳をして、問題を有耶無耶にする態度は政府・与党の政治の本質を表している。子供じゃあるまいし、持ってきたものを受け付けないとかやっているから、日本政府は世界から信用されないのだ」
〇陳水扁総統「中共のやり方は日本の国家主権に干渉するもので、健康や人権、人道には国境がないという精神に対する侮辱だ」4/17
〇陳哲男総統府秘書長「李氏は一民間人で、日本政府が訪日に反対する理由は無い。日本政府は故意に事態を政治問題化しており、中共を怖がりすぎている」(4/11)
〇片山虎之助総務相「ビザを発給しなさい。それをせずに首相の座を去れば、末代まで消せない汚名を残す。もし外相が抵抗するなら罷免しなさい」
〇石原慎太郎東京都知事「外務省がうろうろすればするほどみっとも無い。これで日中関係が歪んでくるとか言う人も居るけれど、波風を立てるほど、中国のプレステッジ(威信)は傷付く」
〇菅直人民主党幹事長「態度を決め切らず右往左往した政府の対応は、最悪のプロセスを辿っている。中国と台灣に対して不信感を増幅した」


 

 4月20日、森喜朗首相の最終判断のもと李登輝前総統(当時)への査証発給が決定。22日18時15分に李登輝氏は関西国際空港に到着、26日午後まで日本に滞在された。中国の報復措置として目立ったのは李鵬(全国人民代表大会常務委員長)の訪日中止程度で、特段日本側に支障は無かった。この事件も遠因となり翌年(2002年)12月に日本李登輝友の会が設立されるのである。

 総統職退任後の5回の訪日中、3度目の来日時(平成19年)には靖國神社にて実兄李登欽(日本名 岩里武則)氏の慰霊の為の参拝を無事に行われている。日本が民主主義国家で有るならば、日本入国を認める事は当然で、それを拒絶すると言う事は「政治問題」以前に李登輝氏という一台灣人に対する重大な人権侵害行為であるという観点を忘れてはならない。

 
  「私は22歳まで岩里政男という日本人であった。何ら恥じる事は無い。
  …戦死した兄の眠る靖國に行く。身内なら当然の事じゃないか」 李登輝

 


 

日本の怖中病を世界に示した翌年(2002)、日本入国を再度希望する李登輝氏に対して日本政府は「私的な訪日とはいえない」という理由で、遂に査証を発給しなかった。ここに日本外交は中国共産党政府の圧力と脅迫に屈したのである。この時のアジア太洋局局長は前回同様槙田邦彦氏。また時の小泉政権の初代外相 田中真紀子(現 民主党議員)氏は就任早々、李登輝氏への査証発行を行わない事を中国向けに発言していたという二つの点が残念な結果を生んだといえる。前年の経験を教訓にせず、自らの影(臆病さ)に怯えてしまった。これこそが怖中病の正体である。

 ところで米国の対応はどうだろう。中国共産党政府は米国に対しても形式的に李登輝氏の訪米に対する抗議を行っているが、米国は完全に黙殺。1995年6月李登輝総統は私人として米国に入国し母校コーネル大での講演活動を行っている。また「英国、チェコも、総統退任後に私人として受け入れた。いずれも中国の抗議があったが、対応を変えなかった(平成16年(2004)12月29日読売新聞朝刊による)」とある。当然の事だ。

 
【御支援を!】日本赤十字社 「東日本大震災義援金」
 http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html


 

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