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先月28日、民主進歩党(民進党)は結党27周年を迎えた。 1986年(昭和61)9月、民進党は戒厳令下台湾で非合法組織として結成され、その結党劇はいまも鮮烈な印象を我々に与える。
当時、台湾は「党による政治の指導(以党領政)」が40年にわたり続いていた。中国国民党(以下「国民党」)による一党独裁体制下にある台湾では、「党」といえばそれはすなわち国民党を指していた。事実1986年当時の立法委員(国会議員)に占める国民党の議席割合は94%である。「党外に党なく、党内に派閥なく」と言われる所以であった。なお国民党以外にも国共内戦で敗北した国民党軍と共に台湾へ逃亡した中国青年党(青年党)と中国民主社会党(民社党)が存在していた。つまり戒厳令下台湾(1949-1987)での合法政党とは国民党、青年党、民社党の三党であったのだが、両党ともに国民党友党であり、国民党政府の「自由中国」を喧伝し複数政党制を演出する衛星政党の域を出る事はなかった。現在も青年党、及び民社党が分裂して結成された後継政党は立法院に議席を有さない政党として存続する。
政党結成が非合法化されていた状況下では反国民党の政治家や民主活動家は、合法三政党に属さないという意味で「党外」と総称されていた。党外は1981年の地方選挙において各地で「党外候補者推薦会」を開催しており、翌々年(1983)9月18日には「党外中央後援会」が成立、さらに翌年1984年5月11日に公職者を中心とした穏健派党外人士により「党外公共政策研究会(公政会)」が組織されたが、直ちに蔣政府から非合法団体として指定されている。
1986年(昭和61)9月28日、「党外中央後援会」が圓山大飯店(台北市)で候補者推薦会を開催中に突如「民主進歩党」結党が宣言され、党外候補者がそのまま民進党結党発起人となるという思わぬ展開となった。
民進党の説明では次のようになっている。 この日「党外編輯作家聯誼会」(政治批判雑誌の編集者らを中心とした急進派団体)と「党外公共政策研究会」の両団体のメンバー132名が民主進歩党の設立文書に署名、設立を正式に決議。11月10日には、第一回全国代表大会(第一回党大会)を開催。規約、綱領などの議案を採択した」と。
戒厳令解除(1987年7月15日)の八ヶ月前の「事件」であった。蔣政府は民進党を反乱団体とみなしていたが内外の民主化の潮流に抗い切る事は出来ず、民進党は「非合法団体であり承認せず、但し取り締まりもせず」との態度を取っている。事実上の黙認であった。 (これをもって「民進党は国民党の管理の下、一種のダミー政党として結成された。ゆえに選挙での民進党への投票は無益だ云々」との意見があるが、根拠薄弱な言説への思い込みは一種の陰謀史観に囚われているといって良いと思う)。
その後、蔣経国総統は(一)中華民国憲法の遵守(二)反共堅持(三)分離運動(台湾独立を指す)への不関与、この三原則を満たすならば新政党の結成を認める方針を明らかにしており、これはその後の「党禁の解除」へとつながる。これに対して民進党は「民主政党であり反共政策を堅持」する旨を表明、その後民進党は台湾独立に関して大きく舵を切ることとなる。
「1987年5月19日、民進党は戒厳令施行38周年にあたって戒厳体制に抗議する大規模デモを主催し、7月15日の戒厳令の解除を勝ち取った。1987年末、姚嘉文氏が第二代主席に就任した。この年の全国党員代表大会では、「人民には台湾独立を主張する自由がある」との決議文を採択し、翌年1988年の大会では、台湾独立についてさらに踏み込んだ形の「417決議文」を採択した。それは、台湾は国際的に主権が独立しており、北京を首都とする中華人民共和国には属していないとし、「もし国民党・共産党両党が一方的に会談を行ったり、もし国民党が台湾人民の利益を売り渡したり、もし中国が台湾を統一したり、もし国民党が真の民主憲政を実施しない場合、民進党は台湾独立を主張する(民進党HP)」というものである。
民進党が合法政党となるのは1989年(平成元年)のことである。 1987年12月2日、戒厳令解除後初の選挙で民進党は躍進(立法委員21議席、県長6名が当選)、名実共に国民党に対する野党勢力となる。2000年(平成12)3月18日、総統選挙で陳水扁候補(民進党)が連戦候補(国民党)、宋楚瑜候補(無所属)を破り、民進党は遂に半世紀にわたる国民党支配から平和的に政権移行を果たした。
戒厳令下台湾での民進党結成を報じる1986年(昭和六十一)9月30日(火)毎日新聞朝刊.
【補追】 2012年12月末現在、231の団体が政党登録されており、その中には四つの共産主義政党(台灣共產黨、中華民國共產黨、臺灣民主共產黨、中國共産聯盟)までもが存在している。いずれも2008~2009の間に政党登録された新しい政党であり議席を有していない。なお中華民國共產黨の総書記であった陳天福が党を出て新たに創設したのが臺灣民主共產黨であり、陳天福は陳水扁元総統の従弟にあたる。共産主義政党が台湾で合法化されたのは2008年8月12日に登記された台灣共產黨が最初となる。司法院が「人民団体が共産主義を主張することは、人民団体の許可を拒絶する要件とはならない」との憲法解釈を行ったことによる。
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先月28日、民主進歩党(民進党)は結党27周年を迎えた。
1986年(昭和61)9月、民進党は戒厳令下台湾で非合法組織として結成され、その結党劇はいまも鮮烈な印象を我々に与える。
当時、台湾は「党による政治の指導(以党領政)」が40年にわたり続いていた。中国国民党(以下「国民党」)による一党独裁体制下にある台湾では、「党」といえばそれはすなわち国民党を指していた。事実1986年当時の立法委員(国会議員)に占める国民党の議席割合は94%である。「党外に党なく、党内に派閥なく」と言われる所以であった。なお国民党以外にも国共内戦で敗北した国民党軍と共に台湾へ逃亡した中国青年党(青年党)と中国民主社会党(民社党)が存在していた。つまり戒厳令下台湾(1949-1987)での合法政党とは国民党、青年党、民社党の三党であったのだが、両党ともに国民党友党であり、国民党政府の「自由中国」を喧伝し複数政党制を演出する衛星政党の域を出る事はなかった。現在も青年党、及び民社党が分裂して結成された後継政党は立法院に議席を有さない政党として存続する。
政党結成が非合法化されていた状況下では反国民党の政治家や民主活動家は、合法三政党に属さないという意味で「党外」と総称されていた。党外は1981年の地方選挙において各地で「党外候補者推薦会」を開催しており、翌々年(1983)9月18日には「党外中央後援会」が成立、さらに翌年1984年5月11日に公職者を中心とした穏健派党外人士により「党外公共政策研究会(公政会)」が組織されたが、直ちに蔣政府から非合法団体として指定されている。
1986年(昭和61)9月28日、「党外中央後援会」が圓山大飯店(台北市)で候補者推薦会を開催中に突如「民主進歩党」結党が宣言され、党外候補者がそのまま民進党結党発起人となるという思わぬ展開となった。
民進党の説明では次のようになっている。
この日「党外編輯作家聯誼会」(政治批判雑誌の編集者らを中心とした急進派団体)と「党外公共政策研究会」の両団体のメンバー132名が民主進歩党の設立文書に署名、設立を正式に決議。11月10日には、第一回全国代表大会(第一回党大会)を開催。規約、綱領などの議案を採択した」と。
戒厳令解除(1987年7月15日)の八ヶ月前の「事件」であった。蔣政府は民進党を反乱団体とみなしていたが内外の民主化の潮流に抗い切る事は出来ず、民進党は「非合法団体であり承認せず、但し取り締まりもせず」との態度を取っている。事実上の黙認であった。
(これをもって「民進党は国民党の管理の下、一種のダミー政党として結成された。ゆえに選挙での民進党への投票は無益だ云々」との意見があるが、根拠薄弱な言説への思い込みは一種の陰謀史観に囚われているといって良いと思う)。
その後、蔣経国総統は(一)中華民国憲法の遵守(二)反共堅持(三)分離運動(台湾独立を指す)への不関与、この三原則を満たすならば新政党の結成を認める方針を明らかにしており、これはその後の「党禁の解除」へとつながる。これに対して民進党は「民主政党であり反共政策を堅持」する旨を表明、その後民進党は台湾独立に関して大きく舵を切ることとなる。
「1987年5月19日、民進党は戒厳令施行38周年にあたって戒厳体制に抗議する大規模デモを主催し、7月15日の戒厳令の解除を勝ち取った。1987年末、姚嘉文氏が第二代主席に就任した。この年の全国党員代表大会では、「人民には台湾独立を主張する自由がある」との決議文を採択し、翌年1988年の大会では、台湾独立についてさらに踏み込んだ形の「417決議文」を採択した。それは、台湾は国際的に主権が独立しており、北京を首都とする中華人民共和国には属していないとし、「もし国民党・共産党両党が一方的に会談を行ったり、もし国民党が台湾人民の利益を売り渡したり、もし中国が台湾を統一したり、もし国民党が真の民主憲政を実施しない場合、民進党は台湾独立を主張する(民進党HP)」というものである。
民進党が合法政党となるのは1989年(平成元年)のことである。
1987年12月2日、戒厳令解除後初の選挙で民進党は躍進(立法委員21議席、県長6名が当選)、名実共に国民党に対する野党勢力となる。2000年(平成12)3月18日、総統選挙で陳水扁候補(民進党)が連戦候補(国民党)、宋楚瑜候補(無所属)を破り、民進党は遂に半世紀にわたる国民党支配から平和的に政権移行を果たした。
戒厳令下台湾での民進党結成を報じる1986年(昭和六十一)9月30日(火)毎日新聞朝刊.
【補追】
2012年12月末現在、231の団体が政党登録されており、その中には四つの共産主義政党(台灣共產黨、中華民國共產黨、臺灣民主共產黨、中國共産聯盟)までもが存在している。いずれも2008~2009の間に政党登録された新しい政党であり議席を有していない。なお中華民國共產黨の総書記であった陳天福が党を出て新たに創設したのが臺灣民主共產黨であり、陳天福は陳水扁元総統の従弟にあたる。共産主義政党が台湾で合法化されたのは2008年8月12日に登記された台灣共產黨が最初となる。司法院が「人民団体が共産主義を主張することは、人民団体の許可を拒絶する要件とはならない」との憲法解釈を行ったことによる。