『支那 討つべし』西村眞悟(衆議院議員)著/K&Kプレス(『月刊日本』)[近刊]

投稿日:2014-01-05 - 投稿者(文責):mumeijin

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支那討つべし

月刊日本H.P

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日本国内での「支那」呼称、不使用の経緯について
(平成17(2005)年7月24日(日)産経新聞朝刊 笠原健氏署名記事を引用)

政府は、昭和二十一年六月六日付で、「支那」に関する外務省次官通達と、その内容をさらに細かく記した次のような総務局長通達を出しています。

「中華民国の国名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通に行われて居たのである が、其の後之を改められ中国等の語が使はれてゐる処、支那といふ文字は中華民国として極度に嫌ふものであり、現に終戦後同国代表が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、今後は理屈を抜きにして、先方の嫌やがる文字を使はぬやうにしたいと考へ、念のため貴意を得る次第です」

この総務局長通達は、先の大戦後に連合国の一員として東京に代表団を派遣してきた中華民国から、「支那」をやめて中華民国の国号を用いるよう要求があったことを踏まえて出されたものです。

もともと中華民国は、昭和五年五月に日本政府に対して、中華民国という国号を使用することを求め、「支那」の文字を使用した公式文書は受け取りを拒絶する と通告をしており、日本政府は同年十月に「支那」を中華民国と呼ぶよう閣議決定していました。しかし、日本国内では「支那」という言葉はその後も使われ続けました。

「支那」の語源については、インドの仏教が中国に伝来するとき、経典の中にある中国を表す梵語「チーナ・スターナ」を、当時の中国人の僧が漢字で「支那」と当て字にしたことによるものだとする説などがあります。

また「チーナ」は中国の最初の統一王朝である秦に由来するともいわれ、この秦がさらに西方に伝わって、英語のチャイナやフランス語のシーヌなどになっていったとも言われています。

「支那」という言葉は、日本には平安時代に入ってきたといわれていますが、広く用いられるようになったのは江戸時代末期になってからです。差別的な意味などがなかったことは、語源をみても明らかだと思います。

しかし、戦勝国の一員となった中国の求めに応じて、外務省が「理屈うを抜きにして」次官や局長の通達を出してしまった結果、「支那」という言葉は日本国内では公式には「死語」となってしまったというのが実情のようです。(引用終)


(補足)
我が国では先の敗戦まで、現在の中国を指して「支那」と呼び習わすのが一般的であり、中国学とはいわず支那学と呼称されていた。

例えば、大正5(1920)年から昭和22(1947)の間、中国学の研究誌として『支那學』が存在し、この雑誌は京都帝国大学支那学会の学術誌として引き継がれている。また当時、東洋史のなかに於ける「中国史」は支那史という言葉を使用するのが通例であった。東京帝国大学等には支那文学科・支那哲学科が存在した。

それは「中国並びにその一部の地域に対しての全体的な地理的名称、または歴代王朝・政権の名を超越した通史的な呼称」としては「支那(欧米でいう 「China」)」しか存在しなかったからである。そのため「支那」は学術用語としても自然に利用されていたのであろう。


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