平成24年(2012)12月26日発足の、第二次安倍政権。 その安倍晋三総理大臣の外遊先(訪問国)は、この7/25~8/5の中南米五ヶ国訪問を含めると47ヶ国になるという。これは小泉純一郎政権の5年5ヶ月(2001年4月~2006年9月)の間に訪問した48ヶ国に次ぐ二番目となる。また9月上旬には、安倍首相のスリランカ民主社会主義共和国及びバングラデシュ人民共和国訪問が行われる可能性が高いということで、両国を含めると49ヶ国となり、これで歴代総理大臣のなかで首位となるそうだ。歴代内閣でも突出した積極外交といえる。
ところで、安倍晋三首相が現役総理大臣の訪問国数トップだとすると、日本の首相で初めて外遊を行ったのは一体誰で、どの国を訪問したのであろうか。
現役総理の外遊は、昭和18年3月12日、東條英機首相(第四十代総理大臣)による中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)訪問を嚆矢とする。やや意外の感を受けるが、それ以前に総理自身の外国訪問というものは行われていなかったのだ。戦時中という状況が東條首相の積極的な行動を推し進めたのか、または東條首相自身の個人的性格に由来するものなのかは判らない。いずれにせよ、この時東條首相は首都南京や上海を訪問している。
日本が南京国民政府を正式に承認したのは日華基本条約締結の昭和15年(1940)11月30日のことで、東條首相の訪華二ヶ月前に汪兆銘政権は対英米宣戦布告を行い、日本と共同し対英米戦を遂行する為の「戦争完遂ニ付テノ協力ニ関する日華共同宣言」に調印を行っている。日独伊と連携するアジアの枢軸国として参戦したわけであり、東條首相と汪兆銘主席とのあいだで日華による対英米戦についての意見交換が行われたという(*1)。
中華民国(南京国民政府)訪問の翌月四月、東條首相は満洲国を訪問して皇帝溥儀、皇弟溥傑への奉伺と、張景恵国務総理らと会談(*2)。
同年5月、東條首相はフィリピンを訪問し、ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官らとフィリピン独立問題等について会談を行っている(*3)。 . (右一)東條英機首相 (右三)ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官 (左四)ホセ・ラウレル(Jose P Laurel)行政委員会委員。
ホセ・ラウレルはこの年11月に東京で開催された大東亜会議にはフィリピン共和国大統領として出席。その後戦況の悪化と共に日本へ亡命、終戦を大東亜共栄圏の盟主であった日本で迎え、玉音放送の二日後フィリピン共和国(第二共和国)は消滅した。フィリピンが米国から独立(フィリピン第三共和国)を果たすのは翌1946年7月4日のことである。
米軍により拘束されるフィリピン共和国閣僚(左:ホセ・ラウレル大統領、中:ベニグノ・アキノ下院議長、右:ホセ・ラウレルⅢ駐日大使)。昭和20年夏、場所は大阪(もしくは奈良)とされている。対日協力者として戦犯指定を受け、この後巣鴨拘置所へ移送される。日本を頼りとしフィリピン独立に奔走した敗者達の悄然とした表情、同情の念を禁じ得ない。
このフィリピン訪問(5月5日~9日)の帰途に東條首相は台湾に立ち寄り、長谷川 清台湾総督を訪問している。下の写真はその時のもので、台湾総督府庁舎前での撮影と思われる。[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中
その後も東條首相は6~7月に同盟国タイ、そして昭南(シンガポール)、インドネシアを訪問(*4)、当時としては非常に積極的行動を取る人物であったように思える。
戦後、台湾を訪問した現役首相は岸信介(昭和32年/1957)と佐藤栄作(昭和44年/1967,昭和45年/1970)で、岸首相は総理就任後すぐに東南アジア歴訪(ビルマ、インド、パキスタン、セイロン〈現スリランカ〉、タイ、台湾)の最後に訪台、蔣介石と会談を行っている。
[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中/台灣総督府 庁舎前
(前列右八)東條英機 首相兼陸軍大臣 (前列右七)台灣軍司令官 安藤利吉 中将(後に最後の台灣総督となる) (前列左七)長谷川 清 台灣総督 (前列左六)軍務局長 佐藤賢了 陸軍中将 (中列右四)柴 勝男海軍大佐(昭和20年戦艦ミズーリ甲板上での降伏調印式 日本側代表団一員として名を残す⇒右写真右四の人物) (中列五)服部卓四郎 陸軍大佐(『大東亜戦争全史』著者。戦後、服部ら旧軍人らによる吉田茂首相暗殺計画があったことが、平成19年報じられた)
(*1)『東條首相 南京訪問』日本ニュース第145号[昭和18年(1943)3月16日公開] http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300530_00000&seg_number=001
(*2)『東條首相 満洲国訪問』日本ニュース第148号[昭和18年(1943)4月7日公開] http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300533_00000&seg_number=001
(*3)『東條首相比島訪問』日本ニュース153号[昭和18年(1943)5月11日公開] http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300538_00000&seg_number=002
(*4)『東條首相 泰国、昭南を訪問』日本ニュース162号[昭和18年(1943)7月13日公開] http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300547_00000&seg_number=001
平成24年(2012)12月26日発足の、第二次安倍政権。
その安倍晋三総理大臣の外遊先(訪問国)は、この7/25~8/5の中南米五ヶ国訪問を含めると47ヶ国になるという。これは小泉純一郎政権の5年5ヶ月(2001年4月~2006年9月)の間に訪問した48ヶ国に次ぐ二番目となる。また9月上旬には、安倍首相のスリランカ民主社会主義共和国及びバングラデシュ人民共和国訪問が行われる可能性が高いということで、両国を含めると49ヶ国となり、これで歴代総理大臣のなかで首位となるそうだ。歴代内閣でも突出した積極外交といえる。
ところで、安倍晋三首相が現役総理大臣の訪問国数トップだとすると、日本の首相で初めて外遊を行ったのは一体誰で、どの国を訪問したのであろうか。
現役総理の外遊は、昭和18年3月12日、東條英機首相(第四十代総理大臣)による中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)訪問を嚆矢とする。やや意外の感を受けるが、それ以前に総理自身の外国訪問というものは行われていなかったのだ。戦時中という状況が東條首相の積極的な行動を推し進めたのか、または東條首相自身の個人的性格に由来するものなのかは判らない。いずれにせよ、この時東條首相は首都南京や上海を訪問している。
日本が南京国民政府を正式に承認したのは日華基本条約締結の昭和15年(1940)11月30日のことで、東條首相の訪華二ヶ月前に汪兆銘政権は対英米宣戦布告を行い、日本と共同し対英米戦を遂行する為の「戦争完遂ニ付テノ協力ニ関する日華共同宣言」に調印を行っている。日独伊と連携するアジアの枢軸国として参戦したわけであり、東條首相と汪兆銘主席とのあいだで日華による対英米戦についての意見交換が行われたという(*1)。
中華民国(南京国民政府)訪問の翌月四月、東條首相は満洲国を訪問して皇帝溥儀、皇弟溥傑への奉伺と、張景恵国務総理らと会談(*2)。
同年5月、東條首相はフィリピンを訪問し、ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官らとフィリピン独立問題等について会談を行っている(*3)。
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(右一)東條英機首相
(右三)ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官
(左四)ホセ・ラウレル(Jose P Laurel)行政委員会委員。
ホセ・ラウレルはこの年11月に東京で開催された大東亜会議にはフィリピン共和国大統領として出席。その後戦況の悪化と共に日本へ亡命、終戦を大東亜共栄圏の盟主であった日本で迎え、玉音放送の二日後フィリピン共和国(第二共和国)は消滅した。フィリピンが米国から独立(フィリピン第三共和国)を果たすのは翌1946年7月4日のことである。
米軍により拘束されるフィリピン共和国閣僚(左:ホセ・ラウレル大統領、中:ベニグノ・アキノ下院議長、右:ホセ・ラウレルⅢ駐日大使)。昭和20年夏、場所は大阪(もしくは奈良)とされている。対日協力者として戦犯指定を受け、この後巣鴨拘置所へ移送される。日本を頼りとしフィリピン独立に奔走した敗者達の悄然とした表情、同情の念を禁じ得ない。
このフィリピン訪問(5月5日~9日)の帰途に東條首相は台湾に立ち寄り、長谷川 清台湾総督を訪問している。下の写真はその時のもので、台湾総督府庁舎前での撮影と思われる。[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中
その後も東條首相は6~7月に同盟国タイ、そして昭南(シンガポール)、インドネシアを訪問(*4)、当時としては非常に積極的行動を取る人物であったように思える。
戦後、台湾を訪問した現役首相は岸信介(昭和32年/1957)と佐藤栄作(昭和44年/1967,昭和45年/1970)で、岸首相は総理就任後すぐに東南アジア歴訪(ビルマ、インド、パキスタン、セイロン〈現スリランカ〉、タイ、台湾)の最後に訪台、蔣介石と会談を行っている。
[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中/台灣総督府 庁舎前
(前列右八)東條英機 首相兼陸軍大臣
(前列右七)台灣軍司令官 安藤利吉 中将(後に最後の台灣総督となる)
(前列左七)長谷川 清 台灣総督
(前列左六)軍務局長 佐藤賢了 陸軍中将
(中列右四)柴 勝男海軍大佐(昭和20年戦艦ミズーリ甲板上での降伏調印式 日本側代表団一員として名を残す⇒右写真右四の人物)
(中列五)服部卓四郎 陸軍大佐(『大東亜戦争全史』著者。戦後、服部ら旧軍人らによる吉田茂首相暗殺計画があったことが、平成19年報じられた)
(*1)『東條首相 南京訪問』日本ニュース第145号[昭和18年(1943)3月16日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300530_00000&seg_number=001
(*2)『東條首相 満洲国訪問』日本ニュース第148号[昭和18年(1943)4月7日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300533_00000&seg_number=001
(*3)『東條首相比島訪問』日本ニュース153号[昭和18年(1943)5月11日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300538_00000&seg_number=002
(*4)『東條首相 泰国、昭南を訪問』日本ニュース162号[昭和18年(1943)7月13日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300547_00000&seg_number=001