【署名に御協力を!】台湾の国連加盟を支持する署名活動/国連脱退43年

投稿日:2014-08-04 - 投稿者(文責):mumeijin

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台灣聯合國協進會

台灣聯合國協進會が台湾の国連加盟を支持を求める署名活動を開始しており、日本人の署名も可能なので御協力を。署名数はまだ少ないものの、台湾人と共に日本人の署名が目立っている。署名は下記サイトからどうぞ。なお「聯合國(連合国/)」はUnited Nationsの漢訳で、国際連合を指す。

世に理不尽な事は多い。2300万国民を擁する台湾の国際連合への未加盟もその一つである。
どうか友邦台湾のため、そして日本の為にも署名に御協力をお願いしたい。

我支持台灣加入聯合國(I support Taiwan to join the United Nations)

〇署名方法:「加入個人連署(個人署名)」または「加入團體連書(団体署名)」を選択のうえ、「姓名」欄に氏名を書込む(必須)。コメントが有る場合は「留言」欄に記載する。


現在、国際連合 安全保障理事会の常任理事国は、国連憲章第23条で次の五か国と規定されている。

中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

70年前の第二次世界大戦の戦勝国が、いまだ安全保障理事会(安保理/国連の最高意思決定機関)での議案拒否権という強力な権限を有している訳であるが、現在の常任理事国が、実際には以下の五か国であることは周知の事実であろう。

中華人民共和国、フランス、ロシア連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

いわゆる五大国のうちソ連邦解体(1991年)により、ロシア連邦が常任理事国ソ連邦の権利を継承している。常任理事国の一国が解体されるという非常事態に際し、英米仏中は自国の常任理事国としての地位保全、国連改革論議が起こるよりは、そのままロシアを常任理事国として承認する方が無難であると考えたとされている。なお国連憲章は過去に三度改正が行われてはいるが、常任理事国の変更という重要な事柄の訂正は行われておらず、そのため国連憲章の条文にはいまだ「ソ連」「中華民国」が存在するのである。国連憲章改正がなければ「五ヶ国」は恒久的な優越的地位を有する訳で、その公平性には疑問を感じずにはおれない。

国連創始国のひとつ中華民国が国連を脱退した年は1971年(昭和46)である。

1949年に大陸での統治能力を既に失っていた中華民国政府(国府)は、その実態は台湾にのみ残存する蔣氏集団(中華民国後継勢力)と言うべきものであったが、以降20年以上にわたり国連常任理事国としての地位にあったのは、蔣介石政府の後ろ楯であった米国の中国代表権問題棚上げ政策により、台湾の中華民国が中国を代表するというフィクションが成立する余地がまだ有ったからである。しかし60年代の中ソ対立の時代を経て、米国は70年代には中国共産党(中共)政府との関係改善を進展させるとともに、中国代表権問題を検討し始める。

1971年10月25日、2758号決議(「中共の代表権回復、国府追放」/通称:アルバニア決議/正式名称「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」)により中国代表権問題は進展する。結果的に中華人民共和国が、中華民国に代わり唯一の正統政府として国連に加盟を果たし、中華民国は国連追放となる前、翌26日国連を脱退したのだ。

1972年(昭和47)発行の我が国『外交青書』の「中国代表権問題」項には経緯が以下の様に記載されている。


『外交青書(昭和47年版)』  「第26回国際連合総会」(1971開催) から引用

1. 中国代表権問題

本問題は1949年に中華人民共和国が成立してから20年余にわたつて争われてきたものであるが, 第25回総会(1970年)でアルバニア決議案に対する賛成票が反対票を上回つて以来,中華人民共和国を国連に迎え入れたいという気運が盛り上り,この点に関しては加盟国の間にコンセンサスに近いものが生れるにいたつた。そこで第26回総会では中華人民共和国の国連参加に際し中華民国を国連より追放すべきか否かに争点が絞られたのであつた。

まず,7月中旬にアルバニア等は「中華人民共和国政府の代表権回復,中華民国政府追放」を趣旨とするアルバニア決議案(共同提案国23ヵ国)を早々と事務局に提出したが,これに対して米国等は,9月にいたり,中華人民共和国の国連参加を認め,安保理常任理事国の席をこれに与えると同時に,中華民国の議席も認めるといういわゆる二重代表制決議案(共同提案国19ヵ国)および中華民国の追放は憲章18条に従い重要問題であり,3分の2の多数によつて決めるべきであるとする追放反対重要問題決議案(共同提案国22ヵ国)を提出した。わが国はすでに8月に木村外務大臣臨時代理より中華人民共和国の国連参加は阻まないが,中華民国の議席追放は反対であるとの基本方針を発表していたが,9月22日にいたり,佐藤総理より二重代表制決議案および追放反対重要問題決議案を共同提案する旨発表した。

総会が始まると,議題採択等をめぐり一般委員会や本会議等で中華民国追放支持派と反対派の間で激しい論議が展開された後,注目のうちに10月18日より本件の本格審議が開始された。ここでは73ヵ国の多数が一般討論に参加したが,わが国の愛知首席代表も,わが方決議案は複雑かつ微妙な問題を漸進的に解決せんとする経過的な性格のものである等,わが国の立場を説明する発言を行なつた。

表決は25日に行なわれた。この日の審議は午後3時から深夜の11時30分まで食事抜きでぶつ続けに行なわれた。その中で追放反対重要問題決議案は8票差で先議権を獲得したものの,決議案自体は賛成55,反対59,棄権15,欠席2で否決され,これに続いてアルバニア決議案は賛成76,反対35,棄権17,欠席3で採択された。この結果,二重代表制決議案は表決に付さないこととなつた。また,アルバニア決議案の表決に先立ち,中華民国代表は,これ以上総会の審議に参加しないことを宣言し,総会議場より退場した。こうして20年来続いた国連における中国代表権問題は劇的な幕切れとなったのであつた。

[引用終]


台湾は国連残留の可能性が有った

アルバニア決議案が承認されるまでに、台湾(中華民国)支持の友好国(特に佐藤榮作政権、米国ニクソン政権)は、蔣介石政府に対し、安保理常任理事国の座を中共に譲り渡した後も、国連の一般議席に残留するよう再三説得を試みていた。特に日本は、佐藤首相の実兄・岸信介元首相が特使として蔣介石への説得を行っていた事実を、黄昭堂氏が岸元首相の口から直接聞いていたとある(『正論』平成18年10月号/斎藤勉「国連追放35年、台湾の苦闘と心意気を探る」p135)。岸信介元首相は蔣に対し「国連追放の前に(例えば)台湾共和国名義での国連残留」を強く進言するつもりであったという。

しかし蔣介石は「漢賊不両立」「中華民国こそが唯一の中国正統政府」と強硬に主張、固執するあまり日米の説得を拒否。米国はこの頑迷な蔣の主張を挫くために、キッシンジャー特別補佐官による北京訪問(1971/10/20)を行い米中接近をアピールして蔣の主張する虚構に対する牽制を行っている。これにより国連加盟国の中華民国支持派が大きく動揺、アルバニア決議案が大差で可決(1971/10/25)されたという。実は中ソ間で緊張状態にあった中共は米中接近を優先させる為に、二重代表制中華人民共和国の国連参加、安保理常任理事国にすると同時に,中華民国の総会での議席をも認める)に強く反対していなかったといわれる( 戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年刊/P352)。

また大陸反攻への執念を抱いていた蔣介石にとり(台湾だけでの)国連加盟は、「全中国を代表する中華民国」と中国共産党との内戦状態の終結を意味する。それが戒厳令解除、台湾民主化へとつながれば、台湾における蔣自身の権力の正統性失墜を恐れたとも推測出来る。いずれにせよ、現在に至る台湾の国連加盟を困難にした主因は1,400万台湾人(当時)の将来より、安保理を離れ国連の一加盟国となることを面子の問題で拒絶した蔣介石の誤判断にあったといえる。

国連脱退
周書楷 中華民国外交部長「国連は自ら憲章を破壊した」「…本日決然と創設に参与した国連を脱退する」
追放という恥辱を避ける為、アルバニア決議案採択前に国連脱退を宣言、議場を去った。

なお国連憲章第四条には、国連加盟国の地位として次の一項が規定されている。

国際連合における加盟国の地位は、この憲章に掲げる義務を受託し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている。

1993年、李登輝政権時代から始まった台湾の国連加盟申請16回、そのうち陳水扁政権の2007年7月にはそれまでの「中華民国」名義での再加盟申請から初めて「台湾」名義での国連新規加盟申請を行い注目されたが、「台湾は自国の一省である」と主張する中国や潘基文国連事務総長の妨害(2007年台湾名義での申請に当たり台湾国連加盟に関するFAQ p4参照)により失敗している。また現在の馬英九国民党政権は中国を刺激する事を避ける為、国連加盟申請自体に関心を抱いていない。

台湾と聯合國
台湾での集会や示威行進ではUN FOR TAIWANと印刷された国連旗をよく見掛ける。国連加盟は台湾人の悲願なのだ。


[関連略史]

1945年
10月24日 国際連合発足、中華民国加盟

1949年
10月  1日 中華人民共和国成立宣言
11月18日 中華人民共和国による最初の「中華民国」国連追放提起
12月  7日 中華民国政府、台北“遷都”決定
12月10日 蔣介石、台北へ敗走

1950年
1月16日 英国が中華人民共和国を承認、英国と「中華民国」断交

1957年
6月 2日 岸信介首相、アジア歴訪、台湾で蔣介石の「大陸反攻」に支持表明

1963年
9月18日 池田隼人首相「国府の大陸反攻は希望なし」と発言

1964年
1月27日 フランスが中華人民共和国を承認
2月  7日 中華民国、対仏断交声明

1971年
10月25日 国連、アルバニア決議採択(賛成76、反対35、棄権17)
10月26日 アルバニア決議に抗議し中華民国は国連「脱退」

1972年
2月21日 ニクソン訪中、米中共同声明(米国の中共政府承認)
9月29日 日中国交樹立、日台断交(日本 田中角栄政権/台湾 蔣介石政権)

1975年
4月5日 蔣介石死去

1979年
1月  1日 米台国交断絶(米カーター政権/台湾 蔣経国政権)、米中国交樹立
4月10日 米国「台湾関係法」発効

[参考文献]
戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年
呉密察原著監修/遠流台湾館編著『増補改訂版 台湾史小事典』中国書店 2010年


 

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