Archive for the ‘お知らせ’ Category

『チャイニーズタイペイではなく台湾と呼ぶことを求めます!』署名に御協力を!

2016-09-10
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我々、台灣建國應援團(台湾建国応援団)は、台湾研究フォーラム(台灣研究論壇)が現在推進している『2020東京オリンピックで台湾のことを「チャイニーズタイペイではなく台湾と呼ぶことを求めます!』の活動を支持します。

またスポーツの世界で中国による台湾併合を正当化しようとするための政治スローガン「中華台北」から台湾の主権と台湾人の尊厳を守護するための、この正名運動に対して皆様の御協力をお願い申し上げる次第です。

「チャイニーズタイペイ(CHINESE TAIPEI)」は「中華台北」と訳されることが多いが、「中国領台北(=中属台北)」の意味も有する、きわめて覇権主義的な造語である。例えて言うならば、沖縄県を「中華琉球」と称するようなものといえる。

日本国民と台湾人民の力で、国際社会における「中華台北」呼称を阻止しよう!

◇活動ウェブサイト「台湾2020東京」
http://taiwan2020tokyo.org/&h=1aqhfdofm&s=1_green

◇「台湾2020東京」オンライン署名活動(Change.org)
http://chn.ge/1q4zvg4&h=oaqg6tupb&s=1_white


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趣意文

オリンピックをはじめとするスポーツの国際試合で「台湾」ではなく「チャイニーズタイペイ」という言葉が使われています。

チャイニーズタイペイは「台湾は中国の一部である」という中国政府の政治的な圧力によって生まれた呼称です。中国政府は国際スポーツを政治問題に利用し、自らの主張を国際社会に宣伝しています。

台湾は台湾であり、中国ではありません。

2014年のひまわり学生運動や2016年の総統選挙からも分かるように、台湾国内で台湾人としての強いアイデンティティがあることは世界中の人々が理解していると思います。

そして現在、台湾では国際スポーツの会場で「台湾は台湾」という横断幕を掲げ、チャイニーズタイペイを使うことを拒否する運動が起きています。

私たちは台湾の人々の声に共感し、チャイニーズタイペイではなく「台湾は台湾」であることを国際社会に求めます。

多くの国の人々が賛同し、国際社会が認めることによって、チャイニーズタイペイという呼称を台湾に変えることが出来ると私たちは信じています。

最後に、この署名を立ち上げた私たちは日本人の立場として、2020年の東京オリンピックで台湾代表が台湾の表記で出場することを切に願います。

この署名は、日本国内の日本人と台湾人の有志が立ち上げました。

私たちは世界中の国々で「台湾は台湾」と訴える様々なグループが出て来ることを望みます。

私たちはこの署名を立ち上げましたが、訴える方法は一つではありません。思想と表現の自由を尊重し、自由にそれぞれの方法で平和的に行動する人々が増えることを望みます。


 

【訃報】 外交部前部長陳唐山夫人・林純純女史

2016-03-15
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陳唐山夫人・林純純女史
外交部前部長陳唐山的妻子林純純(右)病逝,享年76歲。

陳唐山先生談了(3月13日 19:44)
「內人純純已於LA 時間3月12日清晨4點10分在長子家安祥過逝。謝謝諸位兄姊多年的關照」陳唐山先生facebookより
(妻・林純純はロサンゼルス時間3月12日早朝4時10分 長子の家において穏やかに永眠しました。皆様の生前の御厚誼に感謝します)


 

聯合新聞報道
「前外長陳唐山夫人林純純病逝 享年76歲」
外交部前部長陳唐山的妻子林純純12日病逝美國加州爾灣市的家中,享年76歲。華府台灣同鄉會會長劉美齡12日以電子郵件通知同鄉會會員,信中提到,「剛才接到一個不幸的消息,前外交部長陳唐山的夫人林純純女士,今天早上在西部時間4點鐘,離開了我們。在此我們願林純純女士的靈魂安息,也請大家為她的家人祈禱。葬禮的時間與地點以林女士家人的正式訃聞為主」。華府僑界人士指出,林純純生前罹患大腸癌。

陳唐山外交部前部長(日本の外務大臣にあたる)夫人林純純氏が12日カリフォルニア州アーバイン市の自宅で病逝されました。享年76歳。同日、劉美齢(ワシントン台湾同郷会会長)は電子メールで同郷会会員に通知、その中で「先程ひとつの不幸な連絡がありました。陳唐山前外交部長夫人・林純純女士が、今朝西部時間4時に、私達とお別れとなられました。私達は彼女の魂が安らかに眠られることを願っています。どうぞ彼女の家族のために祈って下さい。葬儀の時間や場所については林女史の家族から正式なお知らせがあります。在ワシントン台僑の人々は、林純純女史が生前大腸癌を患っていたと指摘しています。

陳唐山前外交部長夫人林純純 様の御逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、衷心から御冥福をお祈りいたします。台湾建国応援団会員 一同



 

獻給 松井光彥(台灣建國應援團副代表) 的追悼文

2014-10-21
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本稿は9月22日に逝去した松井光彦氏(本会副代表)の追悼文で、『台灣守護周刊』に掲載された文章を転載したものです。翻訳等で御協力頂いた皆様、特に永山英樹台湾研究フォーラム会長、謝恵芝氏、Jimmy Chenに感謝申し上げます。有難う御座いました。

本日は松井さんが旅立った日からひと月です。彼は私達より一足先に旅立ちました。しかし私達の心には松井光彦spiritは今も生きている。今生で彼に出会えた事、つくづく幸運だった。


 

松井光彦さん
獻給 松井光彥(台灣建國應援團副代表) 的追悼文

作者 田邊憲司(日前來台登玉山頂峰高舉台灣獨立標語,遭到馬政府限制來台的日本友人)

生於1957年的松井光彥看起來比歲數年輕很多, 他不僅有年輕人的樣子, 連精神和行動都非常年輕。人們在上了年紀之後, 夢想和理想都會漸行漸遠, 向現實低頭與妥協, 但他不是這樣的人, 他是一位獨立心旺盛, 很有決斷力且實際付出行動的人, 就像有清純精神的年輕人一樣, 痛恨社會的蠻橫、不合理與不公不義。

我和他相遇在2008年3月, 長野縣舉行北京奧運聖火接力的現場, 我們在那裏向中國表達抗議, 他對中共加諸於圖博民族、唯吾爾民族的鎮壓, 感到極端的憤怒。隔年5月, 胡錦濤來到東京日比谷公園時, 我們在抗議行動中再度重逢。

因為我們都居住在關西地區, 之後自然而然就一起參加活動了, 後來知道他和我一樣有很強烈的意志在支持台灣獨立, 我們就在2010年1月組織了台灣建國應援團。

那一年的2月, 應援團首度訪台, 他負責計劃等所有的籌備工作, 他的專注力和事務能力都很高, 更厲害的是他迅速的行動力。

他建議我們在2月27號那天參加「228事件63週年追悼遊行活動」, 我們見到了當時的台灣獨立建國聯盟主席黃昭堂及民進黨黨主席蔡英文等, 隔天還參加了在龍山寺前舉行的「228事件追悼會」。在這場盛大的典禮中, 他受到台灣國運動總會長王獻極的指名, 請他以日本人的立場進行支持台灣獨立的演講, 他演講的特徵不但完全理性, 且是排除情緒化因素的內容, 贏得了在場群眾熱烈的歡聲與掌聲, 也讓我們見識到他卓越的實力。

接著我們到台北車站前去拉著「日本支持台灣獨立建國」的布條時, 有好幾次都受到在台中國人的干擾, 他覺得這樣的畫面很有趣, 用錄影機把過程都記錄了下來。

停留在台灣的期間, 我們一大早就到台北市內閒逛, 他積極的態度好像沒有行動就很痛苦一樣, 他也很喜歡台灣的老街和台灣料理, 心中一籮筐的都是和他在台灣留下的回憶。

松井從關西搬到名古屋之後也專注於音樂活動, 2010年1月總統選舉前, 他作了一首叫『Beautiful Formosa』的歌為台灣加油, 雖然民進黨敗選了, 他還是以很平靜的口吻說:「台灣終究會獨立成功的」、 「很想看到台灣旗飄揚在總統府上空」 對於他這麼快就離開, 我感到無限的悲傷與遺憾, 承繼他支持台灣建國的意志, 接下來就是我的工作了。

註:松井光彥桑於今年九月二十二日,因食道癌病逝,享年57歲。僅以本文分享給台灣國人同志們,讓大家認識這位以自己的生命歲月來為台灣獨立付出的日本台獨先進
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圖片:松井光彥桑2010/2/28台灣留影
原文網址:http://ilha-formosa.org/?p=33556


 

【署名に御協力を!】台湾の国連加盟を支持する署名活動/国連脱退43年

2014-08-04
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台灣聯合國協進會

台灣聯合國協進會が台湾の国連加盟を支持を求める署名活動を開始しており、日本人の署名も可能なので御協力を。署名数はまだ少ないものの、台湾人と共に日本人の署名が目立っている。署名は下記サイトからどうぞ。なお「聯合國(連合国/)」はUnited Nationsの漢訳で、国際連合を指す。

世に理不尽な事は多い。2300万国民を擁する台湾の国際連合への未加盟もその一つである。
どうか友邦台湾のため、そして日本の為にも署名に御協力をお願いしたい。

我支持台灣加入聯合國(I support Taiwan to join the United Nations)

〇署名方法:「加入個人連署(個人署名)」または「加入團體連書(団体署名)」を選択のうえ、「姓名」欄に氏名を書込む(必須)。コメントが有る場合は「留言」欄に記載する。


現在、国際連合 安全保障理事会の常任理事国は、国連憲章第23条で次の五か国と規定されている。

中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

70年前の第二次世界大戦の戦勝国が、いまだ安全保障理事会(安保理/国連の最高意思決定機関)での議案拒否権という強力な権限を有している訳であるが、現在の常任理事国が、実際には以下の五か国であることは周知の事実であろう。

中華人民共和国、フランス、ロシア連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

いわゆる五大国のうちソ連邦解体(1991年)により、ロシア連邦が常任理事国ソ連邦の権利を継承している。常任理事国の一国が解体されるという非常事態に際し、英米仏中は自国の常任理事国としての地位保全、国連改革論議が起こるよりは、そのままロシアを常任理事国として承認する方が無難であると考えたとされている。なお国連憲章は過去に三度改正が行われてはいるが、常任理事国の変更という重要な事柄の訂正は行われておらず、そのため国連憲章の条文にはいまだ「ソ連」「中華民国」が存在するのである。国連憲章改正がなければ「五ヶ国」は恒久的な優越的地位を有する訳で、その公平性には疑問を感じずにはおれない。

国連創始国のひとつ中華民国が国連を脱退した年は1971年(昭和46)である。

1949年に大陸での統治能力を既に失っていた中華民国政府(国府)は、その実態は台湾にのみ残存する蔣氏集団(中華民国後継勢力)と言うべきものであったが、以降20年以上にわたり国連常任理事国としての地位にあったのは、蔣介石政府の後ろ楯であった米国の中国代表権問題棚上げ政策により、台湾の中華民国が中国を代表するというフィクションが成立する余地がまだ有ったからである。しかし60年代の中ソ対立の時代を経て、米国は70年代には中国共産党(中共)政府との関係改善を進展させるとともに、中国代表権問題を検討し始める。

1971年10月25日、2758号決議(「中共の代表権回復、国府追放」/通称:アルバニア決議/正式名称「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」)により中国代表権問題は進展する。結果的に中華人民共和国が、中華民国に代わり唯一の正統政府として国連に加盟を果たし、中華民国は国連追放となる前、翌26日国連を脱退したのだ。

1972年(昭和47)発行の我が国『外交青書』の「中国代表権問題」項には経緯が以下の様に記載されている。


『外交青書(昭和47年版)』  「第26回国際連合総会」(1971開催) から引用

1. 中国代表権問題

本問題は1949年に中華人民共和国が成立してから20年余にわたつて争われてきたものであるが, 第25回総会(1970年)でアルバニア決議案に対する賛成票が反対票を上回つて以来,中華人民共和国を国連に迎え入れたいという気運が盛り上り,この点に関しては加盟国の間にコンセンサスに近いものが生れるにいたつた。そこで第26回総会では中華人民共和国の国連参加に際し中華民国を国連より追放すべきか否かに争点が絞られたのであつた。

まず,7月中旬にアルバニア等は「中華人民共和国政府の代表権回復,中華民国政府追放」を趣旨とするアルバニア決議案(共同提案国23ヵ国)を早々と事務局に提出したが,これに対して米国等は,9月にいたり,中華人民共和国の国連参加を認め,安保理常任理事国の席をこれに与えると同時に,中華民国の議席も認めるといういわゆる二重代表制決議案(共同提案国19ヵ国)および中華民国の追放は憲章18条に従い重要問題であり,3分の2の多数によつて決めるべきであるとする追放反対重要問題決議案(共同提案国22ヵ国)を提出した。わが国はすでに8月に木村外務大臣臨時代理より中華人民共和国の国連参加は阻まないが,中華民国の議席追放は反対であるとの基本方針を発表していたが,9月22日にいたり,佐藤総理より二重代表制決議案および追放反対重要問題決議案を共同提案する旨発表した。

総会が始まると,議題採択等をめぐり一般委員会や本会議等で中華民国追放支持派と反対派の間で激しい論議が展開された後,注目のうちに10月18日より本件の本格審議が開始された。ここでは73ヵ国の多数が一般討論に参加したが,わが国の愛知首席代表も,わが方決議案は複雑かつ微妙な問題を漸進的に解決せんとする経過的な性格のものである等,わが国の立場を説明する発言を行なつた。

表決は25日に行なわれた。この日の審議は午後3時から深夜の11時30分まで食事抜きでぶつ続けに行なわれた。その中で追放反対重要問題決議案は8票差で先議権を獲得したものの,決議案自体は賛成55,反対59,棄権15,欠席2で否決され,これに続いてアルバニア決議案は賛成76,反対35,棄権17,欠席3で採択された。この結果,二重代表制決議案は表決に付さないこととなつた。また,アルバニア決議案の表決に先立ち,中華民国代表は,これ以上総会の審議に参加しないことを宣言し,総会議場より退場した。こうして20年来続いた国連における中国代表権問題は劇的な幕切れとなったのであつた。

[引用終]


台湾は国連残留の可能性が有った

アルバニア決議案が承認されるまでに、台湾(中華民国)支持の友好国(特に佐藤榮作政権、米国ニクソン政権)は、蔣介石政府に対し、安保理常任理事国の座を中共に譲り渡した後も、国連の一般議席に残留するよう再三説得を試みていた。特に日本は、佐藤首相の実兄・岸信介元首相が特使として蔣介石への説得を行っていた事実を、黄昭堂氏が岸元首相の口から直接聞いていたとある(『正論』平成18年10月号/斎藤勉「国連追放35年、台湾の苦闘と心意気を探る」p135)。岸信介元首相は蔣に対し「国連追放の前に(例えば)台湾共和国名義での国連残留」を強く進言するつもりであったという。

しかし蔣介石は「漢賊不両立」「中華民国こそが唯一の中国正統政府」と強硬に主張、固執するあまり日米の説得を拒否。米国はこの頑迷な蔣の主張を挫くために、キッシンジャー特別補佐官による北京訪問(1971/10/20)を行い米中接近をアピールして蔣の主張する虚構に対する牽制を行っている。これにより国連加盟国の中華民国支持派が大きく動揺、アルバニア決議案が大差で可決(1971/10/25)されたという。実は中ソ間で緊張状態にあった中共は米中接近を優先させる為に、二重代表制中華人民共和国の国連参加、安保理常任理事国にすると同時に,中華民国の総会での議席をも認める)に強く反対していなかったといわれる( 戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年刊/P352)。

また大陸反攻への執念を抱いていた蔣介石にとり(台湾だけでの)国連加盟は、「全中国を代表する中華民国」と中国共産党との内戦状態の終結を意味する。それが戒厳令解除、台湾民主化へとつながれば、台湾における蔣自身の権力の正統性失墜を恐れたとも推測出来る。いずれにせよ、現在に至る台湾の国連加盟を困難にした主因は1,400万台湾人(当時)の将来より、安保理を離れ国連の一加盟国となることを面子の問題で拒絶した蔣介石の誤判断にあったといえる。

国連脱退
周書楷 中華民国外交部長「国連は自ら憲章を破壊した」「…本日決然と創設に参与した国連を脱退する」
追放という恥辱を避ける為、アルバニア決議案採択前に国連脱退を宣言、議場を去った。

なお国連憲章第四条には、国連加盟国の地位として次の一項が規定されている。

国際連合における加盟国の地位は、この憲章に掲げる義務を受託し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている。

1993年、李登輝政権時代から始まった台湾の国連加盟申請16回、そのうち陳水扁政権の2007年7月にはそれまでの「中華民国」名義での再加盟申請から初めて「台湾」名義での国連新規加盟申請を行い注目されたが、「台湾は自国の一省である」と主張する中国や潘基文国連事務総長の妨害(2007年台湾名義での申請に当たり台湾国連加盟に関するFAQ p4参照)により失敗している。また現在の馬英九国民党政権は中国を刺激する事を避ける為、国連加盟申請自体に関心を抱いていない。

台湾と聯合國
台湾での集会や示威行進ではUN FOR TAIWANと印刷された国連旗をよく見掛ける。国連加盟は台湾人の悲願なのだ。


[関連略史]

1945年
10月24日 国際連合発足、中華民国加盟

1949年
10月  1日 中華人民共和国成立宣言
11月18日 中華人民共和国による最初の「中華民国」国連追放提起
12月  7日 中華民国政府、台北“遷都”決定
12月10日 蔣介石、台北へ敗走

1950年
1月16日 英国が中華人民共和国を承認、英国と「中華民国」断交

1957年
6月 2日 岸信介首相、アジア歴訪、台湾で蔣介石の「大陸反攻」に支持表明

1963年
9月18日 池田隼人首相「国府の大陸反攻は希望なし」と発言

1964年
1月27日 フランスが中華人民共和国を承認
2月  7日 中華民国、対仏断交声明

1971年
10月25日 国連、アルバニア決議採択(賛成76、反対35、棄権17)
10月26日 アルバニア決議に抗議し中華民国は国連「脱退」

1972年
2月21日 ニクソン訪中、米中共同声明(米国の中共政府承認)
9月29日 日中国交樹立、日台断交(日本 田中角栄政権/台湾 蔣介石政権)

1975年
4月5日 蔣介石死去

1979年
1月  1日 米台国交断絶(米カーター政権/台湾 蔣経国政権)、米中国交樹立
4月10日 米国「台湾関係法」発効

[参考文献]
戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年
呉密察原著監修/遠流台湾館編著『増補改訂版 台湾史小事典』中国書店 2010年


 


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