台湾の国連残留問題と岸信介極秘訪台

投稿日:2011-01-03 - 投稿者(文責):mumeijin

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 「中華民国(本質は「台灣を実効支配する蔣氏政権」)」が国際連合を脱退したのが、1971(昭和46)年10月26日。蔣介石・中国国民党に影響力を持つ米国は国連において中華人民共和国を安保理常任理事国として、「中華民国」を一般加盟国とする考えを主張していたという。
しかし現実には、
国連における「中国代表権問題」は「国府(国民党政府)追放、北京政府招請」案を主張する2758号決議(通称「アルバニア決議」)によって中華人民共和国は国連常任理事国となる。同時に蔣介石は漢賊不両立(賊とは中国共産党の事)を唱え「中華民国」は国連を脱退した。

1949年11月18日 中華人民共和国による最初の「中華民国」国連追放提起

1950年   1月16日 英国が中華人民共和国を承認、英国と「中華民国」断交

1957年 5月   岸首相、アジア歴訪、台灣では蔣の反攻大陸(大陸反攻)に支持表明

1971年10月25日 国連、アルバニア決議採択

1971年10月26日 決議に抗議し「中華民国」は国連を脱退(追放ではないと主張)

1972年  2月21日 ニクソン訪中、米中共同声明(米国の中共政府承認)

1972年  3月13日 英中国交樹立

1972年  9月29日 日中国交樹立、日台断交(日本 田中角栄政権/台灣 蔣介石政権) 

1979年  1月    1日 米台国交断絶(米カーター政権/台灣 蔣経国政権)、米中国交樹立

国連2758号決議原文(国連HP)
http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/327/74/IMG/NR032774.pdf?OpenElement

 1969年(昭和44)年に岸信介元首相は極秘訪台し、中華人民共和国の国連加盟と同時に追放が必至となる蔣介石政権に対して「中華民国」の国号を放棄して「台湾共和国」としての国連残留案を提示したという。既に中共政権を承認していた英国や米国も台湾を国連の一般加盟国に残留させるために日本と連携していた。


左から蔣介石、岸信介、宋美齢

岸元首相は、台灣の前途の為に国連残留を希望したが、蔣介石の自尊心と自己保身はそれを許さなかった。蔣の判断は今に至る台灣国連加入問題を困難にしている。岸氏の慧眼と行動力には感歎せざるおえない。また占領憲法体制から脱却する為の自主憲法制定に情熱を賭けて取り組んだ岸元首相は日韓・日台(当時は日華と呼称)関係善処に尽力した。昭和62年8月7日死去、享年90歳。

岸信介元首相の蔣介石への台灣国連残留説得秘話については、『正論』平成18(2006)年10月号を参照下さい。
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0609/ronbun1-3.html

 

 なお現在、台灣を「中華民国」として承認し外交関係を持つ国家は下記の23ヶ国。台湾国の国号での国連加盟は台灣人にとって悲願である。

【大洋州】
ツバル
ソロモン諸島
マーシャル諸島共和国
パラオ共和国
キリバス共和国
ナウル共和国

【欧州】
バチカン市国

中南米・カリブ】
パナマ共和国
ドミニカ共和国
グアテマラ共和国
エルサルバドル共和国
パラグアイ共和国
ホンジュラス共和国
ハイチ共和国
ベリーズ
セントビンセント
セントクリストファー・ネーヴィス
ニカラグア共和国
セントルシア

【アフリカ】
スワジランド王国
ブルキナファソ
ガンビア共和国
サントメ・プリンシペ民主共和国

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