「以徳報怨」-蔣介石神話と保守派日本人-

投稿日:2011-01-09 - 投稿者(文責):mumeijin

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 昭和20(1945)年8月15日午前10時(日本時間11時)、日本降伏に応じて蔣介石自ら、重慶の中国国民党中央執行委員会広播無線電台(中央広播電台)から「抗戦勝利告全国軍民及世界人士書」演説を放送した。以下はその一部分で直接「以徳報怨」の言葉は使われていないことが判る。所謂「以徳報怨」放送は敗戦後の日本人に「旧敵国指導者蔣介石=有徳の偉人」像を印象付ける事に成功したといえる。



我々の抗戦は、今日勝利を得た。正義は強権に勝つという事の最後の証明をここに得たのである。

我々に加えられた残虐と凌辱は、筆舌に尽くし難いものであった。しかしこれを人類史上最後の戦争とする事が出来るならば、その残虐と凌辱に対する代償の大小、収穫の遅速等を比較する考えはない。この戦争の終結は、人類の互諒互敬的精神を発揚し、相互信頼の関係を樹立するべきものである。
我々は『不念旧悪(1)』及び『与人為善(2)』が、我が民族の至高至貴の伝統的徳性であることを知らなくてはならない。我々はこれまで一貫して、敵は日本軍閥であり、日本人民を敵とはしないと声明してきた。

我々は、敵国(3)の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。彼等がナチス軍閥(4)に愚弄され、駆使された事に対し、むしろ憐憫の意を表し、錯誤と罪悪から自ら抜け出せる様にするのみである。銘記すべき事は、暴行を以って暴行に報い、侮辱を以って彼等の過った優越感に応えようとするならば、憎しみが憎しみに報い合う事となり、争いは永遠に留まる事が無いという事である。それは、我々の仁義の戦いが目指すところでは、決してないのである。

(1)「旧悪を念ぜず」 (2)「人と善を為す」 (3)日本を指す(4)日本の軍部を指す

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 蔣介石は台灣で第1代-5代「中華民国総統」職に就任、個人崇拝と独裁体制を確立した。
1949-75年まで台灣を支配した後は長男 蔣経国が第6・7代総統職に就任、権力を世襲化した。台灣人にとり日本敗戦後の蔣氏政権とは新たな外来政権であり、2.28事件(台灣大虐殺)により蔣介石・中国国民党は今に至るまで台灣人の心に恐怖の対象となっている。台灣の民主化進展(1990年代半ば)まで蔣介石批判は文字通り禁忌であったのだ。

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【二冊の対極的な書物】

 

(左)『以徳報怨-写真集「蔣介石先生の遺徳を偲ぶ」-』
昭和61(1986)年刊行 蔣介石先生の遺徳を顕彰する会 編

 多くの貴重な歴史的写真と共に蔣介石の遺徳を讃える意図で製作された所謂「饅頭本」の様な内容である。

巻頭は岸信介氏による「蔣介石先生を偲ぶ」と題された一文が、次に元衆議院議長 灘尾弘吉の「発刊にあたって」が掲載されているが、記述内容には事実誤認が幾つかみられる。両者とも自民党親台派重鎮であるが、当時の自民党右派や保守派言論人の多くが反共主義に由来する親華派であったというのが正確である。

「自由中国」を標榜する事で自由主義陣営の親華派を繋ぎ留めた蔣氏政権(中国国民党政権)。その結果として日本の反共保守派の中にも蔣氏政権にシンパシ―を持つ勢力は存在した。その為に台湾独立運動が日本において理解されずらかった事は否めない。 

(右)『蔣介石神話の嘘-中国と台湾を支配した独裁者の虚像と実像-』
平成20(2008)年 黄文雄 著 明成社

 蔣介石神格化の過程で「天皇(制)の維持」「支那派遣軍及び民間人200余名の早期日本送還」「ソ連による日本分割占領案阻止」「対日賠償請求権放棄」が語られるが、その虚実については現在多くの論考が行われている。

『蒋介石神話の嘘』は黄文雄氏による蔣介石伝である。政治的意図を以って流布された蔣介石神話を真に受けた日本保守派人士にとり本書は独裁者蔣介石の実像を描いたものとして衝撃を受けるかも知れない。

黄文雄氏には多くの著作があり、幾つも紹介したいのですが、この『蔣介石神話の嘘』は台湾人歴史家がみた蔣介石伝として非常に興味深い。台湾独立運動を牽引してきた黄文雄氏は、今も蔣介石の名を聞くと恐怖からの震えが来るという。世間で「米国は日本に原爆を落とし、台湾に蔣介石を投下した」といわれる由縁である。なお発行元の明成社社長は、小田村四郎日本李登輝友の会の会長・日本会議副会頭。

明成社HP http://www.meiseisha.com/

↑1950年、台北市の台北中山堂前
(日本統治時代の昭和11(1936)年に建築された旧台北公会堂)

↑昭和45(1970)年の景福門(台北市中正區)の様子
 


「自由中国」を標榜する一方、台灣全土で共産党員摘発を名目として「懲治叛乱条例」「粛清匪諜条例」の濫用のもと多くの無実の台灣人に不法な逮捕・監禁・処刑が行われた。白色テロの時代である。1950-60年代の街頭には「反共抗俄」「保密防諜」「民族救星」といった標語が掲示されており、憲兵隊の白いヘルメットは恐怖の対象であった。(写真左)

 かつて日本社会党右派が結集した民社党(1960-1994)という反共を党是とした政党が存在した。安全保障問題に関しては自民党よりもタカ派的主張を行う一方で福祉国家建設を指向し最盛期には衆議院40議席、参議院17議席の党勢を誇った。その『民社党史 資料編』(平成6年刊)収録の「民社党訪中代表団と中日友好協会代表団との共同声明 ●昭和47(1972)年4月14日」の一節を抜粋してみます。

 (前略)双方(1)は一致して次のように指摘した。
日本政府は米国に追随し、中国を敵視する政策を実行し、中華人民共和国の成立したのち、中国人民によってすでにいち早くくつがえされた蒋介石グループと“平和条約”を結び、いまなおこれをかたくなに固執している。そのため日中両国の戦争状態はいまなお終結しておらず、日中両国の国交はいまだに回復出来ないままになっているが、その責任はすべて日本政府にある。

民社党側は次のように声明した。
一日も早く両国間の戦争状態を終結させ、平和条約を締結し、国交を回復するためにはまず次の基本原則を認めなければならない。

①世界には一つの中国しかなく、これは中華人民共和国である。中華人民共和国は政府は中国人民を代表する唯一の合法政府である。「二つの中国」「一つの中国、ひとつの台湾」「一つの中国、二つの政府」など荒とう無けいな主張に断固反対する②台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であり、すでに中国に返還されたものである。台湾問題は純然たる中国の内政問題であり、外国の干渉を許さない。「台湾地位未定論」「台湾独立」を画策する陰謀に断固反対する。

③「日台条約(2)」は不法であり、無効であって廃棄されなければならない。
双方は上記の諸原則は日中国交回復の前提であり、断固として貫徹しなければならないと認めた。

中国側は次のようにきびしく非難した。佐藤政府は日本人民の強い願望を無視し、世界の大勢にさからって引き続き中国敵視政策を推し進め中日国交回復を妨げている。最近内外の圧力に押されて佐藤政府はもっともらしくとりつくろい、世論を欺まんしようとしているが、いまなお「台湾地位未定論」を鼓吹し「台湾独立」の陰謀に加わっている。これは日本反動派の台湾に対する野望と、あくまで中国人民を敵とするがん迷な立場をあますところなく暴露したものである。(後略)

(1)日本民社党訪中代表団(団長 春日一幸)と中日友好協会代表団(団長 王国権)
(2)日華平和条約を指す。

 かの民社党ですら「台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であり、すでに中国に返還されたものである。台湾問題は純然たる中国の内政問題であり、外国の干渉を許さない。「台湾地位未定論」「台湾独立」を画策する陰謀に断固反対する」などという中国共産党の主張を受諾していた事には意外な感じがする。


河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト