爲天皇之楯、捕鳥部萬(不詳~587年)-Ivan Morris(アイヴァン・モリス)『高貴なる敗北』を訪ねて-

投稿日:2011-05-19 - 投稿者(文責):mumeijin

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昨年末頃、仕事の合間を見計らい捕鳥部萬(トトリベノ ヨロヅ)という人物のお墓参りに行きました。その時の事です。
飛鳥時代の武人 捕鳥部萬。この人物は日本書紀にのみ其の名が現れます。彼に関する記録は以下が全てです。そして英国生まれの日本研究者アイヴァン・モリスにより再発掘された人物でもあります。


【原文:日本書紀 巻二十一崇峻天皇元年(587)秋七月の條より】
物部守屋大連資人捕鳥部萬、萬名也、將一百人守難波宅、而聞大連滅、騎馬夜逃、向茅渟縣有眞香邑、仍過婦宅、而遂匿山、朝庭議曰、萬懷逆、故隱此山中、早須滅族、可不怠歟、萬衣裳幣垢、形色憔悴、持弓、帶釼、獨自出來、有司遣數百衛士圍萬、萬即驚匿篁聚、以繩繋竹引動、令他惑己所入、衛士等被詐、指搖竹馳言、萬在此、萬即發箭一無不中、衛士等恐不敢近、萬便弛弓挾腋、向山走去、衛士等即夾河追射、皆不能中、於是有一衛士、疾馳先萬、而伏河側、擬射中膝、萬即拔箭、張弓發箭、伏地而號曰、萬爲天皇之楯、將効其勇、而不推問、翻致逼迫於此窮矣、可共語者來、願聞殺虜之除、衛士等競馳射萬、萬便拂捍、飛矢殺卅餘人、仍以持釼三截其弓、還屈其釼投河水裏、別以刀子刺頚死焉、河内國司、以萬死状牒上朝庭、朝庭下苻稱、斬之八段散梟八國、河内國司即依苻旨、臨斬梟、時雷鳴大雨、爰有萬養白犬、俯仰廻吠於其屍側、遂噛擧頭收置古冢、横臥枕側飢死於前、河内國司尤異其犬、牒上朝庭、朝庭哀不忍聽、下苻稱曰、此犬世所希聞、可觀於後、須使萬族作墓而葬、由是萬族雙起墓於有眞香邑、葬萬與犬焉

【現代文】
物部守屋の武将 捕鳥部萬(トトリベノ ヨロヅ)は、百人を率いて難波の(物部守屋の)邸宅を守った。しかし守屋が滅亡した事を聞き、騎馬で夜間に逃げ茅渟県(チヌノアガタ)有真香村(アリマカムラ)[現 大阪府岸和田市阿間河滝町(アマカダキチヨウ)附近]に向かった。そして妻の家を過ぎ遂に山奥に隠れた。

朝廷は協議で「萬は謀叛を抱いている。だから山中に隠れたのだろう。すぐに捕鳥部一族を滅ぼすべきだ」となった。

 萬は着物は破れ垢だらけで、顔も憔悴し弓を持ち剣を帯びて、独りで山から下りて来た。役人は数百の兵士を派遣し萬を囲んだ。萬は驚き、竹やぶに隠れて縄を竹につないで引き動かし自分が逃げ込んだ場所を隠蔽した。兵士達は欺かれ萬がそこにいると思い、揺れ動く竹をめがけて走りながら叫んだ「萬はここにいるぞ!」すると萬は矢を放った。百発百中だった。兵士達は恐れて敢えて近づかなかった。

 萬は弓の弦を外して脇に挟んで山に向かって逃げた。兵士達は川を挟んで追いかけ弓を射った。すべて命中しなかった。この時一人の兵士が勢いよく走って萬の前方に出て、川の傍に伏して矢を放った。捕鳥部萬の膝に命中した。

 萬は膝の矢を抜き、弓を張り矢を放った。しかしさすがの萬も遂にその場に崩れ落ちた。

萬は叫んだ「私は天皇(スメラミコト)の御楯として、その武威をお示ししようとしたが聞いて頂けず、却ってこの窮地に追い込まれてしまった。互いに話が出来る者は来い。私を殺害しようとするのか捕縛するのか聞きたい」

 兵士達は競い合って萬を射た。萬は即座に飛んでくる矢を払い防ぎ、三十余人を殺した。次に持っていた剣で自分の弓を三つに切断して、その剣を押し曲げて川に投げ入れた。最期に小刀で自らの頸を刺して自刃した。

 河内国司は萬の最期を朝廷に報告した。朝廷は命令書を出した。「八つ切りにし八つの国に梟せ」と。河内国司はその指示に従った。捕鳥部萬(トトリ

ベノ ヨロヅ)を八つ切りにする時、雷鳴が轟き大雨が降った。

 捕鳥部萬が飼っていた白い犬がいた。萬の屍の周りをぐるぐるまわった。犬は天に向かい吠え、やがて萬の頭をくわえて古い墓を掘り出して埋めた。犬は主人の傍に横たわりそのまま後を追った。食べる事をやめ、そのまま儚くなった。

 河内国司はこの犬の事を朝廷に報告した。この出来事に慟哭した朝廷は命じた。「この犬は世にも稀な犬である。後世に伝えるべきだ。捕鳥部萬(トトリベノ ヨロヅ)の一族に命じて墓を作り埋葬させなさい」と。

 その後、萬の一族が有真香村に墓を並べて造り犬とその主人を葬りました。


 
【写真】
[ 最上段]捕鳥部萬墓[岸和田市天神山町 大山大塚古墳(天神山2号墳)墳頂]  無名の人であった捕鳥部萬は不本意で悲劇の死を遂げる。そしてそれゆえ史書に名を残した。傍らに明治22年(1889)建立の捕鳥部萬顕彰(三條実美揮毫)の碑がある。

[   上段 ]『高貴なる敗北』イタリア語版
[ 下段 ]萬家犬塚[岸和田市天神山町 大山大塚古墳(天神山1号墳)墳頂]  
綺麗な花が供えられていました。まったくひと気のない場所です。

【場所】http://www.mapion.co.jp/m/34.4284388888889_135.401431666667_8/
捕鳥部萬墓は大山大塚遺跡公園の古墳頂上に、彼が飼っていた白犬の墓は北北西に200m、池の東側の丘の上に寄りそうような位置にあります(緑の矢印の下部分)
 
 
【高貴なる敗北より】
(前略)この世の成功を手に入れるには、一般にさまざまな術策、妥協を必要とするが、日本では成功のためのいっさいの謀計をいさぎよしとしないひたむきな誠実さ、一途さに誠心を持つ人物が英雄として存在している。生涯の活力の初期には、その勇気と活力とが推進力となってその生涯の軌跡の曲線は急速に上昇する。しかし彼は敗者の側に結びついている。やがて下降の運命に従わざるを得ない。その不可避の宿命に従い、あえて自らを火中に投げ入れ、社会の慣習とこの世の常識という拘束力に対して彼は戦いをいどむ。(中略)彼らの生涯に一抹の哀感を添えている。それは、ひとの努力はいずれにせよ空しいのだということをあらためて教える哀感である。彼らを英雄のうちで最も共感と親密感をかきたてる英雄らしい英雄にしている哀感なのである。たとえ、われわれですら、成功志向型の文化に属している欧米人ですら、これらの個性的な熱誠、ドンキホーテ的行動には、気高さを感ずる。目的と動機の純粋なこと、そしてほかならぬその純粋さが彼らを苦難の旅路、悲惨な旅の終着点へと導いてゆくのだということに感動する(後略)
 
アイヴァン・モリス(Ivan Morris 1925~1976)による『高貴なる敗北』に取り上げられた気高い敗者。著者は「至誠故に敗者となったひと達」これらの日本歴史上の悲劇の人物の哀切に共感の念を抱きながら筆をすすめている。そして最終章、モリスと同時代、同世代の神風特別攻撃隊員の若者達の章に於いて英国人モリスは感極まっているようにみえる。彼は悲劇と哀切そして決然とした特攻隊員の態度に日本史上の気高い敗北の姿をみているのだ。
そして本書は、ある無名の特攻隊員の詩歌で本書を締めくくられている。

けふ咲きてあす散る花の我身かな いかでその香を清くとどめむ
Today in flower,Tomorrow scatterd by the wind-
Such is our blossom life.
How can we think its fragrance lasts forever?

  『高貴なる敗北-日本史の悲劇の英雄たち-』アイヴァン・モリス著 中央公論社 昭和56年刊

一 ひとつ松、わが兄よ(日本武尊)
二 天皇の楯(捕鳥部萬)
三 憂愁の皇子(有間皇子)
四 落魄の神(菅原道真)
五 没落の中からの勝利(源義経)
六 七生報国(楠木正成)
七 日本のメシア(天草四郎)
八 「救民」の
旗幟(大塩平八郎)
九 大西郷崇拝(西郷隆盛)
十 いさぎよく散り果てなむ(神風特攻の戦士たち)

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