ダライ・ラマ法王14世◆大阪特別講演◆ ◇高野山特別法話◇10月30日(日)〜11月3日(木・文化の日)

投稿日:2011-08-02 - 投稿者(文責):mumeijin

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14世 ダライ・ラマ法王猊下(His Holiness the 14th Dalai Lama)が来日されます。

2011.7.10 ワシントンDCでのダライ・ラマ法王
2011.7.10 ワシントンDCで法話を行うダライ・ラマ法王。仏教僧として欧米での評価と人気は突出しており、国賓級の待遇が行われている。但し我が国は中国共産党への“配慮”から大変失礼な態度をとり続けている。常に日本政府は中国共産党に対して怯懦で卑屈な態度を取り続け恬として恥じない。


◆以下、青文字はダライ・ラマ法王の御言葉◇
 

〇はっきりと言っておきたいのは、私たちは皆同じ人間だということです。私も同じ普通の人間のひとりにすぎません。単に母から生まれた人間のひとりであり、信仰している人間のひとりであり、仏陀の教えに従うひとりであって、特別な人間ではありません。皆さんとどこかが違う、変わったユニークな人間でもありません。つまり、私たちの持っている可能性の面から考える限り、私たちは人間として成功し、良き人間となり、幸せな人間になるための全く同じ可能性を持っているのです。―2000年東京仏教講演「智慧と慈悲」より

 〇 貪欲のおかしな点は、満足を得たいということが根底にあるのに、欲しがっていたものを手に入れてもまだ不満足であるというところです。貪欲の解毒剤は、満足です。もしあなたがふだんからとても大きな満足感を味わっていれば、目的のものが手に入ろうが入るまいが、問題ではなくなるのです。  
 
 
14世 ダライ・ラマ法王が高野山真言宗系の高野山大学の招聘により五日間(10/30・31 11/1〜3)の講演を行われる為に17回目の来日を果たされる。14世 ダライ・ラマ法王猊下の高野山御訪問は昭和55年11月以来30年振りとなるそうです。真言密教とチベット仏教との邂逅です。
   

 初日は大阪市内(舞洲アリーナ)での講演「ダライ・ラマ法王 般若心経を語る-空から慈悲へ-」「人生の困難を生き抜く力」。31日(月)は、高野山に場所を移し高野山講演Ⅰ「ダライ・ラマ法王 青年僧と語る」。翌11月1・2日には「チベット密教 金剛界マンダラ灌頂」。最終日11月3日(木・文化の日)には、高野山講演Ⅱ「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」と「高野山大学学長、ダライ・ラマ法王と密教を語る」というのが講演内容となっています。     

  初めて私がダライ・ラマ法王の存在に強い関心を抱いたのは、平成3年7〜8月の5週間チベットに滞在した時でした。当時は伊丹空港から上海〜成都〜ラサと空路を乗り継ぎチベットのクンガ空港へ入りました。そのチベットで、民衆から文字通り活仏としての尊崇の対象となられていたのがダライ・ラマ法王だったのです。ラサ市のバザールでは中国共産党が公認する形でパンチェン・ラマ10世の、そして規制をかいくぐる様にダライ・ラマ14世のポートレイトが販売されていました。一昨年(1989)3月に大規模なチベット人蜂起が起こっており禁制となっていたようです。またチベット入りする直前、法王の誕生日(7/6)に合わせてラサで小規模な反乱が起きていた事も後に知りました。

 チベット民族がインド亡命中のダライ・ラマ法王に対する尊崇の念というものは日本における天皇陛下に対するかそれ以上のものを感じました。そういった事から聖俗に於けるダライ・ラマ法王の権威の源泉の由来やチベットの宗教・文化・歴史に強い興味を持ったのです。その後陸路4,000kmをカシュガル(「新疆ウイグル自治区」)へと向かう事となるのです。ソ連保守派クーデターの発生時には中ソ国境付近に滞在していました。いつかまたこの辺りの事の詳細は書くかも知れません。 

 マザー・テレサには、1988年、イギリスのオックスフォードで開かれた会議の帰り、デリー空港で会いましたが、彼女も私が深く尊敬してやまぬ人です。彼女の比類ない謙虚さに私は深く心を打たれました。仏教的言い方をすれば、彼女はまさに菩薩です。

  ダライ・ラマ法王は他宗教との対話のみならず科学者との対話にも積極的な態度を示している。
 多くの仏教書以外の著作の中でも『ダライ・ラマ自伝』中央公論社は激動チベットの近現代史を記録したものとして必読です。同書での毛沢東・周恩来・ネール等の人物評価や仏教国タイと日本との国民性の相違を指摘する表現等が興味深く、巻末の資料も併せてチベット現代史を代表する第一級資料となっている。

 〇死や一生のはかなさについて深く考えると、私たちの心は自然と精神的成就に興味を抱き始めるようになりますが、ちょうどこれは、ごく普通の人が友の亡骸を目の当たりにしたとたん、何かに気付き始めるのと似ています。無常と死について瞑想することは、大変有益なことです。なぜなら瞑想することによって、はかなく無意味な行いに心が奪われてしまうことがなくなるからです。 


中印尼三国の国境の町・タクラコット(中国名:普蘭)の丘に聳えるシャパリン・ゴンパ(仏教寺院)廃墟
 グゲ王国(842〜1630)の中心地として栄えた。チベットの寺院・仏像そして仏教壁画等は文化大革命で壊滅的な被害を受けたが、このゴンパでは極彩色の壁画の一部が残存していた。撮影H3.8.12 

 

ラサで入手した法王の御写真 右上はパンチェン・ラマ10世

私たちの全て、抑圧者も友人も含め、全員のために、私は祈ります。
そうすることにより、生きとし生けるものの苦痛を、人間に対する理解と愛を通じて、和らげることができますように・・・より善き世界の建設に成功しますように。 1989年12月10日 ノーベル平和賞受賞スピーチより    
  

 ダライ・ラマ法王の言葉は平易でありながらも読み返してしまうのですが、この様な事をも言及されておられます(恐らく観衆からの質問にお答えになられたのだと思います)。    

〇ロマンティックな恋愛を追い求めることが、私たちのより深い精神の成長を促すとは考えられません。ロマンティックな恋愛を理想化するのは極端すぎます。それは、配慮と親愛に満ちた人間関係とは別のものです。幻影や成就できない夢などに近いものでしょう。従って、欲求不満の種子となります     

〇人はこのように感じることがよくあるでしょう。ああ、私のボーイフレンド(ガールフレンド)は本当にいい人じゃなかった、心のあたたかい人でもなかった、でもまだ私はあの人に魅力を感じている。このように、最初に感じただけの魅力に結びついた人間関係は信頼に乏しく不安定であるのは、一時的な現象に過ぎないものに依存しているからです。     

タシルンポ寺での「問答」の様子 H3.8.29


これなども是非とも紹介しておきたい言葉です。法王の著作には常々言及されています。人間の苦しみには原因が有り、それは“執着”なのだと。

〇あなたがたの友人たちに示す愛や慈悲心は、実際には執着心である場合が多いのです。この感情は、「全ての生あるものは幸せになり、苦しみを避ける権利を等しく有している」ということを理解したところより発したものではありません。この感情は、「私のもの」から発しています。
 
 例えば、「私の友人」、「私にとっていい何ものか」というところから出て来ているのです。これは執着心です。その友人なり誰かがあなたに対する態度を変えたら、あなたの彼(彼女)に対する親愛の情はたちまち消えうせます。その人が人類の仲間であり、苦しみを克服する権利を持っていることをシンプルに認めることによって、その人を思いやるべきです。ここが執着心と慈悲心の大きな違いです。真の慈悲心とは、健康的で理性に裏打ちされたものなのです。執着心は偏狭で捻じ曲がったものと言えます。   
   

眼光鋭いカンバ族の青年。勇猛さで高名、ダライ・ラマ法王のインド亡命時には彼等が護衛を行なった

〇自分の欠点に1つでも気付くことは、他人の百個の欠点に気付くことより、ずっと有益なことです。人の悪口を言ったり、人の生活に摩擦や不安を生じさせるような振舞いをするのではなく、 相手をできるだけ純粋に理解すべきですし、人のことを話すときには、その人の良い点について話すよう努めるべきです。
自分が誰かを中傷していると感じたら、自分の口に何でも押し込んでしまえばいいのです。そうすれば、すぐにそんな振舞いは やめられます。      

〇最も重要なことの一つは、慈悲の心です。慈しみの心は、ニューヨークの大きな店でも買うことはできません。機械でも作り出せません。しかし、心の内なる発展によってはじめて手に入れることができるのです。     

 ダライ・ラマ法王が私達に語る言葉は平易である。慈悲の実践が重要である事を説いている。しかし多くの人は、他者からの慈悲の実践を期待しているが、これが間違いの始まりであろう。慈悲の実践の主語とは「私」なのだ。

〇心の内なる平和と社会的調和を同時に体験するには、物質的進歩と精神的進歩が伴わなければなりません。心の内なる平和なくしては、心の安らぎが欠けていては、平和を保ち続けるのは不可能です。      

チベット高原での筆者(20年前)

  ダライ・ラマ法王がブッダの言葉を引用しておられる一文です。   

 〇怒りは、怒りによって克服することはできません。もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りで答えたなら、最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、じっと耐え、寛容になる―を示すと、あなた自身穏やかでいられるばかりか、相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。
   
 自分は一仏教徒にすぎないと語りながらも、若くしてチベット民族の命運を託されたダライ・ラマ法王の柔和で楽天家の表情に時折厳しい表情が浮かぶ事はよく知られている。   

 〇月の出ている夜は、月の光が同じく降り注いでいるチベットで監禁された祖国の人々のことを思います。私は、自分が亡命の身であろうとも、縛られることなく国民に自由に語りかけられることを感謝しています。祖国の人々のため、特にチベットの保護神観世音菩薩に祈りを捧げます。いつも山の要塞に閉じ込められている祖国の人々のことを思わずにいられません。 

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『高野山大学創立125周年記念 -ダライ・ラマ法王14世◆大阪特別講演◆◇高野山特別講演◇』
公式サイト
http://koyasan-daigaku.rgr.jp/index.html
    

 

(注)一般の方のお申し込みは8月1日(月)から始まりました。仏教の教え・ダライ・ラマ法王そしてチベットに関心の有る方は必見、御早目の御予約をどうぞ。
 なお報道
によると法王は11月4日からは東日本大震災の被災都市(仙台市・石巻市)を慰霊訪問されるとの事です。   

【関連サイト】
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/home.html 



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  チベット仏教圏のみならず東南アジアの上座部仏教に於いてもブッダの化身、観音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王。私も決して失礼がない態度で参加したいと思います。

河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト