【10/31(日)】14世ダライ・ラマ法王猊下 来日◇高野山特別法話-高野山講演Ⅰ◇

投稿日:2011-10-31 - 投稿者(文責):mumeijin

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「…日本は第二次世界大戦で原子爆弾と空襲による破滅的な状況から、その勤勉さで見事に復興を遂げました。…悲しい出来事が起きたのだから強い心の精神によって立ち上がってください」法王猊下の10月31日法話での御発言


《写真》壇上伽藍:奥の朱色の建物が根本大塔。手前に向かって愛染堂(隠れており写真では見えません)、大会堂、三昧堂、東塔。境内の樹木は美しく紅葉していました。

14世ダライ・ラマ法王猊下の御来日三日目となる31日(月)。高野山に於いて高野山大学の近代学制創立125周年を記念し「ダライ・ラマ法王 青年僧と語る-高野山管長とダライ・ラマ法王が質問に答える-」と題された特別法話が13時半から二時間行われました。法王猊下の高野山御入山は昭和55年(1980)11月以来、31年振りだという事です。昭和55年(1980)10月31日、世界連邦日本仏教徒協議会の招聘により来日された法王猊下は11月10日に高野山に入られ翌日午前10時、高野山大学で半時間の御講演をなさられたとのこと。猊下の初来日は仏教伝道協会招聘によるもので、昭和42年(1967)9~10月に東京、埼玉で法要を行われたそうです。

午前11時には会場となる高野山大学に到着しましたが、開場は12時からという事で金剛峯寺・根本大塔周辺を散策。すると海外からの旅行者に混じり臙脂色の僧衣を纏ったチベット仏教僧の一団や欧米系の僧侶も何人か見掛けました。そしていざ会場へ。

今回も会場内の写真撮影・動画撮影は禁止、翌日(11/1)にはyoutubeに動画が投稿されていました。

会場の高野山大学 松下講堂黎明館は「1,000人規模の講演会やシンポジウムができるホールや瞑想室などを備えた多目的ホール」として平成18年に竣工された非常に立派な施設でした。大勢の警備担当者達の前での手荷物検査と金属探知機での身体検査をへて入館が許可されますが、ペットボトルの持込みも当然禁止です。入館後はチベット、ダライ・ラマ法王猊下、そして松長有慶猊下や高野山関連の著作を販売している部屋で春秋社『ダライ・ラマ 実践の書』とダライ・ラマ法王日本代表部事務所発行の『希望 Tibet Exile-50チベット亡命50年-』を購入。後者は一目観てすぐに購入を決定しました。チベットの歴史、チベット亡命政府、ダライ・ラマ法王、本土チベット、希望をつなぐ、チベットの宗教の六章からなる本書は貴重なチベットの古写真と共に中国共産党によるチベット文化破壊と人権蹂躙の様子を数多くの写真で証明している一般書として非常に価値の高い文献となっています。この黎明館の北側に高野山真言宗 総本山金剛峯寺が位置しており、警備上の理由から明らかにされておりませんが、高野山御滞在中の法王猊下の御座所は金剛峯寺だという風聞がありました。この金剛峯寺には天皇・皇族・座主以外の方の御座所とはならないという高い格式を誇っているそうです。本日はこの金剛峯寺の第412世座主であり高野山真言宗管長の松長有慶猊下とダライ・ラマ法王猊下が青年僧や一般参加者からの質問にお答えされるという内容になっています。

ダライ・ラマ法王猊下の「形式的なことではなく、率直に質疑応答をしましょう」との御言葉で松長有慶・高野山真言宗管長とともに場内からの質問に丁寧に熱心にお答えになられておられました。高校生からの質問で「日々思い悩む事が多いです。どうすればなおせるのでしょうか。」との問いに対してて、法王猊下が「思い悩むのは優れた知性を持っているからです。その知性をうまく方向付けて、幸せになる為に上手に使っていく事が出来るようにになれば良い」とお答えに成られていました。
松下講堂黎明館

 

Tibetan and Japanese Languages: Discussion with Young Buddhists at Koyasan

大学正門付近(16時頃撮影)、法話が終了し法王猊下が御退出された後に800名の聴衆は退席。全日程を通じて法王猊下の御尊顔撮影
は叶いませんでした。


高野山真言宗の総本山で全国約3600寺の末寺を有する金剛峯寺
HP:http://www.koyasan.or.jp/

弘法大師が改装した当時は高野山全域を金剛峯寺と称していたそうです。平成16年(2004)、金剛峯寺を含む紀伊半島の霊場一帯がユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されて以来、海外からの参拝客(観光客)が目立って増えています。
4年後の平成27年(2015)は、弘法大師空海による高野山開創1200年の記念の年にあたり、4月2日〜5月21日まで様々な法要や行事が執り行われるそうです。


一際目を引く根本大塔は887年頃完成。現在の建物は昭和12年(1937)に再建されたもの。傍らにはひとりの白人青年が根本大塔を静かに眺めながら佇む姿が。

河内長野市商工会青年部オフィシャルサイト