「空」-全てに実体はなく、その本質は空である-

投稿日:2012-05-02 - 投稿者(文責):mumeijin

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チベット仏教はナーランダー学院の教えを引き継いでいると考えています
14世ダライ・ラマ法王


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あらゆる物事に「実体はない」というこの本質を、仏教では「空」と表現します。

ただし大切なのは、「空」は「存在しない」という意味ではないということです。「存在していない」と「実体がない」は全く別物なのです。簡単に言えば、「そのものの有無」が存在であり、「確かな姿」というのが実体です。

どうしてもこれを混同してしまう人がいます。たとえば「すべての本質は空」であると聞くと、「私もこの世界も何もかも存在しないのだったら、何をしたって意味が無い、何をしたって無駄だ」などといった「虚無論」を唱える人がいる。

ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』 新潮社

「空」の理論を大成したインド仏教の僧侶・ナーガールージュナの論書『中論』にも、同じような人が登場します。ナーガールージュナが「あらゆるものに実体はない」と「空の本質」を説くと、反対意見を唱える人々から「あなたの見解は間違っている。あなたの言うとおりなら、全てのものは一切存在していないということじゃないか。そんなはずがない」と議論をふっかけられる場面があるのです。それに対し、ナーガールジュナは「あなた方は『全く存在していない』ことと『実体がない』ということを混同しているのだ」と答えています。

仮にあらゆる物事の存在を否定した場合、この世界には自分も含めて何もないということになります。でも自分が存在していないのなら、今この問題を考えている私たちは一体なんなのでしょうか。手を伸ばせば自分の体に触れることができるのに、それも存在していないというのなら、私たちは何を触っているのでしょうか。そしていま目に見えているあらゆるものは、全く存在すらしていないというのでしょうか(略)

この世界には二つの真理がある

五蘊という構成要素がある以上、私たちのつくり出す概念には一定の妥当性があります。実際、私たちは常に色々な物事を認識し、その概念でもって物事を考えたり生活したりしています。姿も見えるし、言葉も聞こえる。もちろんそこから生まれた概念に実体はないのですが、ある程度それは共有化され、共通の認識としてはたらいているのも事実です。(略)

私たちは普段、世俗で生活をし、世俗的なレベルで物事を考えています。この段階では、私もあなたもこの場所にいて、お互いをはっきり認識しあっています。それはこの世俗的なレベルでは真実です。(*1)

一方で、その概念を突き詰めて考えた時、何の実体もなく、ただ存在だけしか明らかでない。人も五蘊も、物も現象も、全ては「空」である―。このことも究極的なレベルにおける真実なのです(*2)。

(*1)世俗諦を指す
(*2)勝義諦を指す
二諦 、このそれぞれ異なる次元での真理を仏教では認めるという


14世ダライ・ラマ法王が昨年来日された際の、高野山での講話の内容が一冊の書物となりました。当時会場でメモをとり続けていたのですが、いま再び読み返すと判読出来ない個所もあり、今回新潮新書として出版された本書を読み返すことで半年前の講話の記憶が甦ってきました。二日に亘って法王が語った講話が端正に文章化されています。
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とりわけ「空」についての箇所がもっとも印象的なのですが、空の理解が難しい理由として法王は「概念(の存在)があるからだ」と仰られていました。「概念」によってそのものにあたかも実体が有るかのような錯誤が起きるというのですが、一般に理解がどうしても難しくなるといわれる「空」。文字にするとますます解らなくなる恐れがあるのですが、本書ではダライ・ラマ法王の平易なたとえ話を通じて多くの人が「絶対的な実体が存在しない」こと、すなわち「空の本質」というものについての理解が進むと思います。
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そうあなたが実体だと思い執着を感じているものは「あなたの反映」にすぎないということです。そういえば世間では噛み砕いた言い方で「(自らが抱く)観念に囚われている」というような表現もしております。

ダライ・ラマ法王
「なんの実体もない『空』の概念に、私たちは常に囚われてしまう。これが一番の問題です。それでも、この真理を自覚することによって、憎悪や執着の感情を幾分か減らすことができるでしょう」

この言葉は文字通りだと思います。空についての理解が深まるとそれを日常でも実践することが出来ます。何を実践するのかと問われると究極的には「慈悲の実践」という事になります。

書名は本書の内容を正しく反映していないようにも思うのですが、そこは出版社側の都合もあるのでしょう。いまこそ読まれるべきだと思います。表現としては適切ではないかもしれませんが、深遠な仏教哲理を易しく解説されるダライ・ラマ法王の学識の凄みと活力を垣間見ることが出来る入門書の一冊です。

ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』平成24年4月20日発行 新潮社 714円
新潮社HP http://www.shinchosha.co.jp/book/610462/

〇新潮社による本書の惹句
≪豊かになっても幸福を感じないのはなぜか≫
「悲しみが深いからこそ力になる」「嫌いな人を『空』として見る」「敵を多くしているのは自分である」「仏教に祈るべき『神』はいない」「日本人は仏教を知らずに仏教徒になる」「瞑想の効果で脳細胞が変わる」


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【10/31(日)】14世ダライ・ラマ法王猊下 来日◇高野山特別法話-高野山講演Ⅰ◇
http://ilha-formosa.org/?p=13760

【11/3(木)】14世ダライ・ラマ法王猊下 来日◇高野山特別法話-高野山講演Ⅱ◇
http://ilha-formosa.org/?p=13767


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