「我叫做鄭南榕,我主張臺灣獨立!」台湾建国烈士 鄭南榕逝去二十四周年紀念日

投稿日:2013-04-07 - 投稿者(文責):mumeijin

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「我是鄭南榕,我主張臺灣獨立!」と題された下の僅か数秒の動画は、1987年(昭和63)4月18日、臺北市立金華国民中学校で行われた演説会において公然と「台湾独立」が主張された歴史的なものである 。

意志強固、豪胆、そして確信に満ちた表情が強烈な印象を受けるこの演説を行った人物が鄭南榕氏(『自由時代週刊』発行人・台湾独立運動家)である。

福建省出身の父、基隆出身の母をもつ鄭南榕氏は二二八事件発生の年(1947年)に台北で生を受けた。1968年に転入した台湾大学哲学部では国父思想(孫文の三民主義)履修拒否を以て卒業が叶わなかった。蔣介石の死は1975年であり、鄭南榕氏の独立不羈な精神、果断な行動には驚嘆を覚えずにはおられない。

1988年12月、自身が編集長を務める『自由時代週刊』誌上に許世楷(元台北駐日経済文化代表処代表)氏の『台灣共和國憲法草案』を掲載。中国国民党政府は叛乱罪容疑 で鄭南榕氏を召喚せんとするも、鄭氏それに応じず。1月26日から台北市内の自社に籠城、「国民党が私を逮捕出来るとすれば私の屍だけだ」と宣言。

1989年4月7日午前9時過ぎ、警官隊が包囲する中、「100%の言論の自由」を求める為、また言論の自由に対する弾圧への抗議を示す為に自決をされた。生前の鄭南榕氏を知る人によると独立独行の精神旺盛な人物で「確かに私は外省人だ。だが私は台湾独立を主張する」これが口癖であったという。享年42歳

「我叫做鄭南榕,我主張臺灣獨立!」(私は鄭南榕、台灣独立を主張する)

鄭南榕 台灣魂 Taiwan Spirit

日本がバブル経済の狂騒時代、台湾は蔣介石~蔣経國という蔣氏独裁政府の最末期であり、1987年7月には38年間にわたる戒厳令が解除された。これは当時の国際的な民主化の潮流、台湾人による民主化運動、そして米国レーガン政権の台湾民主化の勧告といった内外の意志が合致されたものだとされる。一党独裁国家であった台湾で初の野党・民主進歩党が中国国民党の黙認のもと戒厳令下に結党されたのは1986年9月のことである。御存知の通り、その後の台湾は李登輝総統時代に入る。そして李総統の任期中において台湾は驚異的な速度で民主主義国家へと移行する。

この独裁政府から民主化への過渡期において中国国民党政府の言論弾圧に抗し、1989年(平成元)4月7日、自死を以て「真の自由」を訴えた人物が鄭南榕氏である。日本国民が史上最も物質偏重主義に陥っていたであろうと思われる時代、民族の独立を希求し自由の貴さ、民主の崇高さを訴え自らの生命を賭して国民党独裁に挑戦した鄭南榕氏は台湾建国烈士と称され、現在も台湾民主、台湾独立運動のIconとなっている。

そして今日4月7日は鄭南榕氏没24年目の日となる。

4/6配信『台湾の声』によると「明日、鄭南榕基金会では、鄭南榕自由之翼紀念墓園 ( 新北市金山区西勢湖18号、金宝山墓園 ) で追悼セレモニーを行う。また、台南の成功大学光復キャンパス入り口でも、アムネスティ台南グループなどが主催する「追悼の夜(鄭南榕殉道24周年紀念晩會)」が行われる」とのこと。

なお鄭南榕基金會が鄭南榕氏についての日本語による簡潔な年譜を公開している。御参考までに

鄭南榕基金會 HP
http://www.nylon.org.tw/index.php?option=com_content&view=article&id=220


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