実践された仏陀の言葉

投稿日:2013-04-08 - 投稿者(文責):mumeijin

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【仏滅紀元2556(西暦2013)/02/13】仏陀釈迦牟尼涅槃像

「他の過失と他の作と不作とを(觀るべから)ず、たゞ己の作と不作とを觀るべし」

これはブッダが語った言葉をそのまま書き留めたとされる仏典『ダンマパダ』にある言葉である。ダンマパダとは「真理の言葉」という意味だそうで、『スッタニパータ』とともに原始仏典と呼び習わされている。

『ダンマパダ』は昭和10年(1935)3月に岩波書店から『
法句經』として発行されている。
訳者は和歌山県出身の天台宗の僧侶、荻原雲來(1869-1937)。

80年前の文語体による翻訳はさすがに馴染みにくい。
現在では中村元(印度哲学者、仏教学者、文化勲章受章者/1869-1937)により平易に訳されたものが普及している。こちらも岩波文庫から『ブッダの真理のことば・感興のことば』として出版されており、容易に入手出来る。中村訳では次の様になる。これならば理解しやすい。

[五十偈]
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたことと、しなかったことだけを見よ

ここでブッダは「他人の事をみるな。己の事をみよ」と説く。
人は「自分のしたことと、しなかったことは見ないが、他人の過失は見て、他人のしたこととしなかったことを見る」。自らを棚に上げて他者について云々というのは我々の常、解りやすい。なおこの『ダンマパダ』には敗戦後の日本人を感動させた仏陀のある短い言葉が収録されている。

昭和26年(1951)、サンフランシスコ講和会議
で、セイロン(現スリランカ)代表として出席したジューニアス・リチャード・ジャヤワルデネ蔵相(後の同国初代大統領)は次の様に演説した後にダンマパダ』の一節を引用して日本に対する賠償請求権を放棄している。リンク先から演説内容の一部をお借りしました。

「何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネ シアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」

そして

「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」

最後の一節は中村元によると次のように訳されている。「息む」は「やむ」と読む。

[五偈]
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」

この前文には以下の言葉がある。

[三偈]
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない
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[四偈]
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む


なお中村元は『スッタニパータ』を岩波から『ブッダのことば』として翻訳しており、「数多い仏教書のうちで最も古い聖典.後世の仏典に見られる煩瑣な教理は少しもなく,人間としての生きる道が,ブッダとの対話のなかで具体的に語られている(岩波書店HP)」そうである。

確かに岩波の『ブッダのことば(スッタニパータ)』、『真理の言葉 感興のことば(ダンマパダ)』などは平易な言葉で綴られている。ブッダはもともと誰にでも分かる言葉を用いていたからそれは本来当然のことなのだが、「仏教=難解」の先入観が出来てしまったのは、ひとつに経典が漢字に置き換えられてから日本に受け入れられたことに原因があるという説もある。

そして釈尊入滅後に時に「ブッダのことば」が後世の弟子の解釈により、改変されている事が有る。例えば日本仏教のある教団では「念仏を唱える事で、阿弥陀仏の力により臨終の後、西方極楽浄土に往生出来る」との宗旨が語られる。しかしブッダがこの様な「非科学的な」事を語った事はないそうなのである。

仏教はブッダの時点で完成している。それに続く教えとは実はブッダの教えに対する解釈である。ブッダが儀式、祭礼、しきたりを盲信する人々を解放する為に「やるな」「非科学的な事を言うな」「非科学的な事をするな」という事を結局その後の仏教は捨て去ることが出来なかった。それどころかそれらを主として仏教集団を存続させているように思う。「仏像を作り拝め」などとブッダは教えていないのだ。弟子以降の人間がブッダ賞讃の為に行われたに過ぎない。これなどはブッダの教えの進歩ではなく退化というべきである。14世ダライ・ラマ法王はいう「心を科学したブッダとはひとりの科学者でもあった」。「ブッダのことば」と「荒唐無稽」はそもそも反意語と思って良い。またしばしば指摘される事だが現在の仏教は「煩瑣な教理」に囚われすぎた結果、ブッダの教えをいたずらに難解なものにしてはいないか。

ともあれあまりに難しい仏教書を読むことに懲りた場合、詩歌の様な原始仏典を手に取られ、本来の仏の教えとは何かを実感される事をお勧めする。

『ダンマパダ』第四章 花にちなんで

【五十一
うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には、実りがない。

【五十二
うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りが有る。

結局のところ行われる事よりも語られる事のほうが多い。
ここでブッダは「善い事は実践されなければ意味がない」と説いているのだ。

「以徳報怨」という言葉がある。意味としては「徳を以て怨みに報いる」というものである。これは仏陀の言葉ではなく『論語』憲問篇第十四の三十六の「或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳」にあることばで元は『老子』第六十三章の言葉だそうである。この「以徳報怨」は蔣介石の発言として多くの日本の保守派を感激させ、いまだにこれを真に受け蔣介石を賞讃するひとがいるが、この件についてはまたいつか。


平成八年(1996)11月2日(土) 読売新聞夕刊

「我々は日本人に機会を与えて上げねばならない」
ジューニアス・リチャード・ジャヤワルデネ(1906―1996)

 


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