台湾共和国独立宣言/1956(昭和31)年2月『台湾民報』号外

投稿日:2015-03-10 - 投稿者(文責):mumeijin

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廖文毅(1910-1986)らにより東京で「台湾共和国臨時政府」の樹立が宣言されたのは、1956年(昭和31)1月のことであった。

二・二八事件(1947)勃発時、上海に逃れていた廖文毅(当時37歳)は台湾再解放同盟を結成、香港で活動をおこない、翌年国連に対し台湾を国連信託統治下において、台湾の帰属や独立問題は台湾人の投票で決定すべきとの請願書を送っている。

台湾再解放同盟には台湾独立を主張する台湾共産党(正式名称:日本共産党台湾民族支部)の謝雪紅(1901-1970)が参加したとも、しなかったとも言われているが、結局彼女は上海で台湾民主自治同盟(台盟)を結成したのち中国共産党に合流、民主党派(衛星政党)台盟主席として中華人民共和国要職を歴任している。その後の文化大革命では粛清の対象となり紅衛兵の殴打を遠因として1970年(昭和45)に死去。なお二七部隊(二・二八事件で国民党軍に抗戦した台湾人の民兵組織)を指導したとされる謝雪紅が台湾を脱出した経緯は面白い。国民党から最重要指名手配されていた謝雪紅は人脈と賄賂を使い左営軍港から“国民党軍艦艇に乗船して厦門への逃亡に成功”する。台湾で神秘的な存在として語られる“欧巴桑”の興味深い挿話については、本邦唯一の評伝である陳芳明『謝雪紅・野の花は枯れず』(社会評論社 平成10年/1998)に詳しい。

1950年、廖文毅は香港から日本に拠点を移し、台湾独立運動の主体となるべく台湾民主党を結成させたものの、期待していた日本人や在日台湾人の関心や支援が殆どなく、台湾民主党の活動にも見るべきものはなかった。これは日本国内の蔣政権特務機関による監視が非常に厳しかった事をも意味している。それでも廖文毅らは台湾臨時国民会議というものを開き、二・二八事件から九年目となる1956年(昭和31)1月に台湾共和国臨時政府の樹立を宣言(下記に『台湾民報』号外「台湾共和国独立宣言」を附す。なお誤字などはそのままにした)、2月28日に自ら大統領に就任、機関紙『臺灣民報』を創刊するなどして、国際社会に蔣介石独裁政府に対抗する亡命政権の存在を一定程度アピールすることに成功した。その一方で在日台湾人のなかには「台湾共和国臨時政府には近付くな」という指摘もあったことを付言しておく。これは国民党の複数の特務(スパイ)が台湾共和国臨時政府内部に偽装参加していたことを意味している。

1962年1月、台湾共和国を支援したと見做された台湾人数百名が蔣介石政府によって逮捕されるという事件が発生した。その内の中心人物は長期間の取り調べと軍事裁判所での審理の末、国家叛乱罪で起訴され、一斉捕縛から三年後(1965年1月27日)、廖史豪(廖文毅の長兄・廖温進の子)と黄紀男に死刑判決が、林奉恩、廖温進に懲役12年が言い渡された。

廖文毅

東京から台北へ蔣政府に帰順する廖文毅台湾共和国臨時政府大統領。無念だったろうと思う。

なおこの一斉逮捕では、廖文毅の弟・廖温進と廖史豪の実母も逮捕されており、廖文毅の近親者を狙い撃ちにし、海外の台湾独立運動を瓦解させる性格のものであったことが理解出来る。事実1965年5月、家族を人質に取られた台湾共和国臨時大統領・廖文毅は特赦と引き換えに、台湾独立運動の放棄を宣言したのち台北に戻り、蔣介石政府に投降することとなった。独立運動を断念せざるおえなかった廖文毅の国民党への帰順の姿は反蔣運動に携わる多くの台湾人を失望させたが、以上の様に同情すべき事情が存在したことは顧慮されるべきであろう。そしてまた1950~60年代の非常に困難な時期に台湾独立運動の存在を世界に示した「台湾共和国臨時政府」運動には大きな存在意義があったように思う。挫折したかと思われた台湾独立運動はその後、日本で王育徳(1924-1985)、黄昭堂(1932-2011)、許世楷(1934-   )らを中心とする台湾青年社に引き継がれる。

蔣政府により死刑判決を言い渡された二人は廖文毅の帰順により懲役刑に減刑され、廖史豪氏は2011年9月に逝去、享年88歳。戒厳令時代に三度(計25年間)の投獄を体験した黄紀男氏は、台湾民主化後に陳水扁総統の総統府国策顧問に就任、2005年に87歳で逝去。


台湾民報号外  THE TAIWAN-MINPO
反蔣反共完成獨立

台湾共和国独立宣言
台湾二・二八革命第九周年記念日に

台湾共和国臨時政府(大統領/副大統領)就任式
本二十八日港区麻布公会堂で

(台湾民報二十八日特報)本二十八日午後二時より港区麻布東鳥居坂町三番地港区麻布公会堂において台湾共和国臨時政府成立、廖文毅大統領 呉振南副大統領の就任式 並に祝賀会及び台湾二・二八革命第九周年記念会が挙行され、全世界に向って「台湾共和国独立宣言」を発する

台湾共和國独立宣言(日本文訳)
我ら台湾民族は自由と平和を愛する民族である。自由を求め、平和を祈願し、繁栄を図る道は、自主独立を以ってその基礎とする。かゝる認識の上に立ち、又その必然の要求に基づいて、我ら台灣民族は久しきに亘り、異民族の支配から脱却することに努めてきた。台湾の歴史は台湾民族の異民族支配勢力に対する駆逐斗争の歴史である。一六六一年と一八九五年とに、我ら台湾民族は二度独立をした。また一九四七年の二・二八革命によつて我々は事実上の独立を快復したが、この未完成の、歴史上三度目の独立を完成する爲に、我々は全身全霊を捧げてきた。

今や、我ら台湾民族は、各民族が各々の自由意思に基づいて、独立する当然の権利あうことを再確認し、こゝに、台湾の台湾民族による、台湾独立を宣言する。

我ら台湾民族の独立の意義は堅固にして不動である。平和を乱し、侵略を企てんとする異民族は、我々の断固として排斥するところである。台湾の独立台湾共和国独立宣言なくして、世界に平和はないという條件は二度失い、一度は未完成に終つた我ら台湾民族の独立○○と相待つて、必然的に我々をして正義を持し、平和を守る国際機構の構成員たらしめる。

内に台湾民本主義を施行して民族の繁栄を図り、樂土を築き、外に国連に協調して人類の文化に貢献し、世界の平和に寄與することは、我が台湾共和国の権利であり、義務であり、使命である。

一九五六年二月廿八日
台湾共和国臨時政府


【参考文献】
『台湾 四百年の歴史と展望』伊藤潔著 中央公論新社 平成12年(2000)
『台湾法的地位の史的研究』戴天昭著 行人社 平成17年(2005)
『台湾史小事典 増補改訂版』呉密察原著監修/遠流台湾館編著 中国書店 平成22年(2010)
『昭和を生きた台湾青年 日本に亡命した台湾独立運動家の回想1924-1949王育徳著 草思社 平成23年(2011)
『台湾現代史 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』何義麟著 平凡社 平成26年(2014)


 

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