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【9/20(土)】「李登輝先生 来日講演会 大阪会場編」動画紹介

2014-09-22
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李登輝前總統 2014 大阪演說 「 これからの世界と日本(未來的世界與日本) 」

獨立媒體影音:
https://www.youtube.com/watch?v=n0fat1iyK1k


 

産経新聞 大阪版
平成26(2014)9月21日(土)

10701934_715303195207164_7893100996525888252_n 大阪講演
定員1600名、実際には1661名が出席(日本李登輝友の会メルマガ日台共栄Vol.2221)で李登輝先生の講演会で過去最大規模であったそうである。

【日時】平成26年9月20日(土)18時~20時

【会場】大阪府立国際会議場3階イベントホールA及B

【主催】日本李登輝友の会

1600名の参加者で埋め尽くされた会場、李登輝先生の講演は通訳を介さず、直接端正な日本語で語られていたので、我々日本人には大変有難かった。日本側国会議員には中山成彬衆議院議員(次世代の党)、西村眞悟衆議院議員(無所属)、杉田水脈(スギタ ミオ)衆議院議員(次世代の党)を確認出来た。また自衛隊関係者の出席も多かったそうである。

以下は、黃昆輝 台灣團結聯盟主席がfacebookに掲載した漢文による講演内容全文。


【李登輝演講全文】

日本李登輝之友會的中西輝政副會長,執行委員會的辻井正房委員長及諸位委員,還有蒞臨會場的各位,晚安!

今天受到日本李登輝之友會的邀請,睽違五年再度訪日,能夠向這麼多與會來賓發表談話,感到非常榮幸。

而且,內人與兩個女兒今天也來到會場。我決定到日本的時候,兩位女兒認為「父親與日本的緣分這麼深,卻連一次也沒有陪父親赴日」,所以九十一歲才帶著女兒來到日本。

七十年前,我在京都帝國大學唸書時志願入伍,服役於大阪第四師團,終戰時擔任帝國陸軍少尉。不只是緬懷當時,現在的街道和戰時的景象完全不同,令我感到非常驚訝。

今年六月,我在WEDGE月刊刊載《李登輝送給日本的話》,第一章標題定為「日本的新生」。因為安倍晉三總理再度拜相,令人有所期待,感覺這二十年來,長期在政治經濟上持續低迷的日本,復甦光茫在望。

今年七月,安倍首相果斷決定容許集體自衛權的行使,美國立刻發表歡迎的聲明。我,李登輝也大表歡迎。

這就是導正日本戰後長期以來不正常的狀態,邁向新生的第一步。對於安倍首相的果斷決定,個人由衷表達敬佩之意。

說來驚奇,明天正是安倍首相的生日,謹由衷表達來自台灣的祝福,並期待安倍首相更加活躍。

身處這個混亂的國際社會,現在的日本應該如何因應?做為對日本有所期待的友人,我有些話要說。

第二次世界大戰結束,美國強化身為唯一超級強權的存在感,做法是避免經濟上的失敗,展現在急速的經濟成長上。一九九一年蘇聯瓦解,從東西冷戰獲勝以來,美國就一直呈現出單極霸權國家的樣貌。

然而,二〇〇一年九月發生的九一一恐怖攻擊事件,突然改變了過去的國際秩序,這個大事件可說預告了美國單極稱霸時代的終結,以及國際社會開始陷入渾沌時代。

同時期頻繁發生的恐怖攻擊事件,也對金融方面造成衝擊,持續低迷的美國經濟,二〇〇八年因雷曼衝擊(Lehman shock)遭受決定性的打擊,美國已經喪失單獨牽引世界的力道了。

不僅如此,當景氣對策成為要務,美國的國內輿論也轉為「領導人對內政應該比外交投注更多心力」的對內傾向,美國發揮主導全球的功能已經遭遇瓶頸了。

過去是美國和日本等先進五國,所謂的G5在推動世界經濟,後來變成G7召開高峰會來決定世界走向。發揮領導功能的是美國,再來,俄羅斯則從一九九七年起加入,變成G8。

但是,因為二〇〇八年的金融危機,號稱先進國家的各國實力盡失。取而代之的是,中國、印度、巴西等經濟成長顯著、發言份量漸增的新興國家。而且,加上這些新興國家,G20終於成為國際政治上引發論戰的議題。

這種國際秩序的多樣化,能夠取代美國、承擔統御全球能力並擁有經濟實力的國家或組織,已經不存在了。欠缺發揮主導功能的國家,可以說正是國際秩序的崩毀。

就算把各有內政問題、利害殊異的二十個國家聚集起來,也找不出一致的方向。美國政治學者伊恩‧布雷默(Ian Bremmer)就把它稱為「G零」的世界。讓我來說,就是戰國時代的來臨。

以中國為首的新興國家,其經濟實力根本無法繼承美國及其盟邦所擁有的領導地位。達到經濟急速成長的中國,連美國都有呼聲期待它成為新領袖,也就是說,美國和中國的「G2」之意。

但是,二〇一〇年九月,正如當時溫家寶總理在聯合國大會的演講一樣,他說:「中國現在還是社會主義的初期階段,開發中國家的地位並未改變。」所以,中國還沒有那種意圖。

而且,要繼承美國主導的布雷頓森林體系(Bretton Woods system)之下成立的國際貨幣基金(IMF)等國際組織架構,中國連領導能力都沒有。

雖然說GDP僅次於美國,但因為中國人口超過十三億,所以每人平均GDP不過六千美元,只有日本的八分之一。而且,貧富差距懸殊,以致於僅佔總人口0.1%的富裕階級卻有獨霸41%個人資產的狀況。

貧富差距、崩毀前夕的不動產泡沫化、公務員貪腐、激烈的反日示威等,以及令人無法置信的環境污染;對中國來說,它根本無暇受託承擔國際社會的責任,更遑論維護國際秩序,因為中國連國內秩序都開始動盪了。

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美國主導的G1時代已經告終,G20沒有功能,G7已成往事,美中的G2變成紙上談兵的話,全球就要迎接「G零」的世界了。美國單極支配的時代已經過去,現正逐漸轉移到幾個區域大國激烈交鋒的世界。

日本面臨的國際社會變幻莫測,特別是西太平洋的主導權之爭,由於中國透過軍事擴張和武力展示,加深了緊張程度,美國也被迫承受沉重的負擔。在這個時代,日本該如何因應呢?

首先要說的是,日美關係這件事變得更加重要。日本已不能再採取讓美國保護的態度了,日美非得成為更加緊密和對等的盟邦不可。還有,應該重新提問的是:要如何運用日美同盟?日本應該扮演什麼角色?

對於充滿內政問題的美國,看來已不能抱持太多期待。日本應該思考的是,與美國構築建立在坦率對話的對等夥伴關係,把日美關係的重要性做為前提的同時,有必要澈底重新思考日美同盟的狀態。

在這個意義上,今年七月安倍首相果決容許集體自衛權的行使,不只是討美國歡心,也是要讓美國放心。容許集體自衛權的行使,確實會使日美同盟更加穩固,實際上還要關注美方對日本的期待。

如同在座的中西輝政先生所著《霸權的終結》一書所言,就像日本需要美國一樣,美國在某些情況還更需要日本。日本諸位應該對此有所瞭解。

九○年代以來,美國從冷戰結束歷經波斯灣戰爭,高擎標榜著蠻橫「單邊干涉主義」的「舊美國」,直到雷曼衝擊(Lehman shock)導致經濟疲軟不振以前,對過去的不捨似乎綿延不絕。

現在的美國正以「新美國」之姿,與多極化世界探索協調的路徑。我認為,現在日本應該做為和美國協調的夥伴,與美國共同貢獻,一起發揮讓世界安定進步的功能。

尤有甚者,對於實力正在衰退的美國,日本可以提供美國追求的功能,所以要利用這個機會,落實過去面對美國未能付諸執行的事。也就是,應該修改憲法,讓日本成為真正獨立自主的正常國家。唯有如此,才能達成安倍首相擺脫戰後體制的目標,是建構「新體制」的正確一步。

容許集體自衛權的行使,可以說是一個開端,未來不只和美國,日本還要和菲律賓、澳洲、印度加強軍事關係,必然也可以為台灣帶來良好影響。再來,在釣魚台群島和南海問題上,中國也將不敢貿然行動。從結果來說,讓人對區域穩定懷抱期待。

過去日本遭逢國家危急存亡之秋,曾把西洋文明與日本文明加以融合,造就了明治維新這種世界史上絕無僅有的偉業,從而克服了國家難關。像坂本龍馬一樣的青年們挺身而出,成為引導日本的領袖。

根據我的看法,現在的日本,正處於明治維新以來必須進行最大變革的情況,就是現在,應該發動平成維新了。

為了改革,做為國家根本的憲法應該如何修正呢?這是當前日本的一大課題。如眾所知,現在的日本國憲法本來是用英文撰寫,再翻譯成日文的文件;也就是說,戰勝國美國為了不讓日本再度與美國兵戎相向,從而強迫日本接受現在的憲法。

其中第九條禁止日本擁有軍事力量,因為如此,日本就把國家安全託付給美國。然而,今天日本就要大幅變革,開始邁步登上新生的台階了。

為了真正的獨立自主,日本需要什麼?透過歷史來省思,就無法迴避憲法課題。然而,這個問題不但很少討論,更遑論觸及修憲這個長久以來被視為禁忌的議題;部份人士似乎根深蒂固地認為:「只要有第九條就可以維護日本的和平」。

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然而,無視現實、擱置憲法問題、漠不關心,我覺得這顯然是在威脅日本的國家安全。

在我看來,歷經六十年以上,一字一句都沒有修改,這種情況毋寧讓人感到怪異。歷史瞬息萬變,不僅日本及其國民所處的狀況因時代變化而有差異,而且日本一直擱置國家根基的憲法,未來難道不會被拋到國際脈動和時代後面、走向衰頹嗎?

在此意義上,安倍首相果決容許集體自衛權的行使,就是邁向安倍政權最終目標─修憲、特別是修正第九條的第一步。擁有武力,並不代表戰爭之意。

如同剛才一再陳述的意見,當前的世界是戰國時代。在國際社會,為了不受欺凌,有必要擁有武力來保護自己。

根據報導,日本國民之間似乎有批判和反對修憲的聲音,針對這點,希望安倍首相充分向國民說明,務必落實最終目標。

最後,我想為日本諸位打氣,要對日本歷史和文化感到自豪,為了平成維新昂然奮起而充滿希望,現在的日本人一定要恢復信心和自尊。

現在的日本人,尤其是年輕人很可憐,他們接受了「日本以前做壞事,是侵略亞洲的壞國家」這種單方面教育,認定日本遭受世界各國的批判,從而喪失了信心。

幾年前,我曾經到台灣中部的日僑學校演講。日僑學校的校舍在一九九九年大地震時倒塌,我立刻想辦法協助他們,找到現在的校地,重新建造了校舍。

後來接受這所日僑學校的邀請,向學生們發表演說,演講內容大概是台灣在日本統治時代的樣貌。

當我問起學生,得知日本的學校教育都教他們「日本殖民台灣,剝削人民,帶來苦難。」那可真是彌天大謊!

我這麼告訴學生們:
第四代台灣總督兒玉源太郎的民政長官後藤新平只用了八年七個月的時間,就把台灣打造成幾乎「相差百年」的近代化社會,從而建構出當今繁榮的基礎。

為了台灣的近代化和經濟發展,後藤新平先把欠缺工作能力的一〇八〇位日本官員革職,遣返日本。這種事情,沒有相當的覺悟和決心根本辦不到!

就這樣,各領域的秀異專家匯聚台灣,各位熟知的新渡戶稻造,包括在台灣依然像神明一樣受到尊崇的水庫技師八田與一,還有很多才幹一流的日本人為台灣賣命,多虧他們的付出,所以造就現在的台灣。

說完這段故事,演講結束後,學生代表高興地說:「今天聽到李先生這席話,信心油然而生。過去走在馬路上,總覺得臉上無光,從明天起可以挺胸闊步了。」我也感到很高興,勉勵這位學生「要加油」!

用不著舉出這些例子,我覺得戰後日本人的價值觀發生一百八十度的轉變,令人非常遺憾。

日本的各位!一定要早日從戰後的自虐價值觀中解放出來。因為如此,日本人要更加擁有自信,應該繼承民族的精髓,要對從前武士道砌築的不成文規範感到驕傲。如此一來,擁有身為日本人的自我認同之後,日本才能在國際社會中承擔責任。

位於「G零」後的世界,日本正處在十字路口上。日本為了完成求生存的變革,不可或缺的就是全體日本人立志決行,日本人非得擁有自尊和自信不可。

其結果攸關東亞更加的穩定與和平,也將為日本和台灣帶來更良好的關係。日本和台灣是命運共同體,日本好則台灣好,反之亦然。

衷心期盼日本邁向真正獨立自主的國家,我就以此結束談話。感謝大家的聆聽。

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照片影音逐字稿出處「獨立媒體」:
http://goo.gl/kq19BU


李登輝先生の講演前にスクリーンで上映されていた動画は資料価値の高い映像であり、思わず見入ってしまった。

題名は、
「李登輝,台灣民主化之路 – The Roadmap to Democracy in Taiwan, not China 」とあり、90分程のドキュメンタリー映画である。
http://www.youtube.com/watch?v=y_J0M16KFVk&feature=youtu.be


 

【動画紹介】歓迎!李登輝先生 来日

2014-09-19
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【平成26年(2014)/9/19(Fri)】歓迎!李登輝先生 來大阪【関西国際空港(關西國際機場)】


【産経新聞報道】李登輝氏が6回目の来日「日本やっぱりいい国」
2014.9.19 19:53

 台湾の李登輝元総統(91)は19日、関西国際空港に到着後、大阪市内で記者会見し、「台湾のためにしなければならない仕事を日本から学んで帰りたい」と抱負を語った。

李氏の来日は「日本李登輝友の会」の招きに応じたもので、2009年9月以来、5年ぶり6回目。今回は初めての家族連れとなった。李氏は会見で「日本は5 年前に来たよりも進歩している。やっぱりいい国だ」と到着の印象を語った。その上で、来日の目的として、がん治療、再生エネルギー、肉牛飼育の視察を挙 げ、日本の技術や経験を「台湾の役に立てたい」と述べた。

一方、日本への機内で同行記者団の代表取材に応じ、靖国神社をする予定はないと話した。07年の来日では、実兄がまつられる同神社に参拝した。

李氏の来日は25日まで。大阪、東京で講演するほか、北海道も初めて訪れる。(田中靖人)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140919/trd14091919530024-n1.htm

歓迎!李登輝先生!


 

【転載】高雄ガス爆発事故と澎湖島墜落事故への「お見舞い募金」の受付を開始【日本李登輝友の会】

2014-08-14
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以下は日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄/第2198号」からの転載です。

1>> 高雄ガス爆発事故と澎湖島墜落事故への「お見舞い募金」の受付を開始

7月23日、復興航空(トランスアジア・エアウェイズ)の旅客機が澎湖島・馬公空港で着陸に失敗して墜落、48人の犠牲者を出しました。それからほどない8月1日未明、今度は高雄市内でガス爆消防隊員など30人が犠牲となり、負傷者は310人に及んでいます。心よりお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

高雄のガス爆発事故に対しては、企業などからも多額の見舞金が寄せられ、姉妹都市の八王子市や加賀市、熊本県、群馬県などでも募金活動が始まっています。

しかし、本会としては航空機墜落事故の犠牲者についても併せてお見舞いいたしたく、8月9日から「お見舞い募金」を開始しました。

募金は確実に犠牲者の弔意や被災地復興に役立つよう、台北駐日経済文化代表処(沈斯淳代表)を通じて台湾の適切な関係先にお届けいたします。

なお、8月15日は靖國神社に向う九段坂にて街頭募金活動も行います。別掲でご案内します。ご協力いただける方はご一報のほどお願いします。

平成26(2014)年8月9日

日本李登輝友の会

高雄市ガス爆発事故と澎湖島墜落事故「お見舞い募金」要綱

・お見舞い募金は「お志」ですので、いくらでも結構です。
・お礼状はお出しできませんことをご了承のほどお願いします。
・振込み手数料はご負担いただきますようお願いいたします。

◆郵便局 加入者名:日本李登輝友の会 口座番号:00110-4-609117

・通信欄に「お見舞い」「事故」などとお書き添えください。
・一般の方は郵便局備え付けの「郵便払込取扱票」を、日本李登輝友の会会員の方は『日台共栄』
誌の最後に添付の郵便払込取扱票をお使いください。

◆銀 行 三菱東京UFJ銀行
本郷支店 普通:0012742 日本李登輝友の会 事務局長 柚原正敬
(ニホンリトウキトモノカイ ジムキョクチョウ ユハラマサタカ)

◆募金期間:平成26(2014)年8月9日(土)~31日(日)

・募金の経過や結果は本誌やホームページでお知らせいたします。

◆日本李登輝友の会
〒113-0033 東京都文京区本郷2-36-9 西ビル2A
TEL:03-3868-2111 FAX:03-3868-2101
E-mail:info@ritouki.jp
ホームページ http://www.ritouki.jp/


2>> 8月15日(金)、本会が靖國神社前で台湾お見舞い街頭募金と戸籍の署名活動

本会は8月9日をもって高雄市ガス爆発事故と澎湖島墜落事故「お見舞い募金」活動を始めまし
た。

来る8月15日には、本会青年部とともに、靖国神社に向う九段坂にて街頭募金活動を行います。
併せて、8月1日から12期目に入っている戸籍問題の署名活動も行います。スタッフでお手伝いいた
だける方はぜひご連絡をお願いします。

日本李登輝友の会

◆日 時:8月15日(金) 午前9時~11時 *雨天の場合は中止します。

◆場 所:靖国神社に向かう九段坂(東京理科大学前)

*地下鉄「九段下」の出口から靖國神社へ向かう坂の途中、銀杏並木のところです。
≪台湾は中国じゃない!≫の幟が目印です。

*お手伝いいただける方は、事前に事務局までご一報を!

*事務局では飲み物を準備しますが、ご協力いただける方は熱中症など暑さ対策をお願
いします。

◆当日連絡先:090-1269-3918(柚原)

◆主 催:日本李登輝友の会
〒113-0033 東京都文京区本郷2-36-9 西ビル2A
TEL:03-3868-2111 FAX:03-3868-2101
E-mail:info@ritouki.jp
ホームページ:http://www.ritouki.jp/
Facebook:http://goo.gl/qQUX1


【高雄市ガス爆発事故(死者30人、負傷者310人】「石川県・加賀市が銀行振込み等、義援金募集を開始」【御支援を!】

2014-08-07
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(以下情報は、加賀市HPからの転載です)

台湾・高雄市への義援金にご協力ください
【加賀市HP:2014年8月5日】

加賀市の観光交流都市である台湾・高雄市で7月31日深夜から8月1日未明にかけて大規模なガス爆発が発生し多くの方が犠牲となっています。

市では下記の場所に募金箱を設置することとなりましたので、皆さまの温かいご協力をよろしくお願いします。

■募金箱の設置
 市役所本庁舎 総合案内ほか  8月5日(火)~8月29日(金) ※土日曜日を除く
 山中温泉支所 窓口  8月5日(火)~8月29日(金) ※土日曜日を除く

振込み用口座
 銀行口座: 北國銀行 大聖寺支店 普通 582467
 口座名義: 加賀市都市交流協議会 台湾高雄市義援金 会長 岸 省三
 (かがしとしこうりゅうきょうぎかい たいわんたかおしぎえんきん かいちょう きししょうぞう)

※振込み手数料はお客様のご負担となりますのでご了承ください。

◆お問い合わせ先:地域振興部観光交流課観光交流係
電話番号:0761-72-7900
FAX番号:0761-72-7991
E-メール:kankoukouryuu@city.kaga.lg.jp


◇追加情報◇
東京都八王子市「台湾・高雄市への義援金にご協力を」
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seisaku/joho/045392.html

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八王子


 

【署名に御協力を!】台湾の国連加盟を支持する署名活動/国連脱退43年

2014-08-04
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台灣聯合國協進會

台灣聯合國協進會が台湾の国連加盟を支持を求める署名活動を開始しており、日本人の署名も可能なので御協力を。署名数はまだ少ないものの、台湾人と共に日本人の署名が目立っている。署名は下記サイトからどうぞ。なお「聯合國(連合国/)」はUnited Nationsの漢訳で、国際連合を指す。

世に理不尽な事は多い。2300万国民を擁する台湾の国際連合への未加盟もその一つである。
どうか友邦台湾のため、そして日本の為にも署名に御協力をお願いしたい。

我支持台灣加入聯合國(I support Taiwan to join the United Nations)

〇署名方法:「加入個人連署(個人署名)」または「加入團體連書(団体署名)」を選択のうえ、「姓名」欄に氏名を書込む(必須)。コメントが有る場合は「留言」欄に記載する。


現在、国際連合 安全保障理事会の常任理事国は、国連憲章第23条で次の五か国と規定されている。

中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

70年前の第二次世界大戦の戦勝国が、いまだ安全保障理事会(安保理/国連の最高意思決定機関)での議案拒否権という強力な権限を有している訳であるが、現在の常任理事国が、実際には以下の五か国であることは周知の事実であろう。

中華人民共和国、フランス、ロシア連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国

いわゆる五大国のうちソ連邦解体(1991年)により、ロシア連邦が常任理事国ソ連邦の権利を継承している。常任理事国の一国が解体されるという非常事態に際し、英米仏中は自国の常任理事国としての地位保全、国連改革論議が起こるよりは、そのままロシアを常任理事国として承認する方が無難であると考えたとされている。なお国連憲章は過去に三度改正が行われてはいるが、常任理事国の変更という重要な事柄の訂正は行われておらず、そのため国連憲章の条文にはいまだ「ソ連」「中華民国」が存在するのである。国連憲章改正がなければ「五ヶ国」は恒久的な優越的地位を有する訳で、その公平性には疑問を感じずにはおれない。

国連創始国のひとつ中華民国が国連を脱退した年は1971年(昭和46)である。

1949年に大陸での統治能力を既に失っていた中華民国政府(国府)は、その実態は台湾にのみ残存する蔣氏集団(中華民国後継勢力)と言うべきものであったが、以降20年以上にわたり国連常任理事国としての地位にあったのは、蔣介石政府の後ろ楯であった米国の中国代表権問題棚上げ政策により、台湾の中華民国が中国を代表するというフィクションが成立する余地がまだ有ったからである。しかし60年代の中ソ対立の時代を経て、米国は70年代には中国共産党(中共)政府との関係改善を進展させるとともに、中国代表権問題を検討し始める。

1971年10月25日、2758号決議(「中共の代表権回復、国府追放」/通称:アルバニア決議/正式名称「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」)により中国代表権問題は進展する。結果的に中華人民共和国が、中華民国に代わり唯一の正統政府として国連に加盟を果たし、中華民国は国連追放となる前、翌26日国連を脱退したのだ。

1972年(昭和47)発行の我が国『外交青書』の「中国代表権問題」項には経緯が以下の様に記載されている。


『外交青書(昭和47年版)』  「第26回国際連合総会」(1971開催) から引用

1. 中国代表権問題

本問題は1949年に中華人民共和国が成立してから20年余にわたつて争われてきたものであるが, 第25回総会(1970年)でアルバニア決議案に対する賛成票が反対票を上回つて以来,中華人民共和国を国連に迎え入れたいという気運が盛り上り,この点に関しては加盟国の間にコンセンサスに近いものが生れるにいたつた。そこで第26回総会では中華人民共和国の国連参加に際し中華民国を国連より追放すべきか否かに争点が絞られたのであつた。

まず,7月中旬にアルバニア等は「中華人民共和国政府の代表権回復,中華民国政府追放」を趣旨とするアルバニア決議案(共同提案国23ヵ国)を早々と事務局に提出したが,これに対して米国等は,9月にいたり,中華人民共和国の国連参加を認め,安保理常任理事国の席をこれに与えると同時に,中華民国の議席も認めるといういわゆる二重代表制決議案(共同提案国19ヵ国)および中華民国の追放は憲章18条に従い重要問題であり,3分の2の多数によつて決めるべきであるとする追放反対重要問題決議案(共同提案国22ヵ国)を提出した。わが国はすでに8月に木村外務大臣臨時代理より中華人民共和国の国連参加は阻まないが,中華民国の議席追放は反対であるとの基本方針を発表していたが,9月22日にいたり,佐藤総理より二重代表制決議案および追放反対重要問題決議案を共同提案する旨発表した。

総会が始まると,議題採択等をめぐり一般委員会や本会議等で中華民国追放支持派と反対派の間で激しい論議が展開された後,注目のうちに10月18日より本件の本格審議が開始された。ここでは73ヵ国の多数が一般討論に参加したが,わが国の愛知首席代表も,わが方決議案は複雑かつ微妙な問題を漸進的に解決せんとする経過的な性格のものである等,わが国の立場を説明する発言を行なつた。

表決は25日に行なわれた。この日の審議は午後3時から深夜の11時30分まで食事抜きでぶつ続けに行なわれた。その中で追放反対重要問題決議案は8票差で先議権を獲得したものの,決議案自体は賛成55,反対59,棄権15,欠席2で否決され,これに続いてアルバニア決議案は賛成76,反対35,棄権17,欠席3で採択された。この結果,二重代表制決議案は表決に付さないこととなつた。また,アルバニア決議案の表決に先立ち,中華民国代表は,これ以上総会の審議に参加しないことを宣言し,総会議場より退場した。こうして20年来続いた国連における中国代表権問題は劇的な幕切れとなったのであつた。

[引用終]


台湾は国連残留の可能性が有った

アルバニア決議案が承認されるまでに、台湾(中華民国)支持の友好国(特に佐藤榮作政権、米国ニクソン政権)は、蔣介石政府に対し、安保理常任理事国の座を中共に譲り渡した後も、国連の一般議席に残留するよう再三説得を試みていた。特に日本は、佐藤首相の実兄・岸信介元首相が特使として蔣介石への説得を行っていた事実を、黄昭堂氏が岸元首相の口から直接聞いていたとある(『正論』平成18年10月号/斎藤勉「国連追放35年、台湾の苦闘と心意気を探る」p135)。岸信介元首相は蔣に対し「国連追放の前に(例えば)台湾共和国名義での国連残留」を強く進言するつもりであったという。

しかし蔣介石は「漢賊不両立」「中華民国こそが唯一の中国正統政府」と強硬に主張、固執するあまり日米の説得を拒否。米国はこの頑迷な蔣の主張を挫くために、キッシンジャー特別補佐官による北京訪問(1971/10/20)を行い米中接近をアピールして蔣の主張する虚構に対する牽制を行っている。これにより国連加盟国の中華民国支持派が大きく動揺、アルバニア決議案が大差で可決(1971/10/25)されたという。実は中ソ間で緊張状態にあった中共は米中接近を優先させる為に、二重代表制中華人民共和国の国連参加、安保理常任理事国にすると同時に,中華民国の総会での議席をも認める)に強く反対していなかったといわれる( 戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年刊/P352)。

また大陸反攻への執念を抱いていた蔣介石にとり(台湾だけでの)国連加盟は、「全中国を代表する中華民国」と中国共産党との内戦状態の終結を意味する。それが戒厳令解除、台湾民主化へとつながれば、台湾における蔣自身の権力の正統性失墜を恐れたとも推測出来る。いずれにせよ、現在に至る台湾の国連加盟を困難にした主因は1,400万台湾人(当時)の将来より、安保理を離れ国連の一加盟国となることを面子の問題で拒絶した蔣介石の誤判断にあったといえる。

国連脱退
周書楷 中華民国外交部長「国連は自ら憲章を破壊した」「…本日決然と創設に参与した国連を脱退する」
追放という恥辱を避ける為、アルバニア決議案採択前に国連脱退を宣言、議場を去った。

なお国連憲章第四条には、国連加盟国の地位として次の一項が規定されている。

国際連合における加盟国の地位は、この憲章に掲げる義務を受託し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている。

1993年、李登輝政権時代から始まった台湾の国連加盟申請16回、そのうち陳水扁政権の2007年7月にはそれまでの「中華民国」名義での再加盟申請から初めて「台湾」名義での国連新規加盟申請を行い注目されたが、「台湾は自国の一省である」と主張する中国や潘基文国連事務総長の妨害(2007年台湾名義での申請に当たり台湾国連加盟に関するFAQ p4参照)により失敗している。また現在の馬英九国民党政権は中国を刺激する事を避ける為、国連加盟申請自体に関心を抱いていない。

台湾と聯合國
台湾での集会や示威行進ではUN FOR TAIWANと印刷された国連旗をよく見掛ける。国連加盟は台湾人の悲願なのだ。


[関連略史]

1945年
10月24日 国際連合発足、中華民国加盟

1949年
10月  1日 中華人民共和国成立宣言
11月18日 中華人民共和国による最初の「中華民国」国連追放提起
12月  7日 中華民国政府、台北“遷都”決定
12月10日 蔣介石、台北へ敗走

1950年
1月16日 英国が中華人民共和国を承認、英国と「中華民国」断交

1957年
6月 2日 岸信介首相、アジア歴訪、台湾で蔣介石の「大陸反攻」に支持表明

1963年
9月18日 池田隼人首相「国府の大陸反攻は希望なし」と発言

1964年
1月27日 フランスが中華人民共和国を承認
2月  7日 中華民国、対仏断交声明

1971年
10月25日 国連、アルバニア決議採択(賛成76、反対35、棄権17)
10月26日 アルバニア決議に抗議し中華民国は国連「脱退」

1972年
2月21日 ニクソン訪中、米中共同声明(米国の中共政府承認)
9月29日 日中国交樹立、日台断交(日本 田中角栄政権/台湾 蔣介石政権)

1975年
4月5日 蔣介石死去

1979年
1月  1日 米台国交断絶(米カーター政権/台湾 蔣経国政権)、米中国交樹立
4月10日 米国「台湾関係法」発効

[参考文献]
戴天昭『台湾 法的地位の史的研究』行人社 2005年
呉密察原著監修/遠流台湾館編著『増補改訂版 台湾史小事典』中国書店 2010年


 

[写真]東條英機首相 於 台灣総督府 庁舎前

2014-07-29
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平成24年(2012)12月26日発足の、第二次安倍政権。
その安倍晋三総理大臣の外遊先(訪問国)は、この7/25~8/5の中南米五ヶ国訪問を含めると47ヶ国になるという。これは小泉純一郎政権の5年5ヶ月(2001年4月~2006年9月)の間に訪問した48ヶ国に次ぐ二番目となる。また9月上旬には、安倍首相のスリランカ民主社会主義共和国及びバングラデシュ人民共和国訪問が行われる可能性が高いということで、両国を含めると49ヶ国となり、これで歴代総理大臣のなかで首位となるそうだ。歴代内閣でも突出した積極外交といえる。

ところで、安倍晋三首相が現役総理大臣の訪問国数トップだとすると、日本の首相で初めて外遊を行ったのは一体誰で、どの国を訪問したのであろうか。

現役総理の外遊は、昭和18年3月12日、東條英機首相(第四十代総理大臣)による中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)訪問を嚆矢とする。やや意外の感を受けるが、それ以前に総理自身の外国訪問というものは行われていなかったのだ。戦時中という状況が東條首相の積極的な行動を推し進めたのか、または東條首相自身の個人的性格に由来するものなのかは判らない。いずれにせよ、この時東條首相は首都南京や上海を訪問している。

日本が南京国民政府を正式に承認したのは日華基本条約締結の昭和15年(1940)11月30日のことで、東條首相の訪華二ヶ月前に汪兆銘政権は対英米宣戦布告を行い、日本と共同し対英米戦を遂行する為の「戦争完遂ニ付テノ協力ニ関する日華共同宣言」に調印を行っている。日独伊と連携するアジアの枢軸国として参戦したわけであり、東條首相と汪兆銘主席とのあいだで日華による対英米戦についての意見交換が行われたという(*1)。

中華民国(南京国民政府)訪問の翌月四月、東條首相は満洲国を訪問して皇帝溥儀、皇弟溥傑への奉伺と、張景恵国務総理らと会談(*2)。

同年5月、東條首相はフィリピンを訪問し、ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官らとフィリピン独立問題等について会談を行っている(*3)。
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(右一)東條英機首相
(右三)ホルへ・バルガス(Jorge Vargas)比島行政府長官
(左四)ホセ・ラウレル(Jose P Laurel)行政委員会委員。

ホセ・ラウレルはこの年11月に東京で開催された大東亜会議にはフィリピン共和国大統領として出席。その後戦況の悪化と共に日本へ亡命、終戦を大東亜共栄圏の盟主であった日本で迎え、玉音放送の二日後フィリピン共和国(第二共和国)は消滅した。フィリピンが米国から独立(フィリピン第三共和国)を果たすのは翌1946年7月4日のことである。

フィリピン共和国閣僚
米軍により拘束されるフィリピン共和国閣僚(左:ホセ・ラウレル大統領、中:ベニグノ・アキノ下院議長、右:ホセ・ラウレルⅢ駐日大使)。昭和20年夏、場所は大阪(もしくは奈良)とされている。対日協力者として戦犯指定を受け、この後巣鴨拘置所へ移送される。日本を頼りとしフィリピン独立に奔走した敗者達の悄然とした表情、同情の念を禁じ得ない。

このフィリピン訪問(5月5日~9日)の帰途に東條首相は台湾に立ち寄り、長谷川 清台湾総督を訪問している。下の写真はその時のもので、台湾総督府庁舎前での撮影と思われる。[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中

その後も東條首相は6~7月に同盟国タイ、そして昭南(シンガポール)、インドネシアを訪問(*4)、当時としては非常に積極的行動を取る人物であったように思える。

戦後、台湾を訪問した現役首相は岸信介(昭和32年/1957)と佐藤栄作(昭和44年/1967,昭和45年/1970)で、岸首相は総理就任後すぐに東南アジア歴訪(ビルマ、インド、パキスタン、セイロン〈現スリランカ〉、タイ、台湾)の最後に訪台、蔣介石と会談を行っている。

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[推定日時]昭和18年(1943)5月9日午前中/台灣総督府 庁舎前

(前列右八)東條英機 首相兼陸軍大臣
(前列右七)台灣軍司令官 安藤利吉 中将(後に最後の台灣総督となる)
(前列左七)長谷川 清 台灣総督
(前列左六)軍務局長 佐藤賢了 陸軍中将
(中列右四)柴 勝男海軍大佐(昭和20年戦艦ミズーリ甲板上での降伏調印式 日本側代表団一員として名を残す⇒右写真右四の人物柴勝男大佐)
(中列五)服部卓四郎 陸軍大佐(『大東亜戦争全史』著者。戦後、服部ら旧軍人らによる吉田茂首相暗殺計画があったことが、平成19年報じられた)


(*1)『東條首相 南京訪問』日本ニュース第145号[昭和18年(1943)3月16日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300530_00000&seg_number=001

(*2)『東條首相 満洲国訪問』日本ニュース第148号[昭和18年(1943)4月7日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300533_00000&seg_number=001

(*3)『東條首相比島訪問』日本ニュース153号[昭和18年(1943)5月11日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300538_00000&seg_number=002

(*4)『東條首相 泰国、昭南を訪問』日本ニュース162号[昭和18年(1943)7月13日公開]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300547_00000&seg_number=001


 

【御礼/御報告】入国禁止処分解除の本会会員訪台/陳唐山立法委員に謝辞を伝える

2014-07-04
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陳唐山 立法委員(元外交部長=外務大臣/民主進歩党)の粘り強い尽力により、中華民国政府(中国国民党政権)から五年間の入国禁止処分を解除された田邊憲司氏(本会会員)が、陳唐山立法委員に対して謝意を表する為に台灣を訪問、6月22日無事に入境を果たした。

25日には、陳唐山立法委員との面談がかない、直接に謝辞を述べる事が出来た。

次に、陳唐山立法委員のfacebook(https://www.facebook.com/tangshan.chen)上の記事(日本語訳)と写真をここに紹介。

日本人 田邊憲司が玉山を登攀、台灣独立支持の横断幕を掲げ、移民署(入国管理局)によって入国禁止にされた。幾人の立法委員を招いて記者会見を開催、(移民署への)質問を続けたが、今年 1月に移民署は最終的に解禁に合意した。本日、田邊憲司は四年振りに台灣の土地を踏んだ。彼は台灣人の熱意に非常に感謝しており、将来の台日の友情の為に引続き努力すると語った。

陳唐山立法委員
陳唐山 立法委員(国会議員)

三年十ヶ月振りの訪台、晴れやかな表情の田邊会員。
ここに到るまでに、陳唐山立法委員を筆頭とする多くの台灣人、そして日本人の有志達が台湾の自由と民主の為に立ち上がった事、これは特筆すべきだろう。

陳唐山立法委員二
陳唐山立法委員辦公室、並びに独立派団体指導者らと
[撮影]張葆源 立法委員陳唐山國會辦公室 助理

陳唐山老師

この一週間前、陳唐山立法委員は、平沼赳夫日本維新の会代表代行(当時)と東京で会談している様に、日本の保守派政治家との繋がりも強い。

陳唐山氏は、渡米後1960年代からの民主運動家であり、自身が国民党独裁政権下で黑名單(ブラックリスト)入り。その為、1974年の母堂の逝去に際して帰台することが叶わなかった。民主化後、帰台して陳水扁政権で外交部長、総統府秘書長、国家安全会議秘書長といった要職を歴任。この間、台灣獨立建國聯盟メンバーの救援活動にも尽力。日本統治時代の昭和10年(1935)、台南の生まれ、古風な美しい日本語を話す。


姚嘉文 元民進党主席元考試院長
於 立法院青島第三会館 陳唐山辦公室
【左→右】呂俊輝 李登輝民主協会嘉義分会総幹事/田邊憲司 台灣建國應援團 副代表/姚嘉文 元民進党主席・元考試院長/王獻極 908台灣國運動召集人/張葆源 立法委員陳唐山国会辦公室 助理

張葆源 助理には特に多くの助力を戴きました。ここに厚く御礼申し上げます。以下は、陳唐山国会辦公室が作成した「田邊憲司事案」報告書の中から、事件の経緯を時系列に簡潔にまとめた箇所である。参考資料として附記しておく。

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翌26日には呂秀蓮元副総統(民進党)と対談
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席上、尖閣諸島帰属先の話題が出て、呂秀蓮プラン(日台中は尖閣諸島の主権を棚上げし、非武装地帯とするもの)に対する意見を問われたが、田邊副代表は李登輝発言(「尖閣諸島は日本領土」)をも引用して、日本側主張を述べる。

一時はシビアな雰囲気となったものの、最後は日台友好の為、今後も努力するということで両者は一致。美麗島事件(1979年)により歴史の表舞台に登場した呂秀蓮立法委員。彼女は台湾初の女性副総統でもあり、その溌剌、毅然とした態度には強い印象を受けた。なお呂氏自身、かつて台湾独立派の急先鋒とみなされ中国への入国を事実上禁止された経緯がある。

今回の台灣訪問は6/22~30日までの期間であり、この間に独立派諸団体との交流が続いた。

【参考/御報告】本会会員の「五年間の台湾入国禁止処分」解除に関して
http://ilha-formosa.org/?p=31836

【感謝/御礼】台灣訪問、独立派団体との交流写真記録【6/22~30】
http://ilha-formosa.org/?p=32728


【転載/台湾の声】6月25日に台湾で発生したこと【拡散協力】

2014-06-27
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〔facebookで拡散されている文書〕

【拡散希望】
私に日本の友達が多くありません。
皆さんも大変忙しいと思いますが、
ほんの少しだけ、読んでいただければうれしいです。
今日、2014年6月25日に、台湾で発生したこと。

[中国の閣僚級高官が台湾を初訪問]
http://ppt.cc/6X~a

今日は中国の国務院台湾事務弁公室主任・張志軍が初訪問で来台しました。
ただし、ちょうどそのほんの数日前に、中国側にこのような声明がありました。

[台湾反発、大陸側担当官発言「台湾の前途は中国人全体が決める」]
http://ppt.cc/j8ae

それで、張志軍に今のタイミングでは歓迎しない、「台湾の未来は台湾人が決めます」などの主張を直接伝えようと、
昨日から張の宿泊ホテルに泊まっている社会運動団体のメンバーや民衆に対して、
今朝、急に黒いスーツの人たちが客室のドアを破って、強制的に部屋を侵入し、退去を求めていました。
当時の映像はこちらです。
http://ppt.cc/aTDy

これは中国ではなく、北朝鮮でもなく、
恥ずかしながら、2014年の台湾に発生したことです。

その後、部屋に泊まっているメンバーに弁護士の方もいるため、
警察やホテル側と口論になったところ、
強制的退去はやめましたが、
今回は、ホテル側と警察によって、民衆への「監禁」が始まりました。
http://ppt.cc/RRzP

お水も、食事も与えず、最後にインターネットや電気さえ断じ、
正真正銘の監禁でした。
ホテルの外に抗議の民衆が集まっているが、
大勢の警察を集め、民衆を排除しようとしていました。

その一方、
一部の民衆(どこから来たか分かりませんが)が
空港に張を歓迎していました。
その中に、中国の歌を歌ったり、五星紅旗を揚げた人もいました。
隣に抗議しようとする民衆は警察に排除され、近くに行けなかったのに対し、
歓迎した民衆は自由に歌って自分の意見を伝えて、
抗議する民衆に喧嘩を売っても、
警察は何も言わずに、ただ隣に見守っていました。

馬政府はすでに中国政府と変わりのない暴政となっています。
中国から来た官僚のために、
中国から来た官僚との会議がうまくいくために、
中国からきた官僚の顔色を伺うために、
台湾のやっとちょっと手に入れた人権と民主主義と自由を犠牲しました。
台湾の価値より、台湾人の意見より、
馬政府は中国を選びました。

支持率わずか10%の馬政府は、
もはや台湾人の代理人ではありません。
ただし、国民党は強大な資源と権力を持ち、
国際社会にもよく誤った意見を伝え、台湾人の主張を誤解させようとしましたが、
一人の台湾人として、厳正の抗議を申し上げます。

台湾の未来は、台湾人が決めます。
中国でもなければ、国民党でもありません。
台湾は、台湾人の台湾である。

また、中国は政治的に、経済的に周りの国を侵略しようとするのも事実です。
これは、台湾だけの危機ではありません。
日本やほかの国には、馬政府のような政府がないこと、うらやましく思いますが、
決して油断しではいけません。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
これからも、他国のことでありながら、
他国だけのことではないと思っていただいたり、
見守り続けてくれればうれしいです。

『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html

2014.6.26 23:40


いしゐのぞむ長崎純心大学准教授著『尖閣反駁マニュアル百題』出版祝賀会のご案内【6/27(金)】

2014-06-16
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      いしゐのぞむさん「尖閣反駁マニュアル百題」出版祝賀会のご案内

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【いしゐのぞむ】尖閣有史四百八十年~誰が尖閣発見命名者なのか?[桜H26/6/10]




桂宮宜仁親王殿下 薨去に伴う記帳所設置について[大阪6/10(火)-6/12(木)]

2014-06-10
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桂宮宜仁親王殿下の薨去を悼み謹んで哀悼の誠を捧げます。

大阪府及び大阪市では記帳所が本日(10日)から12日まで下記の通り設置されるとのこと。



[大阪府]
桂宮宜仁親王殿下の御薨去に伴う記帳所の設置について

桂宮宜仁親王殿下の薨去を悼み、下記のとおり記帳所を設置することといたしましたので、お知らせいたします。

1 設置期間 平成26年6月10日(火曜日)から6月12日(木曜日)
午前10時から午後5時まで

2 設置場所 大阪府庁本館1階 正面玄関(大阪市中央区大手前2丁目)
(代表電話)06-6941-0351
3 その他   来庁される際は、公共交通機関をご利用ください。

http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=16666


[大阪市]
桂宮宜仁親王殿下の薨去にかかる記帳所の設置 [2014年6月9日]

桂宮宜仁親王殿下の薨去を悼み、下記のとおり記帳所を設置することといたしま
したので、お知らせいたします。

1 設置期間
平成26年6月10日(火曜日)~6月12日(木曜日) 午前10時~午後5時

2 設置場所
大阪市役所1階 正面玄関ホール
住所:大阪市北区中之島1-3-20
電話番号:06-6208-7236

3 その他  来庁される際は公共交通機関をご利用願います。

http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000270108.html


 

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